Tales from Underwood(1952)David H. Keller
『アンダーウッドの怪』(写真)は、デイヴィッド・H・ケラーの日本で唯一の商業出版の単著です(SF資料研究会から『頭脳の図書館』という短編集は出ている)。
ケラーの本業は精神科医で、文学は趣味として十歳代の頃から書き溜めていたそうです。純粋に自分のためだけに執筆し、誰にもみせることはなかったのですが、四十七歳のとき、原稿をヒューゴー・ガーンズバックに送り、採用されて商業デビューを果たしました。
しかし、本業が多忙だったため、専業作家になったのは何と六十五歳のときだったとか。
ところで、ガーンズバックに見出され、編集者としても採用されたことから分かるとおり、ケラーは最初期のSF作家です。
『アンダーウッドの怪』にも勿論、SFが収録されていますが、アイディアもテーマも古臭いという理由で、以下の五編が割愛されてしまいました(原書は二十三編収録で、収録順も異なる)。
「The Yeast Men」
「The Ivy War」
「The Flying Fool」
「A Biological Experiment」
「Free As the Air」
ケラーは、SF以外にホラーやファンタジーも書いており、なかでも評価されているのは精神科医という専門性を生かした恐怖小説といわれています。
確かに、ホラーは明らかに出来がよいので、それだけ集めて文庫化したら、そこそこ売れそうではあります。
「地下室の怪異」The Thing in the Cellar(1932)
古い地下室のある家に生まれたトミーは、赤子の頃から地下室のドアのある台所を異常に怖がります。六歳になったとき、医師に相談すると、地下室の扉を開けた状態で台所に閉じ込めるという荒療治を提案されます。
医師の間違った療法のせいで悲劇が起こります。トミーの心の問題なのか、地下室には得体の知れないものがいるのかが問題ではなく、医師の治療法に焦点が当てられているのが面白い。
「馬勒」The Bridle(1942)
ペンシルベニアの貧しい村で医院を開業したマルベルト。この村にはいがみ合うふたつの家があり、片や美女が、片や醜い男がいました。ある日、醜男が馬に蹴られて死に、その馬を引き取ったマルベルトが馬勒を外すと、馬は逃げてしまいます。その後、美女が瀕死の状態で発見されます。
馬勒は、かつて魔女が人間の皮を使って作ったもので、人を馬に変え、支配することができます。普通なら真相を知った時点で馬勒を手放すでしょうが、マルベルトは何と、それを使って……。
「タイガー・キャット」Tiger Cat(1937)
イタリアの山荘を購入したアメリカ人は、地下室にある重い扉をみつけます。鍵を借りに家主を訪ねると、そこには絶世の美女がいました。その山荘は持ち主がコロコロ変わっており、怪しんだ主人公がこっそり扉の先に侵入すると……。
恐ろしいけれど、余りに異様で、大掛かりすぎるので、実現するのは難しそうです。
「芳香の庭園」The Perfumed Garden(1948)
二十年間教会に献金し続け、その間、ひたすら焼き立てパンを売ってきたジョーンズは、ある日、客の言葉によって目覚め、博物館や図書館に通うようになります。そこで『匂える園』(アラブの性愛文学)の存在を知り、何とか入手します。
愚直な男が人類学にのめり込む様子を冗談めかして描いており、オチもユーモラスです。
「死んだ女」The Dead Woman(1934)
ある男が逮捕されます。男の供述は「妻が病気になり、医師を呼ぶが、どこも悪くないといわれた。しかし、そのうち妻は死に、蝿がたかり、蛆が湧いた。葬儀屋を呼ぶものの、死人などどこにもいないといわれたので、仕方なく屍体をトランクに詰めるためバラバラにした」というものでした。
余りに怖すぎて雑誌への掲載が拒否された作品です。人は自分がみたものを信じたくなりますが、幻覚だって「みた」ことには変わりありません。
「発想の刺激剤」The Literary Corkscrew(1934)
中年の女性が精神科医を訪れ、夫のことを相談します。夫は高名な作家だが、病気や怪我で激しい痛みが起こらないと傑作が書けないといいます。ある日、夫は妻に自分を傷つけるよう頼み、妻は夫の背中にコルク抜きを刺します。
痛い系のホラーかと思いきや、あらぬ方向へ話が転がります。ケラーの小説のパターンを知っている読者ほど騙されそうです。
「リノリウムの敷物」A Piece of Linoleum(1933)
夫に自殺された妻の告白です。妻にとっては、どれも当たり前のことですが、じわじわと夫を蝕んでいたことには気づきません。その象徴がリノリウムのマットです。
「阿片常用者」The Opium Eater(1952)
ケシ畑の真んなかに住むホワイト老人には不思議な力がありました。嫌われ者の彼は、得体の知れない呪術で町の人々を殺していたのです。
どうやら、呪いと阿片は無関係らしく、阿片の方はラストに思わぬ形で使用されます。
「健脚族の反乱」The Revolt of the Pedestrians(1928)
未来において人類は、足を退化させ、オートカーで移動する自動車族と、足を使う健脚族に別れ、争っていました。ほぼ皆殺しにされた健脚族は百年後に反乱を起こします。
古めかしい設定のSFです。まあ、それをいったら、ブルース・スターリングの「機械主義者/工作者」シリーズだって似たようなものですが……。最早、文明批評にもなっていませんけれど、不思議と詰まらなくはありません。
「クラゲ」The Jelly-Fish(1929)
海洋微生物の研究班に、ケイリング教授という傲慢な男がいます。彼は、自分が神より偉大だといい、それを証明するために……。
ショートショートなのでオチは読みやすい。今なら、差し詰め「死亡フラグが立った」というところでしょう。
「ドアベル」The Doorbell(1934)
作家のヘンリー・セシルはアイディアを得るため、鉄鋼業で財をなした男の別荘に向かいます。玄関にドアベルがあり、それを押すと悲鳴のような音が聞こえます。
伏線は張られていますが、つながりは強引で、必然性を感じません。
「怪音」The Worm(1929)
二百年前に先祖が作った製粉所を営む孤独な老人。ある日、地下から振動と怪音が響くようになります。
家族も友人もいない老人は、何があっても土地にしがみつき、他方、巨大なワームは「仲間を求めて」彷徨います。
「ロボット乳母」The Psychophonic Nurse(1928)
多忙な妻のため、ロボット乳母を作った夫。それが評判になりますが……。
捻りのないディストピアSFです。本当に型通りの古いSFなので、特に書くことがありません……。あ、そういえば、「ドアベル」に登場した作家のセシルが少しだけ顔をみせます。
「許されざる創作」Creation Unforgivable(1930)
自分の書いた小説にのめり込みすぎて、現実にまで侵食される作家の話ですが、これも特にみるべきものはないかしらん。
なお、パスカル・ロジェ監督の『ゴーストランドの惨劇』は、H・P・ラヴクラフトを尊敬する作家志望の少女が主人公です。彼女は空想の世界に逃避する癖があり、そこでラヴクラフトに会ったりします。彼女の名前はエリザベス・ケラーといいます。
「神の車輪」The God Wheel(1952)
ジョン・オルデンは、夢でみた神を何十年も探し続けます。やがて、ある洞窟で黄金の車輪に載った神をみつけます。オルデンは、人類を救おうとしない神を詰り、代わりに車輪の上に立ちますが……。
人類は何度も同じ過ちを繰り返します。尤も、それが人間というものなのかも知れません。
「金色の枝」The Golden Bough(1935)
新婚のギャリアン夫妻は、妻が夢でみた家を探しにヨーロッパへゆきます。古い城が彼女の夢みた場所で、ふたりはそこで暮らし始めます。妻は、月夜に笛吹きと出会い、彼の勧めに従って寄生木を育てますが……。
一見、のどかなファンタジーですが、妻の行動は異様だし、老婆や笛吹きは怪しいしと思っていると、とんでもない結末が待っています。
「月明の狂画家」The Moon Artist(1941)
精神を患い、亡くなった画家は二十枚の絵画を遺していました。しかし、精神科医は最高傑作があるといいます。
「許されざる創作」の絵画版といった感じ。今となっては、ややもの足りません。
「砂漠に立つドア」The Door(1949)
砂漠で暮らす夫婦。ある日、妻のカーメンは砂漠に立つドアをみつけます。しかし、開けることはしません。夫のアーノルドは「ドアの向こうに故郷バージニアの庭園が広がっているかも知れない」といって妻をからかいます。
ドアは、ふたりとも目撃しているので、砂漠の暮らしに耐え切れなくなった妻がみた幻とはいえません。あるいは夫も、妻には庭園のある暮らしをさせてあげたいと考えているのでしょうか。
『アンダーウッドの怪』仁賀克雄訳、国書刊行会、一九八六
アーカム・ハウス叢書
→『黒の召喚者』ブライアン・ラムレイ
→『悪魔なんかこわくない』マンリー・ウェイド・ウェルマン
→『海ふかく』ウィリアム・ホープ・ホジスン
→『黒い黙示録』カール・ジャコビ
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