読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『未来少女アリス』ジェフ・ヌーン

Automated Alice(1996)Jeff Noon

 二〇〇三年、ハヤカワ文庫FTの二十五周年を記念して「プラチナ・ファンタジイ」という叢書が作られました。
 その後、「プラチナ・ファンタジイ」は、なぜか文庫から単行本に移り、二〇〇九年に消滅した模様です。

 当時、「SFは売れない」といわれており、ハヤカワ文庫も創元文庫もファンタジーにシフトしていた印象があります。
 ジェフ・ヌーンの『未来少女アリス』(写真)は「ヴァート」シリーズの三作目で、前二作は「ハヤカワ文庫SF」から刊行されました。しかし、『未来少女アリス』は『不思議の国のアリス』のパロディでもあることからファンタジーに分類されたようです。穿った見方をすると「不人気のSFをファンタジーのパッケージに包んで売っちまえ」ってことなのかも知れません。
 ま、読者としては面白い小説が読めれば、ジャンル分けなどどうでもよいわけです。

「ヴァート」シリーズと書きましたけど、僕は『ヴァート』も『花粉戦争』も読んでいません(四作目の『Nymphomation』は未訳)。いずれもマンチェスターが舞台で、登場人物やガジェットの一部が共通するらしい。
 何しろ未読なので、「知らないと意味が分からないわけではありませんが、知っていればもっと楽しめるでしょう」といった当たり前すぎることしか書けずに済みません(※)。ただ、『未来少女アリス』は、前二作とは雰囲気もジャンルも異なるそうなので、無理矢理シリーズに加える必要はなかったような気もします(アリスとマンチェスターは関連が特にないし……)。

 一八六〇年、マンチェスターの大伯母の家にきていたアリスは、振り子時計のなかに逃げ込んだオウムのホイッパーウィルを追って一九九八年のマンチェスターにタイムスリップしてしまいます。
 そこは、あらゆるものが自動化された世界で、アリスはジグソーパズル殺人事件に巻き込まれます。やがて彼女は、ロンドン動物園のジグソーパズルを完成させれば元の世界に戻れることに気づきます。

 よくいうと『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の正統なSFバージョン、悪くいうと想像の範囲内の作品といえるでしょうか。
 アリスが訪れるのはナンセンスな不思議の国ですが、世界観は明るいサイバーパンクといった感じ。タイトルに「Automated」とあるとおり、自動人形となったスリア(アリスの持っていた人形で、原綴はCelia)やシロボット(シロアリのロボット)、自動馬車、トリコプター、動物や物質との合成人間などが溢れる世界はとても楽しい。いかにもSFらしく、チェシャ猫が消える仕組みを科学的に解説したりもしています。

 パロディというより、別の作者による続編という気がするのは、奇妙なキャラクターとアリスの、ひたすら無意味なやり取りが続くせいです。
 勿論、僕は言葉遊びが大好物です。本家と同じく地口や語呂合わせ、かばん語が豊富に含まれているので、身悶えしながら読むことができます。
 当然ながら、これは翻訳の勝利でもあるでしょう。駄洒落などは上手く当てはまる日本語を探すのが一苦労ですが、無理なく、しかも面白く訳されています。

 一応、連続殺人(?)事件が起こりますが、ミステリーではないので謎解きの楽しみはありません。
 その代わりに、なぞなぞや論理パズルがちょこちょこ出てくるので、一旦立ち止まり解いてみるのもよいかも知れません。

 元々アリスがいた一八六〇年が何を意味するのかですが、『不思議の国のアリス』のアリスは七歳の設定といわれており、アリスのモデルとなったアリス・リデルの生年は一八五二年なので、一八六〇年には七歳か八歳だといいたいようです。
 実際、作中にはチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(ルイス・キャロルの本名)や、アリス・リデルの姉のロリーナ、妹のイーディスが登場します。
 ただし、こうすると『未来少女アリス』のアリスが『不思議の国のアリス』を知っているのが変になります。キャロルがアリス・リデルに物語ったのは一八六二年、アリス・リデルが十歳のときだからです。

 一方、未来の方の一九九八年は、キャロルが亡くなった年のちょうど百年後に当たります。

※:『ヴァート』はオクターヴ・ミルボーの『責苦の庭』を素材にしているそうなので、今度読んでみるつもり。

未来少女アリス』風間賢二訳、ハヤカワ文庫、二〇〇四

不思議の国のアリス』関連
→『サセックスのフランケンシュタイン』H・C・アルトマン
→『パズルランドのアリス』レイモンド・スマリヤン
→『黒いアリス』トム・デミジョン
→『不思議な国の殺人フレドリック・ブラウン

Amazonで『未来少女アリス』の価格をチェックする。