読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『黒いアリス』トム・デミジョン

Black Alice(1968)Thom Demijohn

 トム・デミジョンとは、ジョン・スラデックトマス・M・ディッシュの合同ペンネームです。
 ふたりは一九六六年にも合作しており、このときはカサンドラ・ナイという名で『The House that Fear Built』という作品を発表しました。

 さて、こんな分類があるのか分かりませんが、『黒いアリス』(写真)は「白人が書いた黒人文学」です。

 例えば、ボリス・ヴィアンは、架空の黒人作家ヴァーノン・サリヴァンの小説をフランス語に翻訳したという体で、四冊のハードボイルド小説を執筆しています。
 そのなかでは『墓に唾をかけろ』のリー・アンダーソンと、『死の色はみな同じ』のダン・パーカーが白い肌の黒人です。ヴィアンは、彼らのセックスと暴力、そして白人への憎しみを描いたわけです。
 センセーションを巻き起こし、大いに売れたそうですが、作品自体は二流のエンタメ小説に過ぎません。ネラ・ラーセンの『白い黒人』とは似て非なるものです。

 また、チャールズ・ウィルフォードの『拾った女』や、ビル・S・バリンジャーの『赤毛の男の妻』(ネタバレになるため、作品名は伏せる)はミステリーとしては素晴らしいものの、「例のあれ」は人種差別をテーマにしたというより、オチのための設定という面の方が大きいでしょう。

 要するに、白人が書いた黒人文学は、どうしてもキワモノ扱いされてしまうようです。
 人種差別問題に真面目に取り組んだ(?)ジャン=ポール・サルトルの戯曲『恭しき娼婦』にしても、ジョディ・ピコーの『小さくても偉大なこと』にしても、決して評価が高いとはいえません。

 そこで、本題に入ります。
『黒いアリス』は、ジョン・ハワード・グリフィンの『私のように黒い夜』(1961)の影響を受けて書かれたようです(作中でも言及されている)。両者は、エンタメ小説とルポルタージュという違いがありますが、それ以上に大きいのは「一九六四年公民権法の前か、後か」かも知れません。
 一九六四年公民権法によって、法の上での人種差別は終わりを告げました。しかし、人の意識はそう簡単に変わるはずもなく、南部を中心に白人による黒人の迫害(リンチや放火など)が繰り返されます。また、黒人側も非暴力主義のマーチン・ルーサー・キング暗殺(一九六八年)後、暴力や暴動といったより過激な活動へとシフトしてゆきました。
 そうした背景を踏まえつつ、まずはあらすじから。

 煙草相場と不動産投資で財を成したモーガン・デュケーンが亡くなり、遺産は孫娘のアリス・ローリーが承諾年齢に達するまで、兄のジェースンに信託されました。アリスの両親ロデリックとデルフィニアは手当を増やしてくれるようジェースンに頼みますが、あっさりと断られてしまいます。
 一方、十一歳のアリスは、かつての家庭教師の虐待により精神が分裂し、ダイナという空想上の妹(黒人。ときに猫にもなる)と会話をするようになっています。
 夏休みに入り、黒人の家庭教師ゴドウィンと美術館にいった帰り、アリスは何者かに誘拐されてしまいます。そして、特殊な薬によって黒い肌に変えられてしまうのです。

 白人の少女が薬によって黒人に変身する(※)というショッキングなできごとが強調されますが、実はそれほど過酷な話ではありません。
 アリスが黒人に変えられるのは、暴力やリンチなど残虐な仕打ちを受けさせるのが目的ではなく、単に捜査を撹乱するためです。要するに、当時の南部において黒人であることは透明人間になることと等しいわけです(黒いアリスが泣いていても誰も気にしない)。

 薬を飲まなければ白い肌に戻るし、監禁されているので晒し者になるわけでもありません。また、アリスを軟禁する売春宿の黒人女性はとても優しく接してくれ、最後には実の母娘のようになるのです(誘拐犯と人質という立場にもかかわらず、白人と黒人という長年の主従関係に引き摺られてしまうのか)。
 いずれにせよ、現代の黒人女性が南北戦争前の南部にタイムスリップしてしまうオクテイヴィア・E・バトラーの『キンドレッド』に比べたら、甚だ緩い状況です。

 というか、真犯人は「人種問題とは無関係な人間の屑」ですから、ミスリードを狙ったのでしょう。しかし、それに関してはネタバレになるので、これ以上は書きません。ただ、探偵役が誰なのかを含めてミステリーとして楽しめることだけは保証します。

 それより、『黒いアリス』は、公民権運動やベトナム戦争で揺れていた一九六〇年代の米国を、英国に住んでいたスラデックとディッシュが冷笑的に眺めたという意味で大変興味深い。勿論、彼らは愚かな白人至上主義者を嘲笑っています。
 狂信的なクランスマン(KKKの団員)や、黒人の老婆を蹴り倒す白人の姿を描きつつ、白人に強い恨みを持ちアリスを打擲する黒人売春婦の場合はそうなるに至った理由がしっかりと述べられます。
 また、黒い肌になったアリスを助けてくれるのは黒人であり、アリスも彼らを信頼しています。いや、実をいうと、彼女にとって肌の色など大した問題ではないのです。

 アリスは、白と黒の大人たちが醜い争いを繰り広げる不思議の国で、しっかりとした意志と知恵、そして誰からも愛される才能で生き抜いてゆきます。主役の割に出番はさほど多くないけれど、キャラクターとしての魅力では本家のアリスにも負けていません。
 インパクトの強いカバーイラスト、やたらと人が殺されまくる狂った世界とは正反対の清々しさが後味として残るのは紛れもなく彼女のお陰です。

不思議の国のアリス』からはアリスとダイナくらいしか登場しないものの、現実のナンセンスさを浮き彫りにしたという意味ではパロディとしても優れています。
 キワモノはキワモノでも、読む価値のあるキワモノなのです。

※:ルーディ・ラッカーの『空洞地球』では、エドガー・アラン・ポーが黒人化する。

『黒いアリス』各務三郎訳、角川文庫、一九七六

不思議の国のアリス』関連
→『サセックスのフランケンシュタイン』H・C・アルトマン
→『パズルランドのアリス』レイモンド・スマリヤン
→『未来少女アリスジェフ・ヌーン
→『不思議な国の殺人フレドリック・ブラウン