読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ルネサンスへ飛んだ男』マンリー・ウェイド・ウェルマン

Twice in Time(1957)Manly Wade Wellman

 人づき合いが苦手な僕にとって、孤独を癒やしてくれる芸術を生み出す作家、音楽家、映画監督、漫画家などは生きてゆく上でなくてはならない存在です。
 なかでも、最も感謝しているのは翻訳家かも知れません。何しろ彼らがいなければ、世界中の傑作文学も、わけの分からない記号の集まりに過ぎないからです。

 翻訳は知識も能力も必要な上、大変な労苦を伴う作業であるにもかかわらず、小説家やイラストレーターらに比べると報われることが少ないのを常々気の毒に感じています。
 翻訳した作品がヒットしてくれれば苦労も報われるのかも知れませんが、ほとんど話題にならず、絶版になってしまうのは本当に悲しい。それが心血を注いだ仕事で、よい作品よい翻訳の場合は、なおさら辛いです。

 マンリー・ウェイド・ウェルマンの『ルネサンスへ飛んだ男』(写真)も正にそんな一冊です。
「傑作なのに訳あって評価されない小説を、作品に対する愛の強い者が和訳し、翻訳・編集作業は困難を極めたものの、訳本は余り売れなかった」という、最も同情に値する本だと思います。

ルネサンスに飛んだ男』は、翻訳書のみならず、原書も不幸な道を辿っており、「訳者あとがき」で詳しく説明されています。
 簡単に書くと、一九五一年に雑誌に掲載された六年後、単行本が発売されたのですが、その際、大幅なカットを余儀なくされたそうです。ウェルマンは作品のよさを損なわないよう苦労して削除・改訂したものの、やはり魅力の多くが失われてしまいました。
 その後、雑誌掲載版が刊行されましたが、それでめでたしめでたしとならなかったのは、削除改訂版には捨ててしまうには惜しいアイディアや、雑誌掲載時の間違いを修正した箇所が含まれているからです。
 そこで、訳者は両者を上手く混ぜて、日本オリジナルといえる版を作り出しました(※)。

 その是非については論じません。
 埋もれたままになっていた七十年も前の良質なエンターテインメントSFを読める幸運を素直に喜びたいと思います。

 一九三八年、時間反射機を発明したレオ・スラッシャーは、一四七〇年のフィレンツェにタイムスリップします。しかし、そこで妖術師グァラッコに捕らわれてしまいます。
 レオが未来からきたことを知ったグァラッコは、アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房へ修行にいかせます。その後、ロレンツォ・デ・メディチに仕えるようになったレオは、榴弾や飛行機械の製作に取り掛かります。
 同時に、レオは元の時代に戻るための時間反射機を作らなくてはいけません……。

 この小説に登場する時間反射機とは、対象物を一旦、消滅させ、別の時間に投影するといった仕組みです。一度、無に帰すのは、同じものがふたつ存在するのを避けるためです。また、場所の移動はできず、投影する位置には体を再生させるための動物の死骸が必要となります。また、対象物は左右反転してしまいます。
 牛の死骸から人間を作ってしまうという、よく考えると気持ち悪い機械ですが、少なくともオリジナリティはあります。

 時間移動の装置よりも面白いのは、過去の世界でレオの知識や技術、能力が生かされる場面です。
 レオの父親は、息子をエンジニアにさせるため専門の学校にいかせたものの、本人は画家になりたくて絵を勉強している、という設定です。そのため、化学の知識や技術、最新の画法を身につけています。さらにレオには、運動能力、体格、理論化された剣術までもが備わっており、十五世紀ではスーパーマンになってしまいます。

 とはいえ、限られた材料や設備を用いて、榴弾を製造したり、明礬からレンズを作ったり、脱獄するため塩酸を精製したり、グァラッコに対抗する武器としての塩素ガスを作り出すのはとても難しい。
 ウェルマンはその過程を丁寧に描いているため、グイグイと引き込まれます。マーク・トウェインの『アーサー王宮廷のヤンキー』ほど劇的な効果はなく、飽くまで小ネタなのですが、枝葉末節まで手を抜かずしっかりと押さえてくれるため、物語全体に厚みが出ます。

 それに対抗するグァラッコの怪しい仕掛け(伝声管や鉢の底に女の顔を浮かばせるなど)や妖術(催眠術)も楽しいですし、ブライアン・W・オールディスの『マラキア・タペストリ』ほど浮かれてはいませんが、主人公と美少女リザとの恋も描かれます。
 その上、剣戟もあり、六年もの長きに亘る牢屋暮らし(無実)もあり、トルコ軍の襲撃もあり、ロレンツィオとジュリアーノを暗殺する計画もありと、冒険活劇として盛り沢山の内容となっています。このまま映画化されても何の不思議もありません。

 なお、多くの登場人物は実在しており、概ね史実通りに物語が進んでゆきます。作中の重要なできごとであるヴォルテッラ暴動事件やパッツィ家の陰謀は、当然ながら実際に起ったことです。
 歴史が好きな人はそれだけで楽しめるでしょうし、結末が分かってしまうという最大の欠点はあるものの、史実から逸脱してはいけないという制約はプラスに働くこともあります。歴史と虚構を上手く組み合わせるのが作家の腕のみせどころであり、『ルネサンスへ飛んだ男』はその点でも十分合格点を取っています。

 さらに、最後にはサプライズが用意されています。
 が、これをサプライズと呼んでよいのかは微妙です。というのも、十五世紀のフィレンツェが舞台のフィクションで、この人が登場しないなんてあり得ないですし、「主人公の名前」「恋人の名前」「科学と芸術に長けている」「元の時代に帰るのが難しそうな時間反射機」「空を飛ぶのを夢みていたこと」などから、多くの読者がかなり早い段階でオチに気づいてしまうであろうからです。
 それでも、真打ち登場や予定調和といった見方をすれば、「待ってました!」という気分になれます。冒険活劇は、ミステリーと違って、正体がバレバレでも全く問題がないからです。

 ウェルマンは、様々なジャンルのエンタメ小説やヤングアダルト小説を大量に書いた作家ですが、少なくとも『ルネサンスへ飛んだ男』と『悪魔なんかこわくない』は細かい部分まで気を遣って丁寧に書かれているという印象を受けます。それによって、現代の厳しい読者の目にも十分耐えうるクオリティを維持していると思います。
 残念ながら、現在新刊で購入可能なウェルマンの長編小説はありませんが、古書店等でみつけたらぜひ手に取ってみてください。

※:一部、どうしても両立できない箇所については、巻末に別途掲載されている。

ルネサンスへ飛んだ男』野村芳夫訳、扶桑社ミステリー、二〇〇五

→『悪魔なんかこわくないマンリー・ウェイド・ウェルマン