『世界滑稽名作集』(写真)は、ユーモア作家の東健而が編訳した滑稽小説のアンソロジーです。
五人の作家を選んでいますが、ジーン・ウェブスター、ドナルド・オグデン・ステュアート、P・G・ウッドハウスの収録作に関してはほかにも翻訳があるので、この本を無理して入手する必要はありません。
とはいえ、昭和初期の翻訳だけあって、大胆な省略や意訳、固有名詞や舞台の日本への置き換え、タイトルの変更などを行なっており(いわゆる翻案小説。こちらを参照)、そういうのが好きな方にとっては堪らなく魅力的でしょう。
また、東の軽妙な文体や語り口は一読の価値があります。古い割に安く購入できる改造社の「世界大衆文学全集」のなかでも当たりの巻だと思います。
上記の三人以外は、この本でしか読めない作品が収録されています。
オクティバス・ロイ・コーヘンは、ポルトガル系ユダヤ人にもかかわらず、黒人の生活をユーモラスに描いた作品で人気を博した作家です。
日本では「探偵ジム・ハンヴィ」シリーズの短編などが訳されていますが、僕は読んだことがありません(読んだことがあるのは『世界ショートショート傑作選2』に収録されている「ブラック・マックス」のみ)。この本に収録されている二編も、別のタイトルで翻訳されている可能性はあります。
僕がこの本を手に入れた目的は、スティーヴン・リーコックです。
浅倉久志が「アメリカン・ユーモアを語る場合、カナダのスティーヴン・リーコックの影響をぬきにはできません。マギル大学の政治学教授でもあったこの偉大な作家は、それまでのイギリスとアメリカのユーモアを弁証法的に発展させ、一九一〇年代から、ユーモア・スケッチの原型ともいうべき作品を数多く発表しました」(『すべてはイブからはじまった』の訳者あとがき)というくらい重要な作家でありながら、日本では今に至るまで単著がありません。
我が国においてユーモア小説がいかに軽視されているかを表しているようで悲しくなります。
リーコックの作品は、ウッドハウスやカミと同様、戦前の「新青年」や、一九七〇〜一九八〇年代の「ミステリマガジン」で盛んに紹介されたものの、今、入手しやすいのは『ユーモア・スケッチ傑作展』や『アメリカほら話』といったアンソロジーに限られます。
そうしたアンソロジーにリーコックの名前をみつけると購入するようにしていますが、最近はその機会もほとんどなくなりました……。
『世界滑稽名作集』に収録された四編中二編はほかでも読めますが、「奮闘生活」と「超人の戀」はほかに訳があるかどうか分かりません(少なくとも僕は持っていない)。
『蚊とんぼスミス』Daddy-Long-Legs(ジーン・ウェブスター)
「聞き慣れない不思議なタイトル」「ジャン・ウヱブスターという著者名」「滑稽名作」と並ぶとピンとこないかも知れませんが、『蚊とんぼスミス』とは『あしながおじさん』のことです(一九一九年に本邦初訳として刊行されたものの再録)。
『蚊とんぼスミス』はその後、遠藤寿子によって『あしながおじさん』という邦題がつけられ、こちらが一般的になりました。
しかし、主人公ジュディの、権威に屈することのないユーモアセンスや批判精神を表すのに「あしながおじさん」ではメルヘンチックすぎます。篤志家をも遠慮なくからかう「蚊とんぼスミス」の方が遥かに彼女らしいといえます。
実際、東訳を愛する者もいて、中村妙子はロアルド・ダールの『オ・ヤサシ巨人BFG』の「訳者から」で、こう書いています。
「そんな誤訳があったにもかかわらず、わたしはその後に読んだ、どの『足長おじさん』よりも、小学生のときにひとりで大笑いした、東健而という訳者の一冊が面白かったような気がしています」
ここでいう「誤訳」とは、孤児のジュディは『娘大学』(『若草物語』のこと)を読んだことがなかったため、「おつけもの」(原文は「おつけもの」ではなく、「御香物」や「漬物」)の話についてゆけなかったという箇所です。ちなみに「漬物」は二〇〇五年に新訳された土屋京子訳では「塩漬けライム」や「ピクルス」になっています。
誤訳というより、当時の読者には漬物の方が分かりやすいと考えたのでしょうね。
似たような例は、ほかにも沢山あります。面白いので、いくつかあげてみます。
「プルーンプディング」→「梅のプリン」
「ギンガムチェック」→「弁慶縞」
「ポップコーン」→「はじけ玉蜀黍」
「糖蜜キャンディ」→「有平糖」
『嵐が丘』→『ワサリングの丘』(『嵐が丘』という邦題は斎藤勇による)
そのほか、ドルと円が混在していたりもしますが、大きな省略もなく、当時にしてはしっかりと翻訳されています。勿論、ウェブスター自身によるイラストもしっかり載っています。
さらに、小気味よさという点では、現代の翻訳より優れているかも知れません。
なお、『あしながおじさん』は今でこそ少女小説として読まれていますが、最初は中流階級の主婦向け雑誌に掲載されました。女性読者は、ジュディの購入するドレスやストッキングに大いに憧れたそうです。そして、新しいタイプの自立する女性像を見出したわけです。
一方、日本では東によって滑稽小説として紹介されました。ウェブスターが生きていたら吃驚したかも知れませんが、そんな読み方をしても通用してしまうのがこの小説の凄いところです。
女の子の読むものだと早合点している男性は、一度読んでみることをお勧めします(入手しやすい新訳でも可)。
「とても腹が空つた話」(オクティバス・ロイ・コーヘン)
博打で負けた古川犀は、女房に叱られるのを恐れ、仙台から東京に出てきます。けれど、汽車賃を払うと一文なしになってしまい、飯も食えません。そんなとき、食堂で映画監督の大久保忠良と喜劇役者の大場大海に出会い、スタントマンを引き受けることで食事を御馳走になりますが……。
舞台を日本に置き換えています。恐らく主役の犀は、原書では黒人なのでしょう。黒人英語をズーズー弁で表現したようです。
犀のことを田舎者と馬鹿にしていたら実は知恵者で、映画会社の人も監督も役者も皆、やっつけられるのが痛快です。まんまと手に入れた金額の細かさに笑い、それには意味があることが分かり吃驚するという仕掛けも面白い。
「毆られた人氣俳優」(オクティバス・ロイ・コーヘン)
大久保監督と大海は犬猿の仲です。大久保監督は、人気女優河村浪子の恋人であるボクサーの伴鐵五郎と知り合いになり、あるアイディアを思いつきます。それは、大海と浪子のラブシーンをみせつけ、嫉妬した鐵五郎に大海をやっつけさせるという案です。
「とても腹が空つた話」と同じシリーズです。タイトルでネタバレしており、捻りがないのが難点です。ただし、オチはついています。古今東西、映画人というものはプライドの塊のようですね。
「奮闘生活」(スティーヴン・リーコック)
田舎から都会に出てきた青年。真面目に働いても、すぐにクビになってしまいます。嫌気が差した彼は、拳銃を手に入れ、強盗殺人を犯します。すると今までとは逆に、裁判は有耶無耶になり、大金は転がり込み、名士として持て囃されるようになります。
これも舞台は日本です。悪が蔓延る都会においては、犯罪者の方が出世すると皮肉っています。短いにもかかわらず、ナンセンスギャグがたっぷり含まれています。
「殿下を訪問」Ideal Interviews(スティーヴン・リーコック)
どこの国からきたか分からないインチキ殿下をインタビューするアメリカの記者。
『ユーモア・スケッチ傑作展2』に収録されている「架空会見記」の第一章に相当します。原文にはない前書きがついているのは、ナンセンスなインタビューだけだと読者が戸惑うと思ったからでしょうか。
馬鹿な会話でも礼節を欠かないところが笑えます。
「盗まれたプリンス」Maddened by Mystery: or, The Defective Detective(スティーヴン・リーコック)
ウルテムベルグのプリンスが誘拐され、ロンドンの探偵(シャーロック・ホームズもどき)が捜査に乗り出しますが……。
「ミステリ狂、或いは迷探偵」や「欠陥探偵」のタイトルでホームズのアンソロジーなどに掲載されています。
読者には、プリンスが犬のことだとすぐ分かるのに、探偵だけがいつまでも気づかないというネタです。けれども、それでおしまいではなく、とんでもない結末が用意されています。
「超人の戀」(スティーヴン・リーコック)
ロシア人のセルゲーは知識欲旺盛ですが、周囲に学のある者がおらず悩んでいました。ある日、警察署長を爆殺した罪でオルガという少女が逮捕され、セルゲーはオルガに恋をします。やがて、モスクワの学校へ通うため下宿をしたセルゲーは、向かいの監獄の窓に、明日処刑されるオルガがいるのを目にします。実は、その下宿のおかみはオルガの母親で、兄ふたりとともに、オルガを救う計画を立てていたのです。
はっきりと年号が書かれていませんが、恐らく第一次世界大戦前夜の物語のようです。近代化、政治的自由化の遅れたロシア帝国における若者たちの希望と挫折を描く感動的な短編で、全然リーコックらしくない……。
ただし、真犯人は別におり、その殺害方法がナンセンスです。よく考えてみると「がんばれガートルード、または純真な17歳」も似たようなパターンなので、寧ろリーコックらしいのかな。
「モガ嬢モボ氏の行儀作法」Perfect Behavior(ドナルド・オグデン・ステュアート)
ハウトゥー本のパロディです。
「冠婚騒災入門」として『ユーモア・スケッチ傑作展1』にも収録されています。本来は四章までありますが、ここでは「戀の行儀作法」「旅行の行儀作法」「音樂の行儀作法」の三章のみ訳されています。
すべてを日本に置き換えており、すると当然ながら風俗習慣が異なるため、ほとんど創作といってよいくらい改変してあります。本当は褒められたことではないのでしょうが、ほかに翻訳もある今となっては却ってありがたいです。
→『ハドック夫妻のパリ見物』ドナルド・オグデン・ステュアート
「踊らん哉ワイフの爲に」The Man with Two Left Feet(P・G・ウッドハウス)
銀行の出納係ヘンリーの趣味は百科事典を読むことです。しかし、若く踊りの上手な女性と結婚した後、彼女を喜ばせようと、密かにダンスを習い始めます。それを披露できるチャンスが巡ってきましたが……。
「足の不器用な男」として『ウッドハウス短編集』にも収録されています。
東は「譯者より讀者へ」で、「彼がこの頃書くものは私にはあまり感心が出来ない。金持の馬鹿息子だの、狂人だの、恐ろしく變つた人間だの−と、どうもさう云つた人物が多く出て来る」と書いていますが、要するにこれは「ジーヴス」シリーズや「ブランディングズ城」シリーズといった有産階級の人々を主人公にした小説を指しているのでしょう。
ウッドハウスといえば、今ではそれらのシリーズの作家として認識されていますが、確かに初期には庶民の人情ものを多く書いています。東はそれらが好みのようです。
後期の短編のようにゲラゲラ笑うことはできませんが、善人たちによる優しい物語が心に染みます。
→『ゴルフ人生』『ゴルきちの心情』『P・G・ウッドハウスの笑うゴルファー』P・G・ウッドハウス
→『ヒヨコ天国』P・G・ウッドハウス
→『劣等優良児』P・G・ウッドハウス
→『笑ガス』P・G・ウッドハウス
「Kちやん」The Making of Mac's(P・G・ウッドハウス)
安食堂の主マックには、息子のアンディと養女のKちゃんがいました。マックが卒中で倒れ、アンディは大学を辞めて店を切り盛りするようになります。しかし、Kちゃんはダンサーになる道を選びます。やがて、スターになったKちゃんは毎晩マック亭にやってきます。それが評判となって店は繁盛するのですが、ダンサーになることに反対していたアンディはKちゃんを追い払ってしまいます。
「マック亭のロマンス」として『ドローンズ・クラブの英傑伝』にも収録されています。
その本の訳者は、東訳について『最後の数センテンスを含めてかなりの分量がカットされたり、訳者による解説が地の文に織り込まれたりするといういかにも「大衆」的な翻訳スタイルだが、訳者の原作理解は意外なくらい行き届いており、独特の語り口と相まって現在読んでも楽しめる』と書いています。
「ロンドンの給仕の言葉の調子や色合は日本の東京の江戸ッ子と言った調子ですからね。だからこの話は熊さん八ッあんの言葉で書くことにする」というのが地の文に混ざってきます。ですが、その語り口は東のいうとおり違和感なく、スラスラ読めます。「人情」をキーワードに翻訳することができた大らかな時代、そして作者と訳者の幸福な出会いが齎した素敵な短編です。
『世界滑稽名作集』世界大衆文学全集34、東健而訳、改造社、一九二九
アンソロジー
→『12人の指名打者』
→『エバは猫の中』
→『ユーモア・スケッチ傑作展』
→『ブラック・ユーモア傑作漫画集』
→『怪奇と幻想』
→『道のまん中のウェディングケーキ』
→『魔女たちの饗宴』
→「海外ロマンチックSF傑作選」
→『壜づめの女房』
→『三分間の宇宙』『ミニミニSF傑作展』
→『ミニ・ミステリ100』
→『バットマンの冒険』
→「恐怖の一世紀」
→『ラブストーリー、アメリカン』
→『ドラキュラのライヴァルたち』『キング・コングのライヴァルたち』『フランケンシュタインのライヴァルたち』
→『西部の小説』
→『恐怖の愉しみ』
→『アメリカほら話』『ほら話しゃれ話USA』
→『世界ショートショート傑作選』
→『むずかしい愛』
→『魔の配剤』『魔の創造者』『魔の生命体』『魔の誕生日』『終わらない悪夢』
→『天使の卵』『ロボット貯金箱』
Amazonで『世界滑稽名作集』の価格をチェックする。