読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

海外文学におけるハゲ


 人生において、死、性、病、恋愛、人間関係と同じくらい悩ましい問題であるにもかかわらず、文学は「ハゲ」をきちんと扱ってこなかったように思えて仕方がありません。
 ハゲで笑いを取ったり、不快・滑稽な人物の象徴にしたりすることはあっても、ハゲそのものがテーマになることは滅多になく、当然「ハゲ小説」といったジャンルも存在しないのが現状です。
 実に、ハゲかわしい事態といわざるを得ません。

「ハゲは日本でこそ虐げられているが、欧米ではそうでもない」「日本人のハゲはみっともないけど、白人や黒人のハゲは格好いい」「ハゲはタフで男らしい」などといったポジティブな面が強調されることもありますが、そんなまやかしを信じるお人好しが一体いかほどいるというのでしょうか。
 海外文学においても、ハゲはからかいの対象であることに相違なく、かつらやフリカケ、帽子などで隠せるものなら隠しておきたいというのが真実です。だからこそ、ハゲを正面から取り上げるのはタブーとさえいえます。

 しかし、文学に禁忌などあってはなりません。
 文学者には、ハゲを揶揄するのではなく、その苦悩、諦念、恐怖、恥辱、劣等感などと真摯に向き合い、芸術の域にまで昇華させていただきたいと切に願います。
 というわけで、今回は「登場人物が単にハゲているだけ」ではなく、「ハゲであることが重要な意味を持つ」海外文学を長・短編織り交ぜて紹介します。

 なお、エッセイは、実用書との境界が曖昧になってしまうため、ここでは取り上げません(フィリップ・エリアキムの『禿頭礼讃』など)。

禿頭の騎手」アイソーポス(イソップ)
Φαλακρός ιππεύς(6th century BC)Αίσωπος
 イソップ寓話の一編。騎手のかつらが飛ばされ、ハゲ頭が露わになります。皆が大笑いすると、騎手は「わしのものでもない髪がわしから逃げたとて、何の不思議があろう。一緒にこの世に生まれて来た、元の持主さえ見捨てた髪ではないか」といい返しました。
 紀元前から、ハゲやかつらは笑いの対象だったのですね。
イソップ寓話集』中務哲郎訳、岩波文庫、一九九九

外套ニコライ・ゴーゴリ
Шинель(1843)Николай Гоголь
 主人公のアカーキー・アカーキエヴィチは、「背丈は寸足らず、いささかあばた面に、髪は少々赤茶け、それどころか見たところ目も少々わるいらしく、額の上には五銭玉ぐらいの禿があって(別の箇所では「わずかにこめかみと後頭部に残る薄くなった髪」とある)」という容姿の五十歳、独身。若い官吏にも馬鹿にされる万年九等官で、役所ではひたすら書類の清書をしています。魯迅の「阿Q正伝」もそうですが、冴えない惨めな男性を表現する際、これでもかといわんばかりに「ハゲ」という特徴が追加されます。
「外套」の場合、寒さ厳しいペテルブルグで、薄くなった外套を新調したのに、それが強盗に奪われ……という物語ですから、ハゲであることでさらに寒さが堪える(帽子を被るとはいえ)という意味を含ませているのかも知れません。
『鼻/外套/査察官』浦雅春訳、光文社古典新訳文庫、二〇〇六

カラマーゾフの兄弟フョードル・ドストエフスキー
Братья Карамазовы(1880)Фёдор Достоевский
 ハゲといえば「スケベで絶倫」というイメージを抱く人もいることでしょう。しかし、浅学故、海外文学において、その典型というべき主役級のキャラクターを思いつきませんでした(ポルノグラフィなら、ハゲたエロ親父の主人公がみつかるかも……)。
 苦し紛れに挙げるのが、『カラマーゾフの兄弟』の父親で、欲深く好色な老人フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフです。「放蕩の限りをつくし、色情にかけてはしばしば毒虫のように残忍なフョードル」がハゲであることを示す描写は多くありませんが、第一部第三編「好色な男たち」には「相手は両手をふりあげ、老人の小鬢のあたりにわずかに残っている髪をいきなりつかむなり、引きずりよせ、もの凄い音とともに床に投げとばした」と書かれています。
カラマーゾフの兄弟』〈上〉〈中〉〈下〉原卓也訳、新潮文庫、一九七八

闇の奥』ジョセフ・コンラッド
Heart of Darkness(1902)Joseph Conrad
 もしかすると、『闇の奥』に登場するクルツは、文学史上最も有名なハゲかも知れません。この小説に影響されたフランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』に出てくるマーロン・ブランドを思い浮かべる人もいるはずです。
 コンゴの奥地にいる、カリスマ的な影響力を持つ謎の白人クルツ。「クルツのあの高く秀でた額の骨! 人間の髪の毛は死んだあとも伸びるというが、あの−あの御仁は−見事な禿頭だった。密林の魔境がよしよしと彼の頭を撫でると、なんと、つるつるの玉になったんだ−象牙の玉に」。彼の神秘的・魔術的な性質を表すためにハゲという要素は欠かせません。
『闇の奥』黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫、二〇〇九

あしながおじさんジーン・ウェブスター
Daddy-Long-Legs(1912)Jean Webster
 ジュディことジェルーシャ・アボットは孤児院で育った天涯孤独の少女。あしながおじさんのお陰で大学に進学できた彼女は、まだみぬ篤志家に宛てて沢山の手紙(一方通行)を認めます。
 そのなかでジュディは、ある大切な質問をしました。それが以下の文章です。「手紙へのお返事を期待してはならないことは承知しておりますし、質問をしてはならないと警告もされておりますが、おじさま、今回だけ、今回いちどだけ、お答えいただきたいのです。おじさまは、すごく年寄りですか? それとも、少しだけ年寄りですか? それから、頭はつるっぱげでいらっしゃるのでしょうか? それとも、ややはげでいらっしゃるのでしょうか?」。
あしながおじさん』土屋京子訳、光文社古典新訳文庫、二〇一五
→『世界滑稽名作集(蚊とんぼスミス)』

阿Q正伝魯迅
阿Q正传(1922)鲁迅
 阿Qは、仕事も金も家も女も教育もありません。加えて彼は、ハゲでもあります。魯迅は、社会の最下層で蠢く阿Qを表現するために、ハゲを必要な要素と考えたのでしょうか。
 阿Qは、社会的地位とは逆にプライドが高い人物です。そんな彼も、ハゲにはコンプレックスを抱いていました。「いちばんの悩みは頭の地肌にあり、いつのころからか疥癬あとのハゲが幾つもできていることだった。これは阿Qの身体の一部とはいえ、阿Qの考えによれば、やはり高貴なものとは思えぬようすで、それが証拠に彼は「ハゲ」という言葉とそれに近い発音をすべて忌み嫌ったので、しまいには禁句の範囲を広げて、「光る」もダメ、「明るい」もダメ、さらには「灯り」や「ロウソク」まで禁句となった」とあります。
『故郷/阿Q正伝』藤井省三訳、光文社古典新訳文庫、二〇〇九

ベンスン殺人事件』S・S・ヴァン・ダイン
The Benson Murder Case(1926)S. S. Van Dine
 S・S・ヴァン・ダインの長編デビュー作で、当然ながら名探偵ファイロ・ヴァンスの初登場作品です。
 被害者のアルヴィン・ベンスンは小太り、ハゲの中年男で、ふだんはかつらを装着しています。食料雑貨店の御用聞きにさえハゲを隠すのに、殺されたときはかつらをつけていなかったことが謎を解く鍵となります(本格ミステリーなので、これ以上は書かない)。
 以下は、ヴァンスの科白です。「かつらをつけていなかったってことが、何よりも重要なことなんだ。禿げ頭に悩む中年のだて男(ボー・ブランメル)にとって、かつらってのは身だしなみの必須条件(シニ・クワィ・ナン)なんだからね」。
 なお、この小説はエルウェル殺人事件という実際の犯罪をモデルにしており、エルウェルもベンスン同様、かつらをつけずに殺されたそうです。
『ベンスン殺人事件』日暮雅通訳、創元推理文庫、二〇一三

ブレインストーム教授大あわて』ノーマン・ハンター
The Incredible Adventures of Professor Branestawm(1933)Norman Hunter
 ユーモア小説や児童文学において、ハゲはおかしさや親しみを醸し出します。『オズの魔法使い』では、恐ろしき大魔法使いオズの正体が、ハゲで小柄な老人であることが分かった途端、ほのぼのとした雰囲気になりました。
 ブレインストーム教授は「頭はむだなく、すっきりはげあがり、光があたるとそれなりに輝く」とあります。「読書用」「書きもの用」「外出用」「眼鏡ごしに人をみるとき用」「おきわすれた眼鏡の捜索用」の五つの眼鏡を同時に掛ける教授ですから、額が相当広くないと困りますね。
 詳しくは、こちらをご覧ください。
『ブレインストーム教授大あわて』吉田映子訳、大日本図書、一九八九
→『ブレインストーム教授大あわて』ノーマン・ハンター

追いこまれたエースジョン・アップダイク
Ace in the Hole(1955)John Updike
『走れウサギ』の原型となった短編です。高校バスケットボールの花形選手だったフレッド・アンダーソンは、仕事をクビになった日、新聞記事に自分の名前が載っているのをみつけます。現役のセンターの活躍を伝える記事のなかに、高校時代のフレッドの記録がまだ抜かれていないことが引き合いに出されていたのです。
 妻子がいながら仕事が長続きせず、過去の栄光にすがるフレッド。ふと鏡を覗くと髪型が気になり、慌てて整えます。「そうすると、耳のつけ根のあたりが実際より下がってみえる。一日ごとに生え際が上がってゆくように見える。まわりの人を見ていると、ブロンドの連中のほうが早く禿げている。それにしても、禿は男性的だと書いてあるのをどこかで読んだような気がした」。
 いつまでもヒーローを気取っていられないことは生え際の後退からも明らかなのですが、フレッドはどうしても大人になりきれません。
『同じ一つのドア』宮本陽吉訳、新潮文庫、一九七二

われらが英雄スクラッフィポール・ギャリコ
Scruffy(1962)Paul Gallico
 第二次世界大戦中、「猿がいなくなったら英国人もいなくなる」といういい伝えのあるジブラルタルでは、ウィンストン・チャーチルも気にするほど猿が重要視されていました。英国軍のティモシー・ベイリーは、猿担当士官として猿の世話をしていましたが、彼が左遷されたことによって猿の数は激減します。それをドイツに知られ、英国は大ピンチに陥ります。
 そもそも、ティム解任の原因を作ったのは、乱暴な雄猿のスクラッフィと、皮を剥いたタマネギのようなハゲのラミレス氏です。スクラッフィが、人々の面前でラミレス氏のかつらを奪い、秘密を暴露し笑い者にしたため、その恨みが巡り巡って大事件に発展したのです。
 ハゲを馬鹿にすると戦況にまで影響が及びます……。
『われらが英雄スクラッフィ』山田蘭訳、創元推理文庫、二〇〇二
→『セシルの魔法の友だちポール・ギャリコ

魔術師ジョン・ファウルズ
The Magus(1965)John Fowles
 オックスフォード大学出の青年ニコラス・アーフェは、ギリシャで謎の老人モーリス・コンヒスに出会います。「頭はあらかた完全に禿げ、肌は古い革のような褐色で、背は低く、痩せぎすの、年齢不詳の男だった」というコンヒスは、正に魔術師と呼ぶに相応しく、ニコラスは完全に彼の掌で踊らされてしまいます。
 ハゲは、怪老人らしさとともに、エロティックな印象も与えています。
『魔術師』〈I〉〈II〉小笠原豊樹訳、河出書房新社、一九七二
→『フランス軍中尉の女ジョン・ファウルズ

枯草熱スタニスワフ・レム
Katar(1976)Stanisław Lem
 枯草熱(こそうねつ)とは花粉症のことです。この長編は、イタリアで起こった奇妙な事件の謎を解くミステリー。そのため、『ベンスン殺人事件』同様、興醒めになるようなことは記しません。
 印象的なのは、探偵役の元宇宙飛行士の次のような科白です。「なんと言っても厄介だったのは、禿をはっきり確認できるのは死体の場合だけだ、ということです。なにしろ、生き残り組の中には、自分がかつらをかぶっていることを認めない者もいるかも知れませんからね。人間の自尊心というやつは、この点になるとやけにデリケートでしてね。相手が望まない以上、その髪の毛を引っ張って、禿があるかないか近くから調べるなんてことは、とても無理な話でした」。
 どんな名探偵でも、ハゲ隠しにはお手上げです……。
『枯草熱』吉上昭三沼野充義訳、サンリオSF文庫、一九七九
→『泰平ヨンの航星日記スタニスワフ・レム
→『浴槽で発見された手記スタニスワフ・レム

真夜中の子供たちサルマン・ラシュディ
Midnight's Children(1981)Salman Rushdie
 インド・パキスタン分離独立の夜、英国人のウィリアム・メスワルドがインドを去ってゆきます。最後の瞬間、メスワルドは部分かつらを取り、禿頭を晒します。それまでしつこいくらい「黒髪を真んなかで分けている」と描写されていたのは、これがやりたいがためだったのです。
 主人公のサリーム・シナイは、この時点でまだ生まれておらず、メスワルドに一度も会ったことがないにもかかわらず、彼を忘れることができません(実をいうと、このふたりは「親子」である)。
 しかも、サリーム自身、教師の暴力でハゲができてしまい、魔女に治療してもらうまで、その部分からは毛が生えてきませんでした。
 詳しくは、こちらをご覧ください。
『真夜中の子供たち』〈上〉〈下〉寺門泰彦訳、早川書房、一九八九
→『真夜中の子供たちサルマン・ラシュディ

魔女がいっぱいロアルド・ダール
The Witches(1983)Roald Dahl
 両親を交通事故で亡くした「ぼく」は、ノルウェーの祖母に引き取られます。魔女ハンターの祖母は、「ぼく」に魔女の見分け方を教えてくれます。「ほんものの魔女は、禿げ頭をかくすために、いつもかつらをかぶっているからね。それも、とてもとても上等なかつらをね。とれるかどうか引っぱってみないことには、とてもふつうの髪の毛と区別できないよ」。実際はかつらを引っ張ることなんてできませんが、魔女はハゲ頭に直接かつらを被るので、頭の皮が痒くなるという大きな問題を抱えています。
 わざわざ女性とハゲを組み合わせた理由は、魔女の不気味さ、恐ろしさ、邪悪さを強調したかったのでしょうか。
『魔女がいっぱい』清水達也、鶴見敏訳、評論社、二〇〇六
→『オズワルド叔父さんロアルド・ダール

ブラッド・メリディアンコーマック・マッカーシー
Blood Meridian or The Evening Redness in the West(1985)Cormac McCarthy
 アメリカ開拓時代、家出をした「少年(the Kid)」は、ホールデン判事に誘われ、インディアン討伐隊に加わります。判事は、血と暴力の蔓延る邪悪な世界の象徴ともいえる人物です。
 ハゲだけならまだしも、「石のような禿頭で顔に髭が一本もなく眉毛と睫毛もなかった」というのですから、最早、人間を超えた化けものと呼べるかも知れません。
『ブラッド・メリディアン』黒原敏行訳、ハヤカワepi文庫、二〇一八

超哲学者マンソンジュ氏』マルカム・ブラッドベリ
My Strange Quest for Mensonge: Structuralism's Hidden Hero(1987)Malcolm Bradbury
 一九六〇年代に『文化行為としての性交(フォルニカシオン)』を著した後、忽然と姿を消したフランスの哲学者アンリ・マンソンジュ。その評伝が本書です……というのは冗談で、マンソンジュなる人物は存在せず、この本も現代思想・批評理論のパロディとなっています(日本でいうと、筒井康隆の『文学部唯野教授』に近い)。
 注目すべきは、たった一枚のみ掲載されているマンソンジュ氏の写真です。といっても正面ではなく、禿げあがった頭頂部を後ろから写したものなのです。本文には「ドーム型の、禿げかかった頭蓋が心持ち前方に傾き、カーテンのすきまごしにどこか遠くの(おそらくカフェ・フロールのテラスと考えられる)情景を覗いている」とあります。
 確かに、ハゲは滑稽さ、エロさとともに、知性も感じさせます(ウラジーミル・ナボコフの『プニン』のティモフェイ・プニン教授も同じタイプか)。フサフサより禿頭の方が「知の巨人」に相応しいと思ってしまうのは僕だけかしらん。
『超哲学者マンソンジュ氏』柴田元幸訳、平凡社、二〇〇二

ワースト・ケース・シナリオ株式会社」ケヴィン・ウィルソン
Worst-Case Scenario(2004)Kevin Wilson
 この短編は、ストレートにハゲる恐怖や苦悩を描いています。
 ワースト・ケース・シナリオ株式会社で営業をしている「ぼく」は「二十七歳だけれど、この年齢にして髪が薄くなりはじめている。朝、起きるたびに、枕に抜け毛が何本もへばりついている。浴室の排水溝にも、櫛の歯にも、着ているセーターの肩のところにも、抜け毛が付着している。発見した抜け毛は一本残らずジップロックの袋に保管し、ベッドのしたに隠しておくことにしている。今後、医学が発達して、抜け毛をもとどおり植毛しなおす方法が見つかることを期待して」なんて人物です。指を一本なくしても、飼い猫を車で轢いてしまっても別れないという恋人も、「ハゲたら、どうする?」という質問には、沈黙してしまいます……。
 それにしても、髪が薄くなっている悩みを打ち明けて、「頭の形がよい」と切り返されるのは、果たして慰めになるのでしょうか。
『地球の中心までトンネルを掘る』芹澤恵訳、東京創元社、二〇一五