読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『教授の家』ウィラ・キャザー

The Professor's House(1925)Willa Cather

 絶版の本の感想文を書いていると、「この本は復刊されそうだな」とか「この作家は再評価されるかも」なんて思うときがあり、その予感は結構当たります。
 ウィラ・キャザーの『おお開拓者よ!』の感想を書いたのは今から十年前で、そのとき「キャザーだって復刊すれば、結構売れるような気がするんですけどねえ」なんて書いていますが、残念ながら、その後は須賀敦子訳の『大司教に死来る』が出版されたくらいでした。

 というわけで、別の本の感想を書くことにします。
 キャザーというと、『おお開拓者よ!』や『マイ・アントニーア』のように少女時代の開拓地での思い出を郷愁たっぷりに描いた作品を思い浮かべる人が多いと思いますが、『教授の家』(写真)はそれらとは異なり、家族や仕事に恵まれているにもかかわらず、孤独に苛まれる中年教授の悲哀を丁寧に書いた作品です。
 主人公は、性別こそ違えど当時のキャザーと同年配なので、あるいは彼女自身の胸中を吐露したものかも知れません。
 まずは、あらすじから。

 ハミルトン(カナダ)にある大学で歴史学の教授をしているゴッドフリ・セント・ピーターは、出版した歴史書が賞を取り、その賞金で新しい家を購入します。妻はその家に移り住みますが、ゴッドフリは古い家に書斎を残し、そこで執筆をしています。
 彼にはふたりの娘がいて、ともに家庭を持っています。しかし、ゴッドフリは彼らよりも、第一次世界大戦西部戦線で命を落とした、弟子のトム・アウトランドを愛しく思っています(※)。
 夏の休暇に、妻と娘夫妻をパリに旅行にやり、ゴッドフリはアウトランドの日記を出版するための作業を始めます。

 ゴッドフリの娘のうち、姉のロザモンドはアウトランドと婚約していたため、彼の発明が齎した莫大な特許料を相続しました。それが妹のキャスリーンと夫との間に溝を作っています。ゴッドフリの妻リリアンは、両者との距離を上手く取り、楽しくやっていますが、ゴッドフリは居心地の悪さを感じています。
 彼はアカデミックな世界の住人ですが、大学関係者にも俗物が多く、研究一筋だった同僚でさえアウトランドの遺産に惑わされます。

 そんなゴッドフリの唯一の逃げ場が古い家です。
 そこにはオーガスタという裁縫婦がいて、彼女だけには気を遣わずに済みますが、本当は過去に思いを馳せているのです。
 タイトルからも分かるとおり、この家には若きアウトランドが訪ねてきて、家族たちと過ごした幸せな思い出が宿っています。ゴッドフリは、その貴重な時間が恋しくて仕方ありません。

 第二章「トム・アウトランドの物語」は、打って変わって、アウトランドがハミルトンにやってくる前の手記になります。
 そこでは、ロドニー・ブレイクという相棒とともに、放牧の仕事をし、その際、岩窟居住者の遺跡を発見するという冒険が語られます。
 しかし、折角の発掘調査は首都の博物館に無視され、アウトランドが失意のまま遺跡に戻ると、出土品はブレイクの手によって売り払われていました。それはブレイクの裏切りではなく、アウトランドを大学にやるための資金だったのですが、それを潔しとしないアウトランドはブレイクと仲違いしてしまいます。

 この章は、一見、本筋から逸れているように感じます。
 しかし、アウトランドが親友と別れてしまったという無念は、そのままゴッドフリの心残りにつながるのです。
 アウトランドは、ブレイクのことが忘れられず、ゴッドフリの姉妹に、まるでフィクションのヒーローのように語って聞かせます。
 それと同様、ゴッドフリにとってのアウトランドは、妻や娘よりも魂の結びつきを強く感じる存在なのです。

 ゴッドフリとアウトランドは、血縁もなく、家族でもなく、それどころか上司でもありません(ゴッドフリは歴史学で、アウトランドは物理学)。その上、ともに過ごした時間も決して多くない。
 にもかかわらず、ゴッドフリにとってアウトランドは、この世の誰よりも崇高で、尊敬に値する人物です。逆にいうと、そのせいで、ほかの者はすべて俗物にみえてしまいます。

 アウトランドの側から、ゴッドフリがどのような存在であったかは書かれていませんが、恐らくこれは一方通行の思いなのでしょう。
 それは、神への愛に似ているように感じます。

 とはいえ、神とは違い、ゴッドフリにはアウトランドと同じ時間を過ごした記憶が残っています。
 ゆき場のなくなったゴッドフリの孤独な魂は、ついにアウトランドの後を追いかけようとしてしまうのですが、それを救ってくれたのは、ある意外な人物でした。

 ゴッドフリは、その人のお陰で、現実を生き抜く決心をします。それはそれで感動的なラストではあるものの、長く暮らした家族や、趣味や価値観を共有する者との結びつきとは何なのか、考えさせられます。
 人と人が惹かれ合うのに、そんな表面的なものは意味がない。経済力や容姿は勿論、優しいとか思い遣りがあるなんてのも人を好きになる理由にならない……と宣言してみたいのですが、俗人である僕は、残念ながら、その境地に至るのが難しそうです。

 尤も、ゴッドフリがそうであったように、そうした人物は探し求めるのではなく、突然目の前に現れるのでしょう。
 あるいは、それは人間ではなく、学問や芸術なのかも知れません。

※:キャザーの仲のよい従兄弟G・P・キャザーが西部戦線で戦死している。彼をモデルにして書いたのが『われらの一人』である。

『教授の家』安藤正瑛訳、 英宝社、一九七四

→『おお開拓者よ!』ウィラ・キャザー

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