読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『月で発見された遺書』ハーマン・ウォーク

The "Lomokome" Papers(1956)Herman Wouk

『月で発見された遺書』(写真)は、たった二冊だけ刊行された「創樹ファンタジー」の一冊です。
 ちなみに、もう一冊は、チャールズ・G・フィニーの『ラーオ博士のサーカス』です。両者には特に共通点がなく、このシリーズの狙いもみえません。二冊で終わってしまった理由が何となく分かる気がします……。

『月で発見された遺書』は、『ケイン号の叛乱』や『戦争の嵐』で知られるハーマン・ウォークによるSFです。
 書かれたのは一九四九年ですが、出版はその七年後でした。『ケイン号の叛乱』がヒットしなければ、この小説は、日の目をみなかったのではないでしょうか。

 ちなみに、アーサー・C・クラークが『宇宙への序曲』を書いたのは一九四七年(単行本として刊行されたのは一九五一年)、ジョン・W・キャンベルの『月は地獄だ!』が一九五〇年の出版なので、戦後すぐの時点で、月面着陸は十分にリアリティのあるテーマだったことが分かります。

 一九五四年、米国は極秘裏に、有人引力圏外発射体を月に送り込みます。人類史上初めて月面に降り立ったのはダニエル・モワ・バトラー大尉です。
 しかし、バトラーは行方不明になったため、二番目の発射体が月へ向かい、バトラーの手記を地球に持ち帰ります。それが米国海軍公式報告書として一九五五年にまとめられました。
 バトラーの手記は、次のような内容でした。
 月には、人間によく似た知的生命体がおり、地下に洞穴を掘って暮らしています。彼らの社会をロモコメといいます。
 月には、ロモコメのほかにロマディネという国があり、両国は独自の経済的・政治的システムを持ち、長い間、争っています。あるとき、ロモコメの王とロマディネの指導者が恋に落ち、生まれたのがクトウゼラウイスです。

 米国が月に人を送り込んだことは公にされないという設定が面白いのですが、これは一九四五年に、物理学者ヘンリー・デウルフ・スミスによって書かれた原子爆弾投下に関する報告書『スミスレポート』が公表されたことを皮肉っているようです。

 ロモコメというのは、ヘブライ語ユートピアのことだそうです。
 実際、『月で発見された遺書』はSFというより、ユートピア小説に近い。ロモコメにはなぜか酸素も水も光もあるし、言葉も通じます。それらに関する科学的な説明はほとんどなく、言語を習得しているのも、ロモコメ人がかつて地球から移住した人々であるらしいことを匂わす程度です。
 そういう意味では、火星を舞台にしているため、SFに分類されてしまった老舎の『猫城記』と似ています。

 ユートピアディストピア)小説の主な目的は諷刺です。
 例えば、社会制度はロモコメが水素主義、ロマディネが提案主義と説明されています。それぞれ共産主義無政府主義のようにみえますが、冷戦下の米国において、それが諷刺として機能したのかは大いに疑問です。

 寧ろウォークの主張は、『クトウゼラウイスの書』のなかにありそうです。
 これは、両国を滅亡の危機から救った偉人であるクトウゼラウイスの自伝という形式で、分量的にも手記の大半を占めています。
 このなかでクトウゼラウイスは、シリコン反応を用いた武器の使用により、月の人類は絶滅すると警告しており、それを避けるために人々を啓蒙するのです。

 戦争を回避するには、世界政府を作ればよいと考える人がいますが、クトウゼラウイスは、そんなことは不可能だといいます。
 戦争は人類にとって必要なものであり、なくすわけにはいかない。しかし、管理することはできます。
 要するに、人類の滅亡や惑星の壊滅といった最悪のシナリオを避けつつ、小さな戦争によってガス抜きをすべきというわけです。

 広島と長崎に落とされた原子爆弾、さらに開発が進められていた水素爆弾。それらの使用が、取り返しのつかない事態を引き起こすことになると考えたウォークは、舞台を月に移し、警告を発したのでしょう。
 なお、彼は、原子力のエネルギーとしての使用も反対だったのか、月へゆくのに原子力推進を用いないと、わざわざ断っていたりします。

 後に、数々の戦争文学で高い評価を得、ピューリッツァー賞を受賞するウォークですが、この時点でブレずに「戦争とは何ぞや」「理想的な戦争の形とは」「理性による戦争と、誰を死なせるか」なんて思索をしていたことに感心させられます。
 やや観念的な小説ですが、分量が少なく、ブラックな味つけもしてあるため、胃もたれしません。何より、初々しさに溢れていますので、『ケイン号の叛乱』読了後のお口直しに、ぜひどうぞ。

『月で発見された遺書 −ロモコメ報告書』創樹ファンタジー2、木島始訳、創樹社、一九七六

月へゆく
→『ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険ヒューゴー・ガーンズバック
→『ストーリーナンバー』ウージェーヌ・イヨネスコ
→『詳注版 月世界旅行ジュール・ヴェルヌ、ウォルター・ジェイムズ・ミラー
→『月は地獄だ!』ジョン・W・キャンベル
→『小鼠 月世界を征服』レナード・ウィバーリー

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