Roald Dahl's Guide to Railway Safety(1991)Roald Dahl
大人の読者は意外に思われるかも知れませんが、ロアルド・ダールは質・量ともに、紛う方なき「児童文学作家」です(正確にいうと、四十歳代半ばから児童文学作家になった)。
日本でも、評論社の「ロアルド・ダールコレクション」をはじめ、二十冊以上の児童書が刊行されています。『小さな大天才マチルダ』『チョコレート工場の秘密』『オ・ヤサシ巨人BFG』など映画化・アニメ化された作品も数多くあります。
そのダールが最後に書いた児童書が『ふしぎの森のミンピン』です。
物語のおしまいの「なにより、いつでも、きみのまわりの世界を、こうきしんいっぱいに目を見ひらいて見まわしてほしい。だって、すばらしいひみつの世界は、たいていありそうもないところに、かくれているものだからね。まほうの力をしんじない人には、ぜったい見つけられっこない世界だよ」という文章は、子どもたちに向けた最後のメッセージといわれています。
ところが、『ロアルド・ダールの鉄道安全読本』(写真)は、それより後に執筆されたらしいのです。
といっても、これは市販本ではありません。英国にかつて存在した国鉄(ブリティッシュレール)が鉄道を安全に利用してもらうためにダールに依頼して作成したパンフレットで、駅に無料で置かれていたものです。
只で手に入る小冊子とはいえ、見逃せない一冊です。
前述のとおり、ダールの最後の作品かも知れませんし(田舎暮らしについて一月ごとに語った『一年中わくわくしてた』も同じ頃に書かれたか?)、ダールと長くコンビを組んだクエンティン・ブレイクのフルカラーイラストもふんだんに使われているからです。
そして、何よりダールらしさがよく出ているのがファンとしては嬉しいところ。
例えば、『ふしぎの森のミンピン』は良質のファンタジーですが、ダールの特徴ともいえる「毒」が欠けています。リトル・ビリーという少年が、小人のミンピン一族、野鳥と手を組んで森に住む怪物をやっつけるという単純な物語で、怪物以外は誰も傷つきません。
実の祖母が消えたのに無理矢理ハッピーエンドにしてしまう『ぼくのつくった魔法のくすり』や、不潔な夫婦がペチャンコになる『アッホ夫婦』のような無邪気な残酷さを求める僕にとっては、少々もの足りないのです。
「『ロアルド・ダールの鉄道安全読本』はフィクションじゃないのに、毒があるのか」と思われるかも知れません。
それがあるんですよ。ふふふふ。
まず、ダールは子どもたちに「いいわけ」をします。
大人は子どもに「これをしろ」「あれをしてはいけない」といい続けてきました。そのため、子どもは大人を敵と認識するようになりました。それが嫌だったダールは、自分の本のなかで、子どもに命令しないように気をつけてきたのです。
それなのに、『ロアルド・ダールの鉄道安全読本』では「これをしろ」「あれをしてはいけない」といわなくてはいけません。なぜなら、それが命にかかわることだから。
また、ダールが子どもの頃、主な交通機関は鉄道でした。今は、自動車に取って代わり、電車のことを余り知らない子どもが増えてきています。
そんな彼らには、鉄道の魅力を伝えたり、懐かしい昔話をしたりするよりも前に、鉄道の正しい使い方を教えるべきだと考えたのでしょう。勿論、「もう一度、鉄道の時代がきてくれないかなあ」という希望も込められていると思います。
本編となる「鉄道を安全に利用するための注意」については、現在の日本の鉄道とは余りに違いすぎて実用価値はほとんどありません。
でも、だからこそ読みものとして興味深い。「英国の鉄道は、プラットホームに自転車で入ってよい」「列車のドアを手動で開閉させるため、走り出した列車に飛び乗る人が後を絶たない」「英国は二本のレールの外側にある三本目のレールから電流を取り入れる第三軌条方式を採用しているので、線路の上を歩くと感電する」など吃驚することが沢山書かれています(※)。
ダールの思い出話も、全然ほのぼのしていなくて愉快です。おしっこを我慢できなくなった子どもが、海軍大佐である父親の海軍帽に小便をして、窓から捨てたら駅のポーターがびしょびしょになったなんて、この本に書かなくてもよいような気がしますが……。
さらに、ブレイクのイラストも容赦がありません。窓から顔を出したため、首がちょん切れて血が飛び散っていたり、感電して全身ビリビリになっているイラストなんて、日本の鉄道会社だったら間違いなく没にするでしょう。
子どもを脅すのが目的だとしても、さすがに残酷すぎます。
それにしても、普通はスルーするであろう鉄道会社のパンフレットなんてものまで邦訳・出版してくれるとは日本の出版社も捨てたもんじゃないですね。本文に割り込むように訳者の思い出話が挿入されているのには閉口しますが、それ以外は文句のつけようがありません。
ダール好きか、児童文学好きか、鉄道好きであれば、古書価格が上がらないうちに、ぜひどうぞ(『まるごと一冊ロアルド・ダール』にも一部が掲載されている)。
※:昔、名古屋で電車に乗ったとき、車内で自転車に跨った青年をみかけた。「名古屋では自転車に乗ったまま乗車してもいいんだ!」と驚いていたところ、駅員が飛んできて注意していた……。
『ロアルド・ダールの鉄道安全読本』安藤陽訳、日本経済評論社、二〇〇一
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