読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ドラキュラのライヴァルたち』『キング・コングのライヴァルたち』『フランケンシュタインのライヴァルたち』

The Rivals of Dracula: Stories from The Golden Age of Gothic Horror(1977)/The Rivals of King Kong: A Rampage of Beasts(1978)/The Rivals of Frankenstein: A Gallery of Monsters(1977)Michel Parry

 ミシェル・パリー(※1)はホラー小説のアンソロジストのようです。インターネットで検索してもほとんど情報が出てこないのですが、日本の読者にとっては、ホラー小説の貴重なアンソロジーを三冊刊行してくれた人として認識されています。
 その三冊が『ドラキュラのライヴァルたち』『キング・コングのライヴァルたち』『フランケンシュタインのライヴァルたち』(※2)です。

「ドラキュラ」「キング・コング」「フランケンシュタイン」の「ライヴァルたち」というタイトルのとおり、「吸血鬼」「巨大な怪物」「人造人間、ロボット」に関するアンソロジーとなります。
 いずれもよく知られたモンスターですから、それを題材にした短編も数限りなく存在するでしょう。選ぶのは大変かも知れませんが、理屈の上では分母が大きいほど質の高いものが集まるはずです。

 さて、海外文学のアンソロジーには、外国人が編んだものと日本人が編んだものがあります。前者に関して、「毛唐が選んだものは、さっぱり面白くねえ。やっぱり情に厚い日本人に任せねえと具合がよくねえや」なんて人もいますが、それだと、どうしても選択に偏りが生じてしまいます。
 なぜ選ばれたのか分からないような短編も確かにありますが、意外な傑作や、全く聞いたことのない作家に触れられるよいチャンスなので、僕は積極的に購入するようにしています。

 しかし、日本と外国では出版事情、頁数、判型などが異なるせいか、割愛されてしまうケースもあります。
 編者は全体のバランスを考えて作品を選んでいるはずですし、前述のとおり日本人の感覚に合わないものも読んでみたいので、できる限り原書のとおり(掲載順も含め)にしてもらいたいものです。

 このシリーズにも、邦訳する際に省かれてしまった短編がふたつあります。ひとつは『キング・コングのライヴァルたち』に収録されたロバート・シルヴァーバーグの「The Day the Monsters Broke Loose」で、もうひとつが『フランケンシュタインのライヴァルたち』に収録されたロバート・ブロックの「人間そっくり」です。
 幸い後者には邦訳がある(創元推理文庫の『マイ・ベストSF』に収録)ため、ついでに感想を掲載します。

ドラキュラのライヴァルたち写真
変身」Conversion(1976)ラムジー・キャンベル
 友人の家で歓待され、遅くまで楽しんだ男が森のなかの我が家へ帰ると、姉を亡くしたばかりの妻がベッドに寝ているのがみえます。何者かが侵入した形跡があるのですが……。
「身内が亡くなったばかりなのに、友人宅で楽しい時間を過ごしたのはなぜか」というのがミソです。

謎の男」Der Fremde(1844)カール・アドルフ・フォン・ワックスマン
 土地を相続するためにオーストリアの田舎へやってきたファーネンベルク勲爵士一行。暗闇で狼の群に襲われ、廃墟となった城に逃げ込むと、ひとりの男が窮地を救ってくれます。やがて、男は勲爵士の屋敷にやってくるようになり、彼に心惹かれた娘のフランチスカは病気になってしまいます。
 ブラム・ストーカーは『吸血鬼ドラキュラ』を書くに際して、シェリダン・レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』など様々な先行作品を参考にしましたが、この短編もそのひとつです。編者のパリーは「作者不詳」としていますが、実はワックスマンというドイツ人の作品で、ストーカーは一八五四年に英訳されたものを読んだようです。原型といえるくらい似ていて、短いけれど『吸血鬼ドラキュラ』を構成する要素がほぼ出揃っているといった感じです。

カルデンシュタインの吸血鬼」The Vampire of Kaldenstein(1938)フレデリック・カウルズ
 ドイツをひとり旅していた青年は、道を間違え、小さな村に滞在することになります。そこには古い城があり、吸血鬼が住んでいると噂されています。
 村人は、三百年も生きている吸血鬼が城にいると知っているのに、平和に暮らしています。十年間に三回だけ、旅人が興味本位に城へ向かったとされています。吸血鬼もそれをひたすら待つだけで村人を襲ったりはしません。こういう条件なら人間と吸血鬼が共存できそうです。

墓地の管理人」Le gardien du cimetière(1919)ジャン・レイ
 公爵夫人が荒れ果てた墓地を購入し、自分の墓を建てます。その直後、公爵夫人は亡くなり、墓地の番人ふたりは、三人目の番人として流れ者の男を雇います。仕事も楽だし、食事も素晴らしいのにもかかわらず、男は痩せてゆきます。
 怪奇小説の場合、一人称にしてしまうと、何となく結末が読めてしまうのが難点です。
→『名探偵ハリー・ディクソンジャン・レイ
→『新カンタベリー物語ジャン・レイ

マグナス伯爵」Count Magnus(1904)M・R・ジェイムズ
 主人公は、北欧を旅したラクソールという男の手記を手に入れます。それによると、ラクソールは、ある村で百年ほど前、故マグナス伯爵の森で狩りをしたふたりの男たちが狂ったり死んだりしたと聞かされます。その後、ラクソールは、伯爵の霊廟の南京錠が外れていることに気づき、慌てて逃げ出しますが……。
 数多くのアンソロジーに収録されている名作です。マグナス伯爵ははっきりとした形では登場しないし、襲われる描写はないし、血を吸われたとも書かれていないのに、実に恐ろしい……。

ベールブラウ荘奇談」The Story of Baelbrow(1898)E&H・ヘロン
 ある屋敷の「博物館」と呼ばれる部屋に幽霊が出ます。驚いているうちはよかったのですが、人が死ぬに至っては、解決のため専門家を呼ぶしかありませんでした。
「オカルト探偵フラクスマン・ロウ」シリーズの一編です。今読むと、ロウの推理には何の根拠もないのですが、それでも当時の探偵としては優秀でした。

生ける亡者の死」The Undead Die(1948)E・エヴァレット・エヴァンズ
 十七歳のロバートとリーサは、古城で迷子になり、吸血鬼によって「生ける亡者」にさせられてしまいます。それから何百年と月日が流れ……。
 吸血鬼の従者にさせられても、ふたりは互いへの愛と優しい気持ちを失いませんでした。永遠のように長く続く恋と、深い絶望の混じり合った美しく悲しい物語です。

生ける亡者の恐怖」The Horror Undying(1936)マンリー・ウェイド・ウェルマン
「わたし」は、吹雪で避難した小屋で、十九世紀の文書を発見します。その文書は、人肉を食うために人を殺しまくった男が、何度処刑されても蘇る様が描かれていました。そして、その記事の下には決まって「ばか者ども」と書かれています。
 吸血鬼+狼男のパターンです。脅威が過去で完結せず、文書を読む男に襲いかかってくるところがホラー小説として理想的です。
→『悪魔なんかこわくないマンリー・ウェイド・ウェルマン

コウモリはわが兄弟」The Bat is My Brother(1944)ロバート・ブロック
 土の下で目覚めた男は、自分が吸血鬼として復活したことを、先輩の吸血鬼に知らされます。先輩は、色々と講釈を垂れるのですが……。
 吸血鬼に噛まれることで不死身の吸血鬼になるのであれば、なぜ世界は吸血鬼でいっぱいにならないのでしょうか。その答えを提示した短編ですが、余り納得できません。やはり、リチャード・マシスンの『アイ・アム・レジェンド』のようになってしまうのではないでしょうか。

血の兄弟」Blood Brother(1961)チャールズ・ボーモント
 精神科医を訪れた青年は、吸血鬼であることの愚痴を零します。
 現代の大都市で吸血鬼が生活するのは大変です。血なんかより美味しいものは沢山あるし、欲しくもない棺桶なんて買わないといけないし、血が零れて駄目になったワイシャツの値段は高いし、お洒落したくても鏡に姿は映らないし……。

最後の手段」Something Had to Be Done(1975)ディヴィッド・ドレイク
 ベトナム戦争で戦死した部下の家族に、報告へゆく軍曹。家族は遺体が還ってくると思っていましたが……。
 最前線で味方に吸血鬼が混じっていたら、正に前門の虎、後門の狼です。実は敵の作戦だったりして……。

夜だけの男」Night Life(1976)スティーヴン・アトリー
 ドイツからニューヨークにやってきた吸血鬼。NYには強盗や娼婦などの獲物が多く、彼は歓喜します。
「血の兄弟」とは全く逆の視点から描かれた都会の吸血鬼のスケッチです。都会には変わった人物も、青白い顔をした病人のような人間も、孤独な人も多いし、誰も他人に干渉しないので、いくらでも狩りができるというわけです。

キング・コングのライヴァルたち写真
キング・コング墜落のあと」After King Kong Fell(1973)フィリップ・ホセ・ファーマー
 今や孫のいるハウラー氏は、少年時代、ニューヨークで暴れたキングコングを目撃しており、そのときのことを孫に物語ります。
 集中、本物の『キング・コング』(1933)を扱っているのはこれと「テーマからの脱線」のみ。キングコングが髑髏島からニューヨークに連れてこられたのは事実で、映画はその事件を描いたという設定になっています。ちなみに、オリジナル映画の上映時間は百分ですが、コングがニューヨークで暴れ出すのは残り約十五分になってからです(二〇〇五年のリメイクでは上映時間百八十七分で、NYで暴れ始めるのは残り約四十分)。

怪物神」The Monster God(1913)H・ライダー・ハガード
 探検家アラン・クォーターメインは、アフリカに聖なる花を採取にゆき、巨大な猿に襲われます。
 クォーターメインものの長編『The Holy Flower』の一部分です。猿の正体について、クォーターメインは仲間外れにされ凶暴化したゴリラだと推理しますが、現地の人は猿の姿をした悪霊と考えます。銃で退治されてしまうので霊ではなさそうですが……。

白い猿の儀式」The Cult of the White Ape(1933)ヒュー・B・ケイヴ
 コンゴで昆虫を研究しているヴァリクスは、ゴム会社が送り込んできたベッツという乱暴な男と対立します。ベッツは美しい妻に暴力をふるい、現地の人を射殺したりするのです。そんなベッツは、白い猿を目撃し、恐れていたのですが……。
 ベッツは突如裸になり、狂ったようにジャングルに走り込むので、これが白い猿の正体かと思いきや……。よく考えると、悪人が強くなるのはおかしいですね。

ハドソン博士の秘密のゴリラ」Dr. Hudson's Secret Gorilla(1977)ハワード・ウォルドロップ
 目覚めると体がゴリラになっていた男。どうやら肉体が死に、ハドソン博士によって脳がゴリラに移植されたようです。
 キングコング系作品の共通点として、美女が登場し、猿がその美女を守ることがあげられます。逆にいうと、美女さえ現れなければ大きな事件にはならないわけです。

猿神神話」The Myth of the Ape God(1978)ジョゼフ・F・パミリア
 猿神の研究をしている教授の助手が、女性秘書にタイプの依頼をしますが……。
 古代エジプトギリシャ、果ては聖書に現れる猿の神の記述の合間に、助手が秘書に当てた手紙が挟み込まれます。読み進めると、男はふたりの女性を天秤にかけていることが分かります。ここでも「野獣を殺したのは美女」でした。

キラー」Killer(1974)カール・E・ワグナー、ディヴィッド・A・ドレイク
 古代ローマで、円形闘技場で戦わせる動物を狩るライコンは、馴染みの商人に鱗に覆われた猫のような青い獣キラーをみせられます。やがて、そいつは檻を破り逃げ出すと、人を殺しまくります。
 最早、キングコングどころか猿ですらなくなっています。古代を舞台にしているので、「キラーの正体は当時未知の動物だった」なんてオチかと思いましたが、結局、何の説明もなく拍子抜けします。

巨大な赤ん坊の攻撃」The Attack of the Giant Baby(1975)キット・リード
 フライバーグ博士が実験室に一歳の息子を連れていったところ、培養された菌を口にして巨大化してしままいます。無邪気に暴れまくる赤ん坊に麻酔弾を撃ち込もうとしますが、母親連の猛反対に遭い攻撃できません。
 猿ではなく人間の赤ん坊なので、より質が悪い。これも「キラー」と同じく何の解決策も示さず、映画の予告編のパロディみたいにしてお茶を濁したところが釈然としません。

花と怪獣」Beauty and the Beast(1940)ヘンリー・カットナー
 こちらをご覧ください。
→『ボロゴーヴはミムジイ』ヘンリー・カットナー

」Spawn(1939)P・シュライヤー・ミラー
 海からコロイド状の巨大な化けものがやってくる一方、南米では黄金の神が現れ……。
 もう何でもありです。これらがどうしてキングコングのライヴァルなんでしょう。キングコングには、勝手に都会へ連れてこられ攻撃され、美女を守って死んでゆくという悲しみが漂っていましたが、勿論そうした要素も皆無です。
 しかも、怪物化の原因は宇宙からやってきた胞子だとか(なぜ分かった!)、その胞子が世界を支配する四人のうちのひとりにも寄生したとか(たった三つのうちのひとつが最重要人物の上に降ってきた偶然!)、全く効果のない謎の一人称とか、無駄に読みにくい文章とか、突っ込みどころ満載です。

テーマからの脱線」Deviation from a Theme(1976)スティーヴン・アトリー
 映画『キング・コング』で、コングと恐竜が戦うといった出鱈目な設定は「なるほど、そういう理由か」と思わされます。といって、別に目新しいアイディアではなく、SFでは使い古された手です。

フランケンシュタインのライヴァルたち写真
イルルニュの巨人」The Colossus of Ylourgne(1934)クラーク・アシュトン・スミス
 十三世紀の錬金術師ナテールは自らの死期が近いことを悟ると、死体を集め巨人を作り、そこに乗り移ろうとします。不穏な動きを察したかつての弟子ガスパール・デュ・ノールは、イルルニュの城に向かいますが……。
 クトゥルフ神話に大きな影響を与えたといわれる作品だけあって、イメージの鮮やかさといい、数多くの死体で巨人を作り出すアイディアといい、ナテールやガスパールのキャラクターといい、見事です。

ドーベニイ=フィッツアラン家の末裔」The Last of the Daubeny-FitzAlans(1976)アーノルド・ハーヴェイ
 ドーベニイ=フィッツアラン家は矮人の家系で、さらに代々、人工的に生命を作り出す研究をしています。しかし、末裔はなぜか巨人でした。
 ごく短い短編で、あらすじを読むだけでオチがみえると思います。重要なのは、ラストシーンの骨の描写ですね。

ダンシング・パートナー」The Dancing Partner(1928)ジェローム・K・ジェローム
 ガイベルという機械仕掛けの玩具作りの名人が、理想的なダンスのパートナーがいないと嘆く女性のために、ダンスをする人形を作りますが……。
『ボートの三人男』と同じくらい有名な短編です。凄惨な印象を残しかねない物語なのに、サラッとまとめるところはさすがのユーモアセンスです。

モクスンの傑作」Moxon's Master(1899)アンブローズ・ビアス
 生命とは何かを議論する「私」とモクスン。モクスンは、生きているかのような機械を開発したらしいのですが……。
トルコ人」と呼ばれた自動チェス人形は十八世紀に作られ、エドガー・アラン・ポーが「メルツェルの将棋差し」で扱っていますが、ビアスの作品はさらに一歩進んだ感じです。ビアスは「アウルクリーク橋の一事件」の成功以後、読者を驚かせるだけの安易なオチを多用したといわれますが、今読んでも結構楽しめますよ。

カルンシュタイン博士の創造物」Dr. Karnstein's Creation(1976)ドナルド・F・グラット
 フランケンシュタイン博士の子孫であるカルンシュタイン博士(姓を変えた)は、トランシルヴァニアの古城で新たな怪物を作る実験を行ないます。
 オチは書けませんが、混合タイプとだけいっておきます。このふたつが合体したら、とんでもない怪物になってしまいます。結末は書かれていませんが、倒すことができたのか気になります。

ソウルノウク伯爵のロボット」Count Szolnok's Robots(1948)D・スコット=モンクリーフ
 ユダヤ人の血が混じっているイムレ・ノジはハンガリーから亡命し、戦後、ブラジルのマナウスに辿り着きます。そこで、ハンガリー出身のソウルノウク伯爵の存在を知ります。彼は、他人と余りつき合わず、様々なロボットに囲まれて暮らしていたことが分かります。
 主人亡き後も動き続けるロボットたち。それだけで十分不気味なのに、伯爵は自分が死んだ後、埋葬するよう指示まで出していたのです。オチはロボットSFの定番といえます。

ハーバート・ウエスト −死体蘇生者」Herbert West: Reanimator(1922)H・P・ラヴクラフト
 ミスカトニック大学医学部でハーバート・ウエストと同級だった「私」は、蘇生液を使って死者を蘇らせるというウエストの研究に共鳴します。ふたりで、死体を用いて様々な実験を行ないますが、上手くゆきません。
 ウエストに関する六つの短編が集まって中編小説を形成しているといった感じです。二章が特に面白かったです。ただ、雑誌に連載されたものなので、章が変わるごとに前回までのあらすじが記載されるのが鬱陶しい。生前、一冊しか単行本を出版できなかったラヴクラフトですから、編集する機会に恵まれなかったのです。
→『狂気の山脈にて』H・P・ラヴクラフト

ピテカントロプス・リジェクタス」Pithecanthropus Rejectus(1938)マンリー・ウェイド・ウェルマン
 ドクターによって脳と顎を改良され、思考して喋れるようになった猿、コンゴ。ドクターはそうした猿を沢山作り、安くて便利な労働力として利用しようと考えています。
 キングコングフランケンシュタインに共通する、身勝手な人間と、怪物の哀しみがよく表現されています。どちらに収録されてもよさそうです。

死んでいる男」The Dead Man(1950)フリッツ・ライバー
 マックス・レッドフォード教授は、記者の「私」にフィアリングという男を紹介します。フィアリングの潜在意識に命令を下すと、どんな病気にもなってしまいます。教授の次の実験は、フィアリングに死を命じることでした。実は、教授の美しい妻がフィアリングと浮気しており……。
 エドガー・アラン・ポーの「ヴァルドマール氏の病歴」や、ラヴクラフトの「冷気」と同様、死を操る物語です。この短編も怪奇小説の巨匠に負けていません。

鉄の男」Iron Man(1955)イアンド・ビンダー
 ロボット工場で働くベッカーは、ある日、突然、自分がロボットだと思い込みます。妻は、精神科医に相談しますが……。
 統合失調症の一種でしょうか。あの手この手で妄想を壊そうとする精神科医と、ロボットになり切るベッカーの対決が、よくできたコントのようで面白い。

マイ・ベストSF写真
人間そっくり」Almost Human(1943)ロバート・ブロック
 悪党のデュークは、ブラッサーマン教授の家で働いている恋人のローラから、教授が人工知能を備えたロボットを作ったことを聞き、押し入ります。そこで、ロボットのジュニアーに悪い知識を植えつけ、教授を殺害させます。その後、デュークはジュニアーに強盗をさせ、大金を手にしますが……。
 ブロックの作品なので、ロボットをテーマにしているものの、SFというよりホラーになっています。人間に似ていないから怖いもの、逆に人間に似ているから怖いものを上手く書き分けています。

※1:本書の編者名は「マイケル・パリー」となっているが、スペルは「Michael」ではなく「Michel」なので、ここでは「ミシェル・パリー」と表記する。

※2:原書は「ドラキュラ」「フランケンシュタイン」「キング・コング」の順で刊行された。


『ドラキュラのライヴァルたち』小倉多加志訳、ハヤカワ文庫、一九八〇
キング・コングのライヴァルたち』宇佐川晶子訳、ハヤカワ文庫、一九八〇
フランケンシュタインのライヴァルたち』仁賀克雄訳、ハヤカワ文庫、一九八一
『マイ・ベストSF』中村能三訳、創元推理文庫、一九六九


アンソロジー
→『12人の指名打者
→『エバは猫の中
→『ユーモア・スケッチ傑作展
→『ブラック・ユーモア傑作漫画集
→『怪奇と幻想
→『道のまん中のウェディングケーキ
→『魔女たちの饗宴
→「海外ロマンチックSF傑作選
→『壜づめの女房
→『三分間の宇宙』『ミニミニSF傑作展
→『ミニ・ミステリ100
→『バットマンの冒険
→『世界滑稽名作集
→「恐怖の一世紀
→『ラブストーリー、アメリカン
→『西部の小説』