読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『悪魔の収穫祭』トマス・トライオン

Harvest Home(1973)Tom Tryon

 ホラー小説はほとんど読まないので、偉そうなことはいえませんが、トマス・トライオンの『悪魔の収穫祭』(写真)は伝説級の傑作だと思います。
 これが書かれたのは一九七三年。スティーブン・キングが『キャリー』でデビューしたのが一九七四年、ピーター・ストラウブの『ジュリアの館』が一九七五年ですから、『悪魔の収穫祭』は、アイラ・レヴィンの『ローズマリーの赤ちゃん』(1967)の流れを汲むモダンホラー黎明期の作品といえるかも知れません。

 また、一九七三年といえば、映画『ウィッカーマン』が公開された年でもあります。
 さらに、一九七五年に刊行されたキングの『呪われた町』とともに、いわゆる「スモールタウンもの(※1)」の代表的な作品ということもできます。
 まずは、ネタバレにならない程度にあらすじを記載します。

 会社を辞めて画家になったネッド・コンスタンチンは住み慣れたニューヨークを離れ、ニューイングランドにあるコーンウォールクーム(※2)に妻と娘を連れ引っ越します。
 コーンウォールクームはトウモロコシの栽培で有名な、時間が止まったようなのどかで美しい村です。住民は近代化を受け入れないものの、善人ばかりに思えます。ネッドの絵画も順調ですし、娘の喘息もよくなり、一家は村での生活を満喫します。
 しかし、いくつか気になることもあります。そのひとつがグレース・エバディーンという若くして自殺した女性の墓が墓地から追放されていることでした。

 日本語版は上下巻ですが、上巻(二章まで)では牧歌的なシーンが続きます。
 ただし、ホラーにありがちな、不思議な人物、奇妙な風習、原始宗教の信仰、謎めいた過去(「追放されたグレースの墓」「七年に一度選ばれるとうもろこし王ととうもろこし姫」「アグネス祭の際、知的障害の少女が羊の血のついた手でネッドを指差す」「灰色の幽霊をみる」「気難しい農夫に発砲される」「頭蓋骨を発見する」などなど)などがチラチラと顔をみせ、いやが上にも期待が高まってゆきます。

 村の異常性が明らかになるのは下巻(三章)からです。
 少女が鶏のはらわたを撒き散らしたり、ネッドの娘が死から蘇ったり、男が舌を切り取られたりと不気味なことが起こり、ついに収穫祭でネッドは村人たちの本性を知ることになります。そして、収穫祭の最終日、ソークの森で行なわれる秘密の儀式で……。

 信じていた人、優しかった人があることをきっかけに豹変するのは、狼男や吸血鬼、『ジーキル博士とハイド氏』など古典的な怪奇譚と同じ構造です。
 しかも、前半がのどかであればあるほど、その落差の激しさに愕然とします。早い段階で異様な世界に足を踏み入れてしまったことが分かる『ウィッカーマン』とは真逆のアプローチで、どちらがよいかは好き好きでしょう。善人がいきなり変貌するのはリアリティがないともいえますし、序盤から変人ばかりが登場してしまうと展開が読めてしまうともいえます。

『悪魔の収穫祭』の場合、上巻で大したことが起きないものの、それらの多くが伏線になっていて、下巻で一気に盛り上がります。
 それはまるで、好きなおかずを残しておいて、食事の最後に掻き込むような感じ。恐ろしいけれど、爽快感があります。
 とはいえ、これ以上は何も語らない方がよいでしょう。甚だ中途半端で心苦しいのですが、これから読まれる方の楽しみを奪わないようにするためには仕方ありません。

 最後にひとつだけ忠告すると、これは男性の読者に恐怖を齎す作品だということです。『ローズマリーの赤ちゃん』が妊婦向けのホラーであったことと対照的です。
 当然、ネッドの家族が妻と娘なのにも意味があります。まあ、そういう話になると、そもそも「奥さんを味方」だと考えている男がどれくらいいるか、ということになりそうですけれど……。

※1:米国中にある、人口が精々三千人の小さな町を舞台にした文学のこと。ホラー小説の場合、町中の人が吸血鬼でも悪魔崇拝者でもペイガンでも不自然ではないため、設定として頻繁に用いられる。

※2:コーンウォールクームは、イングランドコーンウォールから渡ってきた者が作った村で、クーム(coombe)はケルト語で谷間や窪地という意味。


『悪魔の収穫祭』〈上〉〈下〉広瀬順弘訳、角川文庫、一九八六