Tomato Cain and Other Stories(1949)Nigel Kneale
マン島は、グレートブリテン島とアイルランド島の間にある小さな島です。イギリスの一部でもなく、コモンウェルスでもありません。過去にはノルウェーのバイキングに支配されたこともあります。
マン島の公用語は英語とマンクス語ですが、マンクス語の話者は大分減っているそうです(人口の二パーセント程度)。
ナイジェル・ニールは、そんなマン島出身のSF・ホラー作家、脚本家。そして、彼の日本で唯一の単著が『トマト・ケイン』(写真)です。
ニールの小説は、英国でも映画『原子人間』などに登場するクォーターマス博士もの以外は、『トマト・ケイン』や『Year of the Sex Olympics』など数えるほどしか出版されていないようです。そのため、今後埋もれていた作品が翻訳出版されることは期待できません。
小説を書くのがメインの仕事ではないのでやむを得ませんけれど、異色作家や奇妙な味に分類されるユニークな作風だけに残念です。
一方、だからこそ『トマト・ケイン』は貴重な成果といえます。
幸い二十九編もの短編が収録されているので、一冊でニールを堪能できます。作品として優れているだけでなく、マン島の風習や歴史に触れられるという点でも見逃せない短編集です。
「トマト・ケイン」Tomato Cain
マン島を舞台にした郷土文学です。十九世紀のマン島では、まだトマトが珍しかったようで、毒があると信じている人もいたんですね。真面目な善人のケインが、トマトに憎しみを抱くところが堪らなくおかしいです。
「エンダビーと眠れる森の美女」Enderby and the Sleeping Beauty
「眠れぬ森の美女」で始まり、「インディ・ジョーンズ」で終わります。
「わが片隅」Minuke
憑かれた家もののホラーです。でも、この短編の場合、賃貸なので異変があった時点で引っ越してしまえばよい気が……。
「死せる笑劇のための木靴ダンス」Clog Dance for a Ded Farce
ある喜劇の上演前に、喜劇役者が幸運のマスコットをなくします。そのせいか、観客からは笑いが全く生まれません。ところが、舞台上で事故が起こった途端、観客は爆笑するのです。何とも不気味な状況ですが、ニールのユニークな点はこれをハッピーエンドにしてしまうところです。
「ストロベリーのエッセンス」Essence of Strawberry
ミルクバーを営む男には、不治の病におかされた妻がいます。妻は毎晩、夫の作るストロベリーのジュースをおいしそうに飲みます。しかし、夫には愛人がいて……。サスペンスと思いきや純愛で、でもよく考えると、この夫は……。
ニールの短編は、あっと驚くようなオチはないけれど、予定調和をほんの少しずらすのが特徴です。それによって読者が戸惑うのを見越して楽しんでいるみたいです。
「ジェイミーに捧げるハスの花」Lotus for Jamie
知的障害のある中年男性ジェイミーの冒険。ロータスとは、ギリシャ神話で夢へ誘ってくれる植物のことです。ジェイミーも望みどおり、夢の世界へゆけたのでしょうか。
「「おお、鏡よ、鏡」」Oh, Mirror, Mirror
女の恨み(恐らく恋愛)は怖い。それにしても気の遠くなるくらい時間の掛かる復讐です。
「神様とダフニー」God and Daphne
四歳のダフニーは、不味い煮林檎を捨ててしまったせいで、天国へゆけなくなったと悩みます。そんな彼女に、神からの答えが……。小さな子の可愛い悩みと、都合のよい解決法が上手く表現されています。
「風のなかのジェレミー」Jeremy in the Wind
案山子を人間扱いする変な奴と思いきや、「不気味な侵入者」だったとは……。奇妙な味の短編にありがちなのに吃驚させられる理由は、被害者側ではなく、不気味な男の一人称で書かれているからです。ちなみに「銀仮面(銀の仮面)」のヒュー・ウォルポールには、ジェレミーという少年のシリーズがあります。
「遠足」The Excursion
馬車に乗ってピール(マン島の観光地)に向かう妊婦と夫、未亡人と兄妹、老姉妹、そして馭者の男。ちょっとした事件はありますが、幸福な一日を過ごします。
「フロー」Flo
妻が亡くなって十年、質屋に通い、エチルアルコールを飲むほど荒んだ生活をしているハード氏。彼は酔って、老犬フローを殺処分してしまいます。孤独な男の惨めさが、特に最後の一行によく表れています。
「クウォッギン叔父さんの葬儀」The Putting away of Uncle Quaggin
叔父の葬儀の際、自分たち夫婦に有利な遺言状を盗まれた男がとった手は……。ミステリー仕立てで、意地悪なオチがつくニールらしい一編です。
「写真」The Photograph
病気の少年を写真屋に連れてゆき、写真を撮らせる母親。少年は、写真のなかから少年が抜け出してくる恐怖に襲われます。病に犯されたときは、ただでさえ不安なのに、わざわざ写真を撮りにゆくとはまともな神経ではありません。
「鎖」Chains
十八世紀、錨鎖を奴隷商人に売る男の語りからなる話です。鎖は錨をつなぐものであると同時に、奴隷を縛りつけるものでもある点が絶妙です。
「海ぼうず」The Tarroo-Ushtey
ヴィクトリア朝時代のマン島では、文明の進歩とともに怪物は姿を消し、代わって知恵のある人間が尊敬を集めるようになっていました。チャールジーという男は、新しく発明された霧笛を海坊主の声といって島民を怯えさせ、さらには、その声を模して霧笛を発明したと信じさせます。ニールは、いくつかの素材を無理なくつなげるのが上手い。まるで名人の三題噺のようです。
「マンシーニ夫人」Mrs. Mancini
夫に先立たれ、家も奪われたマンシーニ夫人は、孤独と貧しさに耐えられず、自殺を試みます。そのとき、郵便配達が手紙を持ってきました。意地悪なオチなのに暗くならないのが不思議です。
「カーフィーの子分」Curphey's Follower
小柄で片足を引きずっているカーフィーの後ろに、醜いアヒルがついてくるようになりました。似たもの同士ですが、仲がよいわけではない奇妙な関係です。結末も悲劇のような、喜劇のような何とも変な感じ。
「しずかなるエヴァンス氏」Quiet Mr. Evans
フィッシュアンドチップス屋のエヴァンスは、若い妻が客の男と親しくするのを許せません。男に無理矢理ポテトを食わせる場面はホラーのようですが、思わぬ展開が待っています。
「トゥーティーと猫の鑑札」Tootie and the Cat Licences
マン島を舞台にしたほら話。乱暴なアイルランド人、増えすぎた猫、頭の足りない男トゥーティー、どう締めるか考えていない策士らの絡みが絶妙で笑えます。
「ペグ」Peg
空襲で命を落とした十四歳の少女ペグが街を彷徨います。生きている者が成長しても、彼女は少女のままです。
「ザカリー・クレビンの天使」Zachary Crebbin's Angel
島民も顔を思い出せないほど孤独な老人クレビンが天使と話をしたという噂が流れます。皆が家に押しかけると、彼は証拠として天使からもらった干からびた花をみせ、三日後に亡くなります。遺品の分厚い聖書を手にした女性は、そこに沢山の押し花をみつけます。僕もそろそろ天国がどんなところか考えておいた方がよいかも知れません。
「ビニとベティーン」Bini and Bettine
醜い小人のビニと長身の美女ベティーンは、母と赤子の芸で人気を得ていました。赤子に扮したビニが大量の哺乳瓶やガラガラを隠してしまうのです。ベティーンと結婚した芸人のサミーは、彼女の性格のきつさが嫌になり別れてしまいます。五年ぶりに見掛けたべティーンは芸ではなく、乳母車に乗せたビニに盗みをやらして糊口を凌いでいました。ところが……。ゾッとするのか、嬉しいのか、ニールのオチにはしばし悩まされます。
「靴下」The Stocking
クリスマスイブ、足が悪くて寝たきりの少年が靴下を吊るして欲しいと頼むと、両親は貧しいながらも承知してくれます。ニールの短編は悲劇にもかかわらず、おかしみが残るものが多いのですが、これは……。
「だれ? おれですか、閣下」Who -Me, Signor?
戦時下のイタリア。盲人を一所に集め、衣服を支給するといい服を脱がせ、その服をまとめて盗む詐欺を働いた男が捕まります。面白いアイディアですが、盲人のふりをして潜り込む奴がいるってことには気づかなかったようです。
「池」The Pond
老人は池へゆきカエルを捕まえるとその場で殺し、家で剥製を作ります。ただの剥製ではなく、人間の格好をして舞踏会に参加している様子を模しています。趣味とはいえ、多くの蛙の命を奪っているわけで復讐されるのもやむを得ません。
「みんないくじなしです、ブラッドローさん」They're Scared, Mr. Bradlaugh
世話になった優しい叔母さんの臨終の床で、ひたすら説教をする頭でっかちの青年。今の時代にもいそうで怖い。
「エンバンブエの計算」The Calculation of N'Bambwe
読書会が終わった後、婦人たちがお茶を飲みながら雑談をしています。アフリカにいるエンバンブエという祈祷師が計算したところ、時間が止まることが分かったそうです。オチは読めますが、時間が止まるってこういうことなのかと首を捻りたくなります。
「自然観察」Nature Study
秋の森へ、女教師に率いられ自然観察に向かう子どもたち。教師がヒステリックだと、生徒も残酷になります。
「小さな足音」The Patter of Tiny Feet
屋敷から足音が聞こえると連絡を受け、記者とカメラマンが取材に向かいます。主人の話では、歳の離れた妻が亡くなってからポルターガイストが出現したといいます。どうやら、赤ん坊の足音らしいのですが……。仮令、霊だとしても父親というものは……。
『トマト・ケイン』村上博基訳、早川書房、一九七二
世界の短篇
→『リュシエンヌに薔薇を』ローラン・トポール
→『こちらへいらっしゃい』シャーリイ・ジャクスン