読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『目覚め』ケイト・ショパン

The Awakening(1899)Kate Chopin

 ケイト・ショパンは、フランス貴族の血を引くセントルイスクレオールです。六人の子を抱えたまま若くして未亡人となった彼女は、収入にもなり、心の癒やしにもなる小説の執筆を始めます。
 短編小説でデビューしたショパンは、やがて人気作家となります。しかし、十九世紀最後の年に発表した『目覚め』(写真)(※)が不道徳と批判され、社交界からも文壇からも締め出されてしまいます。その後、短編をいくつか発表したものの、失意のまま筆を折りました。

 ショパンは、長く忘れられた作家でしたが、二十世紀半ばにフェミニズムの観点から再評価が進み、『目覚め』も女性の自立と自由を描いた先駆的な作品として、アメリカ文学において重要な地位を占めるようになりました。

『目覚め』の邦訳は、牧神社、荒地出版社、南雲堂から刊行されました。しかし、広く読まれているとはいいかねます。
 大手の出版社ではないという理由もあるかも知れませんが、こうした作品の場合、研究する人は多いものの、一般の読者は置いてけぼりを食いやすい。
 要するに、「女性の性の解放」「道徳的であることが美徳とされた時代に自由を求めた女性」「家父長制に抵抗する女性」「クレオール文化」「南部の聖書地帯出身の女性がカトリック教徒と結婚した」といったキーワードばかりがひとり歩きすることによって、実際に小説を読んでみようという気が失せてしまうのではないかと思うのです。
 エリカ・ジョングの『飛ぶのが怖い』なども世間でいわれているのと全く異なる読み方ができるのと同様、『目覚め』も余計なものを取っ払って、まずはひとつの文学作品として楽しむことが大切ではないでしょうか。

 エドナは、裕福なレオンス・ポンテリエールと結婚をし、ふたりの子どもを儲けました。まだ若く美しい彼女は、自宅のニューオリンズから、避暑のためグランドアイル島にやってきました。多忙なレオンスに代わり、コテージの持ち主であるルブラン夫人の息子ロバートがあれこれ世話を焼いてくれます。
 エドナとロバートは少しずつ親密になってゆきますが、ロバートは唐突にメキシコへいってしまいます。そして、エドナの心には、ぽっかりと穴が空きます。
 やがて、ニューオリンズに戻ったエドナは、何にも縛られず、自由に生きることを選択します。そんなとき、ロバートがメキシコから帰ってきて……。

 この小説の素晴らしいところは、時代、場所、性別、文化、人種などを超越している点です。
 エドナの苦悩は、二十一世紀の日本のおっさんが読んでも心に響きます。後述するとおり、普遍的な問題を扱っているからです。
『目覚め』は、フェミニズム文学という狭い檻に閉じ込めるのではなく、アイデンティティの確立をテーマにした文学として、多くの読者に読まれるべきでしょう。

 エドナは、ある日を境に、世間で常識とされる妻や母親の役割を放棄します。そして、誰にも邪魔されず、好きなときに絵を描く生活を始めるのです。
 夫のレオンスに叱られると、態度をより硬化させるだけで、決して従おうとしません。彼女にとって自由を奪われることは死を意味するからです。
 さらに彼女は、夫から経済的に自立するため、自分のお金で小さなアパートを借ります。

 エドナは人妻でありながら、ロバートへの愛を隠そうともしませんし、いい寄ってくる青年アロンビンとキスもするし、マダム・アデレ・ラチィニョールにはレズビアン的な感情を抱きますが、それらは飽くまで「目覚め」るためのきっかけに過ぎません。
 その目覚めとは、妻でも、母でも、恋人でもなく、エドナ自身として生きることを指します。

 エドナの覚醒は、やや唐突という印象を受けましたが、だからこそ衝撃も大きかったはずです。当時は勿論、現代においてさえ、これほど潔くすべてを捨てて生まれ変われる女性はまずいないでしょう。
 しかし、社会的なつながりを一新し、心のままに生きようとするエドナの魂は、剥き出し故の脆さがあります。

 ロバートを愛し、愛されていることを意識しつつ、いつかは彼も去ってゆくと諦観し、幼いふたりの子どもでさえ自分をつなぎとめておくことはできないと考える彼女には、どのような時代においても居場所はありません。
 実際、一切妥協をせず、あらゆるものから解放されたいと願う女性が辿り着ける唯一の場所へ向かうところで物語は幕を閉じます(ラストシーンは評論家の間でも様々な解釈があるが、僕は「エドナ自らが現世と決別した」と理解した)。

 繰り返しますが、女性に限らずあらゆる人に読まれて欲しい傑作です。

※:僕が持っているのは牧神社版なのでタイトルは『めざめ』だが、今回は一般的な『目覚め』という表記を採用する。

『めざめ』杉山和子訳、牧神社、一九七七

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