Memoirs of a Survivor(1974)Doris Lessing
二〇〇七年にノーベル文学賞を受賞したドリス・レッシング。
彼女の代表作といえば『黄金のノート』や『草は歌っている』を思い浮かべる人が多いでしょう。飽くまで個人的な印象ですが、長編は難解で固苦しく、短編は打って変わって読みやすいという特徴があるように思います。
レッシングは、一九七〇年代以降、SF的な設定を用いた作品も書いています。翻訳されているものでは、サンリオ文庫の『シカスタ ―アルゴ座のカノープス』(「Canopus in Argos」シリーズの一作目。続編は未訳)もそうですし、『グランド・マザーズ』に収められている「最後の賢者」なんかもそうです。
とはいえ、アンナ・カヴァンと同じく、SFファンは、これらをSFと認識することはほとんどなさそうです。
『生存者の回想』(写真)もサンリオ文庫ですから、一応終末ものに分類されるかも知れませんが、SF色はさほど強くありません。
舞台は近未来っぽいけれど、SFのガジェットをふんだんに用いているわけではなく、主としてそこで暮らす女性の内面を描いています。一般の小説と同様、テーマは女性の解放と自立です。
近未来のロンドン(と思しき都市)。政府の機能はほとんど破綻し、街は荒廃しています。人々は集団でどこかへ移動しており、路上にはキャンプを張る彼らの姿がみられます。
主人公の女性は、居心地のよい古いアパートの一階から離れず、窓から外を眺めて暮らしています。そこへ、男性が現れ、十二歳の少女エミリを預けてゆきました(彼女は、ペットのヒューゴウを連れている)。その日から、ふたりと一匹の生活が始まります。
主人公の所属する社会では、重大な危機があったらしい。にもかかわらず、時間も場所も、それどころか何が起こったのかも曖昧です(作中では単に「それ」としか書かれていない)。
また、主人公である初老の女性は名前すら与えられていません(そのため、以下「主人公」と記載する)。
レッシングの作品には自立した(しようとしている)女が登場することが多いのですが、主人公は究極の自立というか、ほぼ孤立した生活をしています。この作品は「ひとつの自伝の試み」とのことなので、執筆当時のレッシングは、主人公に自己を投影したと考えて間違いなさそうです(多分、年齢も同じくらい)。
SF的な舞台を選んだ理由は「現実に捉われず、とことん内面の世界を描くぞ」という宣言のようなものでしょう。
主人公は、徹底して傍観者であり続け、これも作家としてのレッシングと重なります。
というか、そうとでも考えないと、主人公の特異さが説明できないのです。
物語の内部に語り手を置く一人称の小説の場合、いかに客観的にあろうとしても限界があり、語り手はある程度、その世界でのできごとに絡まざるを得ないのが普通です。ところが、『生存者の回想』の主人公は、目の前で様々な事件が起こっているにもかかわらず、ほとんど行動せず、完璧な観察者でい続けるのです(エミリの仲間から完全に無視されたりもする)。
これは、登場人物と同じ階層にいながら、作者に限りなく近い位置にいる存在と解釈できるでしょう。
では、主人公が観察していたものは何かというと、エミリという少女です。
自由奔放で行動的なエミリは、キャンプの若者たちの仲間に加わったり、グループのリーダーの青年とつき合ったりと、とにかく積極的に動き回ります。若さ故、危なっかしいところもありますが、生き生きとしていて、それなりに魅力的です。
エミリと主人公は、一見正反対の性質を持った存在であるようにみえます。しかし、エミリもまたレッシングの分身に他ならないのです(母親との確執、弟の存在などから容易に読み解ける)。
主人公は、壁の後ろにある部屋を通じて、エミリの過去を眺めることができます(これが唯一のSF的仕掛けかも)。
エミリは主人公にとって、自明の過去であるらしく、その証拠にいくら観察(回想)を繰り返そうが、主人公には何ら変化が齎されるわけではありません。寧ろ、大きく変わってゆくのはエミリ、そして犬だか猫だか分からない醜いペットのヒューゴウです。
エミリは、様々な経験(恋愛)を経て、グロテスクな少女から美しい女性へと変貌します。それに合わせて、ヒューゴウまで光り輝きます。
それを見届けた主人公は、過去が自分を通り越して、新たな未来につながったようにみえたのではないでしょうか。
それは多分、悔恨なんかではなく、大いなる喜びだったと思われます。
『生存者の回想』大社淑子訳、サンリオ文庫、一九八四
サンリオSF文庫、サンリオ文庫
→『マイロン』ゴア・ヴィダル
→『どこまで行けばお茶の時間』アンソニー・バージェス
→『深き森は悪魔のにおい』キリル・ボンフィリオリ
→『エバは猫の中』
→『サンディエゴ・ライトフット・スー』トム・リーミイ
→『ラーオ博士のサーカス』チャールズ・G・フィニー
→『生ける屍』ピーター・ディキンスン
→『ジュリアとバズーカ』アンナ・カヴァン
→『猫城記』老舎
→『冬の子供たち』マイクル・コニイ
→『アルクトゥールスへの旅』デイヴィッド・リンゼイ
→『旅に出る時ほほえみを』ナターリヤ・ソコローワ
→『蛾』ロザリンド・アッシュ
→『浴槽で発見された手記』スタニスワフ・レム
→『2018年キング・コング・ブルース』サム・J・ルンドヴァル
→『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ
→『パステル都市』M・ジョン・ハリスン
→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス
→『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ
→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル
→『どこからなりとも月にひとつの卵』マーガレット・セントクレア
→『ジョン・コリア奇談集』ジョン・コリア
→『コスミック・レイプ』シオドア・スタージョン
→『この世の王国』アレホ・カルペンティエル
→『飛行する少年』ディディエ・マルタン
→『ドロシアの虎』キット・リード
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