読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『不思議な国の殺人』フレドリック・ブラウン

Night of the Jabberwock(1950)Fredric Brown

 ミステリーの分野でも『不思議の国のアリス』をモチーフにした作品は数多くあります。
 中学生の頃、辻真先の『アリスの国の殺人』を読みましたが、内容を全く覚えておらず、当時の本のほとんどは実家に置いてきたか捨ててしまったので再読することもできません。

 その代わりといっては何ですけれど、最近、小林泰三の『アリス殺し』を読みました。
 現役の日本人作家によるミステリーを購入するのは本当に久しぶりです。資料用に集めたもの以外では二十年ぶりくらいかも知れません。

 海外でもエラリー・クイーンやルーファス・キングが『不思議の国のアリス』を元にした短編ミステリーを書いています(『世界短編傑作集4』に収録の「キ印ぞろいのお茶会の冒険」や、同名短編集に収録の「不思議の国の悪意」)。
 長編では、やはりフレドリック・ブラウンの『不思議な国の殺人』(写真)が有名でしょうか(※1)。邦題とは裏腹に、ジャバウォックやチェスなど『鏡の国のアリス』寄りなのが特徴です。
 質の面では、『3、1、2とノックせよ』や『通り魔』と並んでブラウンの長編ミステリーのなかでも出来のよい部類に入ります。

 二十三年間、イリノイ州で毎週金曜発売の新聞「クラリオン」を発行し続けているドック・ストージャー。彼の不満は、これまで一度も事件らしい事件を扱っていないことです。
 ある木曜の晩、ドックは、親友が交通事故に遭い、花火工場で事故が起こり、精神病院から患者が逃げ出し、銀行に侵入した少年を捕まえ、二人組の殺人犯を倒すといった具合に、沢山の事件に遭遇します。しかし、それらは様々な事情で何ひとつとして記事にすることができませんでした。
 失意のドックは、キャロルのマニアが家を訪ねてきたことを思い出します。彼と一緒に廃屋へゆくと……。

 原題を直訳すると「ジャバウォックの夜」となります。ジャバウォックとは『鏡の国のアリス』に登場する「ジャバウォックの詩」で語られる怪物です。また、各章の頭に『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』から引用した詩が掲載されています。
 さらに、ドックは大学時代キャロルを研究しており、「鏡の国のルイス・キャロル」や「赤い女王と白い女王」といった論文も書いています。

 ここまでアリスにこだわるのは、ドックが非現実的なできごとに翻弄されることを印象づけたいからです。
 前半に矢継ぎ早に飛び込んでくる小さな事件は、アリスの冒険に似て、とても楽しい(夢をみていたアリスとは逆に、ドックは一晩中眠れない)。拉致された車から飛び出し、なおかつ銃で車を撃ち、相手を殺すなんてのも含まれるものの、それらは単なるつかみで、メインとなるのは不可解な殺人事件です。

 まず、「ジャバウォックの詩」のなかの「血に飢えたオパールの刃(Vorpal Blades)」というフレーズを用いたキャロルの賛美者たちの会に所属するユーディ・スミスという小男(※2)が、ドックの家にやってきます。
 これだけでも十分おかしな事態なのに、彼に連れてゆかれた古い屋敷の屋根裏部屋のテーブルの上に「私を飲んで」と書かれた瓶があり、それを飲んだユーディは死んでしまいます。
 おまけに、ふたりが乗ってきたユーディの車がなく、代わりにパンクしているドックの車が置いてあり、トランクのなかには遺体がふたつ入っているという奇妙さ……。

 余りに出鱈目すぎて、まるで不思議の国に迷い込んだような錯覚に陥ります。しかし、ごく普通のミステリーで現実離れしたことが起こる場合(童謡見立て殺人など)、その後ろに世知辛い動機が隠されているものです。
『不思議な国の殺人』も、その例に漏れません。アリスも吃驚し兼ねないファンタジックな事件の裏には、理知的な犯人の目がある……のですが、強ちそうとばかりいえないところもあって、そこが何ともいえず面白いのです。
 例えば、ドックは「死んだユーディと会話しながら推理」したりします。

 ブラウンがどの線を狙ったのか分かりませんけれど、結果的に何が幻で、何が現実か判然としないヘンテコな後味が残ることになりました。
 物語の最後、夢から覚めたアリスとは反対に、眠りに落ちてゆくドックは果たしてどのような夢をみたのでしょうか。

※1:『Alice's Adventures in Wonderland』の邦題は、今でこそ『不思議国のアリス』が定着しているが、かつては『不思議国のアリス』も混在していた。『不思議な国の殺人』は、その名残でもある。

※2:Yehudiとは「そこにはいない小人」を表す俗語。キャブ・キャロウェイも歌った珍歌『Who's Yehoodi?』からきているらしい。また、ブラウンは「ユーディの原理」(The Yehudi Principle)という短編も書いている。


『不思議な国の殺人』船若敏郎訳、創元推理文庫、一九六四

→『ミッキーくんの宇宙旅行フレドリック・ブラウン
→『B・ガールフレドリック・ブラウン

不思議の国のアリス』関連
→『サセックスのフランケンシュタイン』H・C・アルトマン
→『パズルランドのアリス』レイモンド・スマリヤン
→『黒いアリス』トム・デミジョン
→『未来少女アリスジェフ・ヌーン

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