読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『誰だ ハックにいちゃもんつけるのは』ナット・ヘントフ

The Day They Came To Arrest The Book(1983)Nat Hentoff

 ナット・ヘントフはジャズの評論家、ジャーナリストとして知られていますが、ヤングアダルト(YA)向けの小説も書いていて、日本では寧ろそちらの方が有名です。
 特に処女作の『ジャズ・カントリー』は、いまだに読まれ続けています。
 これは、ジャズミュージシャンになりたい白人の少年が、黒人のジャズメンらと交流しながら、ひたすらジャズに打ち込んでゆく話です。青春小説としても、ジャズの入門書としても、アメリカの人種問題を考えるきっかけとしても有用な、YAの必読書といってもよいかも知れません(恋愛もセックスも全くないところが潔い)。

 ヘントフのそれ以外のYA文学は、ティーンエイジスカースを用いた邦題が特徴です。『ペシャンコにされてもへこたれないぞ!』『ぼくらの国なんだぜ』『この学校にいると狂っちゃうよ』といった具合。これらを古めかしく感じるか、懐かしく感じるかは読者の世代によるでしょう。
 なかでも最もインパクトのある邦題が『誰だ ハックにいちゃもんつけるのは』(写真)です(原題は「彼らが本を逮捕した日」)。

 ここでの「ハック」とは登場人物のことではなく、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』を指します。
 また、ヘントフは「アメリカ合衆国憲法修正第一条」(信教・言論・出版・集会の自由、請願権)(First Amendment)を擁護する活動を続けてきました。
 つまり、この小説は「学校図書館による禁書(学生にとってふさわしくない本を禁止する)」について真面目に考えてもらうために書かれたのです。

 日本では、こうしたテーマのYA文学は余りないと思います。レイ・ブラッドベリの『華氏451度』とともに、若者が禁書について考えるのに最適な作品なので、ぜひ読んでいただきたいのですが、残念ながら古書価格がやや高い。
 そもそも、この小説は少女向けというわけではないのに、集英社文庫コバルトシリーズから発売されたため、男子は見逃しやすかったでしょう(※)。
 翌年出版されたロバート・コーミアの『チョコレート戦争』は、『チョコレート・ウォー』として新訳が刊行され、さらに続編まで訳されました。『誰だ ハックにいちゃもんつけるのは』もいつか復刊してもらいたいものです。

 ジョージ・メイソン高校では、副読本に『ハックルベリー・フィンの冒険』が選ばれました。
 すると、黒人の父兄から「ニガーという言葉を連発する小説を教室で読まされたら、黒人の子どもがどれだけ傷つくか考えろ。そんな本は授業で扱うな」と文句をいわれてしまいます。
 それをきっかけに、学生、教師、市民団体、人権擁護連盟などが活発な議論を展開します。

ハックルベリー・フィンの冒険』(1885)は、発売直後から禁書に指定されたりしていたので今更といった感じもありますが、逆にいうと百年経っても問題は全く解決されていないことになります。
ハックルベリー・フィンの冒険』が小説として素晴らしいのは認めつつ、黒人の生徒が教室で「ニガー」「ニガー」と呼ばれるのは、彼らの心を傷つけると考える人がいます。
 一方で、誰ひとり傷つかない本なんて存在しないし、生徒たちには真実を知る自由、考える自由があると主張する人がいます。

 さらに議論は、人種、性、宗教、性的指向に関する差別、そして主人公の青年バーニー・ロスが学校新聞の記者であることから表現の自由といった問題へと広がります。
 例えば、人権擁護連盟の弁護士は、学校に礼拝を導入する動きがあるといいます。勿論、強制ではなく、嫌な者は祈らなくてよい。しかし、拒否することは自らの信仰を周囲に知らしめることになってしまうため、教育に宗教を持ち込むのは正しくないといいます。
 尤もな意見だと思うのですが、「アメリカ人の信念を守る市民連合」のメンバーは「コソコソせず自分の主義のために堂々と戦うことこそ素晴らしいと教えるべき」と反論します。

 興味深いテーマではあるものの、やはりこの本においては「古典文学は、読まれる時代によって差別的になりうる。そうなった際、子どもたちに読ませるべきか」という問題に絞るべきかも知れません。
 結論からいうと、ヘントフは憲法修正第一条の擁護者ですから、表現の自由、そして知る自由は妨げられてはならないと考えています。
 そもそも、どのような本であろうと差別的でないものはありません。ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』すら黒人が描かれていないという点で差別的といえるのです。
 ただし、ポルノグラフィ、明らかな嘘(ホロコーストは存在しなかったなど)や誹謗中傷が書かれている本を子どもたちに自由に読ませることには否定的です。そうした書籍は、精神的に成熟をした大人になってから手に取るべきといいます。

 なお、最も批判的に書かれるのは、父兄からの抗議があるとすぐに本を追放してしまう校長です。
 自分の地位を守ることだけに必死な彼は、教育の場においては最悪の存在です。どのような答えに到達しようと、自分で調べ、自分で考えることこそが生徒たちには求められるのに、高校のトップが保身に走って思考停止してしまったのでは話になりません。

 さて、調査委員会は「『ハックルベリー・フィンの冒険』は図書館から追放しないものの、読むためには教師の許可がいる」という微妙な解決法を示します。
 何とも弱腰の折衷案で、こんな答えでは納得しないバーニーは、ある大掛かりな作戦を決行するのです……。

 それが何か、どう決着がついたのかは興醒めになるので書きませんが、『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んだ黒人の少年スティーヴ・ターナーの感動的な演説で締め括ったのは非常によいと思います。
 ハックが現代にやってきたら、きっとスティーヴと仲よく遊んだでしょうね。

※:コバルト文庫の翻訳小説では、アーシュラ・K・ル=グィンの『ふたり物語』も入手が困難である。しかし、この作品は『どこからも彼方にある国』のタイトルで新訳が出ているので、高価なコバルト版を入手する必要はない。

『誰だ ハックにいちゃもんつけるのは』坂崎麻子訳、集英社文庫コバルトシリーズ、一九八六