読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『日曜日は埋葬しない』フレッド・カサック

On n'enterre pas le dimanche(1958)Fred Kassak

 ミステリー作家の書いた、いわゆる普通のミステリー小説を扱うのは、フレドリック・ブラウンの『不思議な国の殺人』以来、何と二年ぶりです。
 感想を書いていないだけでミステリーも読んではいるものの、ほかのジャンルに比べ手にする数が圧倒的に少ないことは間違いありません。

 それでも、なぜかフランスのミステリーは性に合います。派手さはなく小粒だけれど、細部まできっちりと練り込まれている点が好みに合致するのです。
 今回取り上げるフレッド・カサックをはじめとして、ジョルジュ・シムノン、ボワロー=ナルスジャックカトリーヌ・アルレー、シャルル・エクスブライヤ、フレデリック・ダール、セバスチアン・ジャプリゾ、ユベール・モンテイエピエール・シニアックなどなど好きな作家は大勢います。
 犯罪小説やノワール小説まで広げたら、もっとお気に入りが増えるでしょう。

 カサックは、単行本としては『日曜日は埋葬しない』(写真)と『殺人交叉点』(『殺人交叉点』と『連鎖反応』の二編を収録)の二冊しか翻訳されていないものの、三作ともが面白いという稀有な作家です(ほかに雑誌に掲載された短編もあるが、未読)。

『殺人交叉点』と『連鎖反応』は過去に三度も訳され、最新のものは今でも新刊で入手可能です。
 特に『殺人交叉点』(1957)は、とても好きな作品です。同種のトリックのなかではベストといっても過言ではありません。
 この手のトリックは、どうしても不自然な設定になりがち(大の大人が渾名で呼び合うなど)ですが、そうした強引さがほとんどないところが素晴らしい(記述に違和感が多少残るのはやむを得ない)。無理がないというのは、換言すると単純な仕掛けでもあるわけで、初めて読んだときは技巧に感心するより、「その手があったか。やられた!」と叫んで清々しい気持ちになりました。

「著者による覚書」によると、カサックは「時効間近に殺人の決定的な証拠を手に入れた人物が、名誉を傷つけられた遺族と真犯人に話を持ち掛け、より高い値をつけた方に証拠を売る」という設定を最初に思いついたそうです。
 それだけでも傑作が生まれていたかも知れないと思わせる秀逸なアイディアですが、カサックはそれに満足せず上記のサプライズエンディングを加えたとのことです。

 有名かつ入手しやすい作品なので、ミステリーを読み始めたばかりの人が出合う確率が高いことも重要なポイントです。擦れっ枯らしのミステリーマニアになってからでは、『殺人交叉点』を真似た作品を先に読んでいる可能性が高くなるため、純粋な感動は味わえないのではないでしょうか。

 なお、今刊行されている『殺人交叉点』は一九七二年に刊行された改稿版を原本としているため、『日曜日は埋葬しない』の主人公と恋人が会話のなかにチラッと登場するという楽しい仕掛けも入っています。
 また、邦訳されている三長編の事件はすべて、いつも眠そうなソメ刑事(警部、警視)が担当します。

『連鎖反応』(1959)の方は、主人公のジルベールが婚約者との結婚を機に、愛人に別れ話を持ち出したところ、妊娠していることを告げられるというストーリー。
 普通ならこの後、邪魔になった愛人を殺害する(シオドア・ドライサーの『アメリカの悲劇』のパターン)のでしょうが、ジルベールは自分の勤めている会社の社長を殺そうとするのです。なぜなら、社長が死ねば、副社長、部長、次長、課長が順々に出世し、ジルベールは課長に昇進できるからです。それによって給与が上がれば、妻と愛人の両方を養えるというわけ。

 余りに馬鹿馬鹿しい計画なので、とぼけたユーモア小説と思いきや、後半になるとその設定が俄然生きてきます。オチも気が利いているし、良質なブラックユーモアとしても評価できます。
 フランスで映画化され、日本でもドラマ化されているだけある、よくできた作品です。

 三度も翻訳された上記二作と異なり、『日曜日は埋葬しない』は、映画(※)が日本公開された一九六一年に翻訳されたきり、一度も復刊されておらず、幻の作品と化しつつあります。
 しかし、オチのインパクトは強烈で、今読んでも吃驚すること請け合いです。

 アンティル諸島出身の黒人青年フィリップ・ルネ・バランスはパリに住み、昼間は大学へ通い、夜は博物館で働いています。ある日、スウェーデンからきた女学生マルガレータ・ルンダルと知り合い、恋に落ちます。彼女がパリで住み込みの仕事を探していると知ったフィリップは、広告を打って、条件のよい家庭をみつけてあげます。
 そこは出版代理人ジョルジュ・クールタレスの屋敷でした。処女小説を書き上げたフィリップは、ジョルジュを介して出版にこじつけます。そんなとき、ジョルジュとマルガレータが不倫しているとクールタレス夫人に聞かされ、ヤケになったフィリップは夫人と肉体関係を持ってしまいます。
 しかし、ジョルジュとマルガレータが不倫しているというのは夫人の嘘でした。夫人の浮気を知ったジョルジュは、恩知らずのフィリップを殺そうとして……。

『連鎖反応』のジルベールとは対照的に、主人公のフィリップは苦悩に満ちています。
 彼は天涯孤独で、貧しく、友人もほとんどいません。人生に絶望して自殺を図ったこともありますが、マルガレータと出会ったこと、小説が売れたことで生きる意味を見出したところ、事件に巻き込まれるのです。

 一九五〇年代のパリで、身寄りのない黒人青年が生きてゆくのは、どれだけ大変だったか……と想像したところで、「いや、待てよ」と気づくはずです。
 これを書いているのは「白人」だということに。

 となると、当然そこにはミステリーとしての仕掛けが施してあるわけですが、はっきりいうと書けるのは、ここまでです。
 これ以上記述したら、まだ読んでいない人の楽しみを削いでしまい兼ねません。

 確実にいえるのは、『殺人交叉点』に勝るとも劣らない「最後の一撃」が用意されていることと、チャールズ・ウィルフォードの「アレ」や、ビル・S・バリンジャーの「アレ」とはまた違うトリックが用いられていることです。

 復刊されていないとはいえ、特にプレミアもついていないようなので、サプライズエンディングが好きな方はぜひ手に入れてみてください。
 ただし、ひとつ注意があって、それは「あとがき」が完全にネタバレしてるってことです。何の注意もなく、サラッとオチが書かれているので、読了前に読んではいけません。

 前述したとおり、邦訳されているカサックの長編はどれもよくできています。しかも、米国の作家のようにやたらと長くなく、短時間で読むことができる。にもかかわらず、どうしてほかの作品は翻訳されなかったのでしょうか。
 ガクンとレベルが落ちるとも思えないし、何とも不思議な話です。

※:ミシェル・ドラック監督の映画の邦題は『日曜日は埋葬しない』と、「に」が入る。

『日曜日は埋葬しない』中込純次訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、一九六一