Walking Dead(1975)Peter Dickinson
いくら好きでも、あの世に本を持ってゆくことはできませんから、ある時期がきたらネット古書店を開業して、蔵書を売りさばく計画を立てています(詳しくは「ネット古書店開業の夢」)。
星の数ほどある他店との差別化を図るために考えたのは、セット売りを中心にすること。全集やシリーズは勿論のこと、「ブローティガンセット(詩集は除く)」とか「泰平ヨンセット」とか、場合によっては「ブッカー賞受賞作セット」や「アフリカの作家セット」なんて苦し紛れのセットを作り、まとめて販売するのです。「そうすれば、お客さんは集める手間がかからないし、僕の方は一気に在庫がさばける」なんて皮算用をしています。
そう簡単に売れないでしょうが、それで食っていくわけではないので焦る必要がないこと、好きな作家や好きなシリーズはすべて集めないと気が済まない性格のため、既に多くのセットができあがっていることが強みです。
とはいえ、何でもかんでもコンプしてあるかというと、当然そんなことはなく、きちんと揃えていない作家やシリーズも沢山あります(例えば、イタロ・カルヴィーノ、マルグリット・デュラス、ジャック・ケルアック、野坂昭如、色川武大など……)。それらは気まぐれに購入するため、全体像がみえないどころか、何を持っているかすら忘れていることが多い。そうなると、古本屋の棚を睨みながら、しばし思案することになります(既に所持している本をダブって買ってしまう癖というか悪弊は、古本好きと切り離すことができない)。
実をいうと、サンリオSF文庫も、それに近い状態にありました。
廃刊後は古書価格が高騰したため、敢えて無視し続けていましたが、相場が落ち着き、経済的余裕も多少できた後は、古書店やネットで手頃な値段のものをみかけると、ちょこちょこ購入するようになりました。自分のなかでの流行り廃りもあり、まとめ買いしてみたかと思うと、何年も購入しなかったりといったデタラメな調子で、約二十年が経過したのです。
ところが、前回の感想文を書いた後、偶然『この狂乱するサーカス』を入手したことから、蒐集欲が再燃しました。大袈裟ですが、「すべて集めなさい」という古本神の啓示だと思った次第。
そして、ついに、全く買うつもりのなかった「ステンレス・スチール・ラット」「宇宙飛行士グレンジャーの冒険」「バトルフィールド・アース」などのシリーズものにまで手を出してしまいました。この辺りは、いつでも入手可能なラストスパート用の本たちなので、それらを買い始めたってことは秒読みに入ったと考えてよいでしょう。
というわけで、本棚や段ボール箱などあちこちにちらばっていたのをきちんと整理し、リストを作ってみたところ、いつの間にか、かなり集まっていることに気がつきました(案の定、ダブりもあった。『マイクロノーツ』三冊って……。赤火星人の魔力か……)。
現時点で所持している冊数は、次のとおりです。
・サンリオSF文庫 百九十三冊
・サンリオ文庫〈A〜C〉 二十三冊
計 二百十六冊
サンリオSF文庫は新装版四冊を含めると二百一冊、サンリオ文庫のA〜Cは二十四冊(D以降は買う予定なし)の計二百二十五冊。ってことは、両方合わせても残りたった九冊じゃないですか! 一桁まできてるんだったら、コンプリートしない方が逆に変です。
幸いキキメ(※1)の『生ける屍』(写真)は入手済みですし、未入手で高価そうなのは精々二、三冊なので、朝食を抜いたり、昼食を抜いたり、夕食を抜いたりすれば、何とかなりそうかな……(※2)。
前おきが長くなりました。
ピーター・ディキンスンは、サンリオSF文庫からほかに二冊出版されており、他社からも多くの著作が翻訳されています。つまり、なかなかの流行作家といえるでしょう。
にもかかわらず(だからこそ)、僕はサンリオの三冊しか持っていませんし、実をいうと『キングとジョーカー』『緑色遺伝子』は長年積読状態です(『生ける屍』だって感想文を書くことにしなけりゃ一生読まなかったと思う)。
それで偉そうなことをいうのは気が引けますが、『生ける屍』は、レア度や古書価格のことばかり話題にするのは勿体ないくらいユニークなエンタメ小説です。
いや、ディキンスンという人は、(多分)何を書いても、それなりに面白くさせる能力を備えたタイプの作家なんでしょう〔『キングとジョーカー』のカバー裏には「巧緻極まりない設定と華麗な文休(ママ)」と書かれている。マイクル・コニイの『ハローサマー、グッドバイ』の「極寒の惑星に住むアンドロイドたち」(写真)に比べれば可愛いもんだけど……〕。
まずは、あらすじから。
製薬会社に勤める有能な研究者デイヴィッド・フォックスは、カリブ海にあるホッグ島の研究所に赴きます。しかし、彼の実験は独裁国家との政治的駆け引きのために行われており、科学的にはほとんど意味がないことが分かります。怒ったフォックスは英国へ帰ろうとしますが、研究室で掃除婦の死体をみつけ、殺人容疑で逮捕されてしまいます。
本島へ連れていかれたフォックスは、半強制的にSG19という薬を使った人体実験(被験者は政治犯)にかかわることになります。しかし、それに反発したフォックスは、被験者らとともにピットから脱走するのですが……。
ジョン・ファウルズの『魔術師』(1965)に雰囲気が似てるなあと思い、警戒しながら読み進めてゆきました。が、あれよりは、かなり軽い。
多分それは、主人公フォックスの人間性に関係があるのでしょう。
フォックスは研究熱心ではあるものの、独創性に欠け、会社が整えてくれた環境で、黙々と実験を進めてゆくタイプ。かつての恋人は、そんな彼を心配し「あなたから仕事を取ったら、生きる屍になってしまう」と忠告してくれます。そう、『生ける屍』(予告では『歩行する死者』というタイトルだった)といっても、リビングデッドを指すわけではないんです(場所柄、ハイチのブードゥー教やゾンビなどの影を匂わせているし、実際、魔術が重要な役割を果たすが、少なくとも『生ける屍の死』のような設定ではない)。
巨大な力に翻弄されても、最後まで抗わず、妥協点をみつけて迎合してしまうフォックス。大胆な脱走計画にしても義憤に駆られたというより、ムードに流されたという感じ。
長いものに巻かれるのは現実にはよくいるタイプですが、長編小説の主人公としては異色な存在です。フィクションにおいては、要領のよさよりも、正義感が強かったり、頑固だったり、馬鹿だったりする方が物語が面白くなるからです。
けれども、そうした性格だからこそ、作品に個性を齎すことに成功しているともいえます。サラリーマン的な主人公による消極的かつ笑かす意図のない冒険活劇は、当時としてはかなり珍しかったんじゃないでしょうか。具体的には、主人公に感情移入しにくく、善悪が曖昧になり、諷刺対象の滑稽さが増し、結末がみえにくいという利点があるように思います。
勿論、それによって失うものも多かった(何より盛り上がりに欠けるのがエンタメとして致命的か)し、フォックスの視点にこだわらず、独裁国家、企業、共産主義者、革命軍という四つの組織の立場からこの物語を描けば、より厚みが出たかも知れません。
しかし、ありきたりの推理小説を書いたって仕方ないというディキンスンの試みは大いに評価すべきでしょう。
一方、ミステリーとしての結末は、きちんと用意されています。掃除婦殺人の謎解きに至っては「Walking Dead」のもうひとつの意味が明らかになり(当然ながら、ちゃんと伏線も張られている)、ミステリーマニアも溜飲を下げるはずです。
ま、それも大きなカタルシスというより、前述したとおり、それなりの面白さなんですが、贅沢をいっちゃキリがありません。これくらいで満足しておくのが大人の反応でしょう(※3)。
あ、そうそう、「コンプしたサンリオ文庫セットをいくらで販売するか」ですね。せめて抜かした食事代くらいは取り返したいと思っていますが、そう上手くいくかしらん。うーん。
追記:二〇一三年六月、ちくま文庫から復刊されました。
※1:「キキメ」というのは古書用語で、全集のなかで一部入手しづらい巻のこと。
全集は、後に発行された巻、補遺や年譜のような特殊な巻は概ね刷部数が少ないといわれている。加えて「後年、その著者の人気が出た」「発禁処分になった」「回収騒ぎがあった」などの理由があれば、さらに高価になる。
サンリオSF文庫は全集ではないが、コンプを目指す人が多いため、『生ける屍』がキキメといわれている。
その癖、都心のそれなりの古書店へいけば容易に出会うことができる。「どこを探してもみつからない!」本に高値がつくのなら納得できるけど、頻繁に目にする文庫本がン万円もするのは、なぜなのか。
高価すぎるせいでコレクターの手に渡らず、市場に残っているとも考えられるが、寧ろミステリーやSFを得意とする古書店にとって、格好の看板になるという理由が大きいだろう。誰もが知っているレアな文庫本がショーケースに鎮座ましましているだけで店に箔がつくから、安価で売ってしまうはずはないのだ。
購入する場合は、個人が出品しているネットオークションが狙い目だろう。実は、僕もそれで購入した。出品者が品名を間違えたお陰で検索に引っ掛からなかったのか、ほかに競争相手もなく、拍子抜けするくらいの金額で落札できた。古書店の百円均一棚で発見するなどといった奇跡は訪れなくとも、この程度の幸運ならじっくり待てば必ずやってくるはず。
※2:Amazonのマケプレを利用すれば簡単に集まるが、あれは画像が掲載されないため失敗が多い(ネット専門古書店等の大量出品者はコメントがコピペのことが多く、全く信用できない。そこが古書店の目録と大きく異なるところ)。特にサンリオSF文庫は、PP加工されていないカバー(詳しくはこちら)や、激しくズレたカバーがあり、油断できない。将来売ることを考えると、なるべく実物を確認して購入したいので、そうなるとコンプまで数年掛かる可能性もある。
※3:「ン万円の価値なし」なんていう人もいるが、そもそも読書に価値なんてない。本なんて読まなくても生きていけるし、そこに大きな期待をする方が間違いである。
『生ける屍』神鳥統夫訳、サンリオSF文庫、一九八一
サンリオSF文庫、サンリオ文庫
→『マイロン』ゴア・ヴィダル
→『どこまで行けばお茶の時間』アンソニー・バージェス
→『深き森は悪魔のにおい』キリル・ボンフィリオリ
→『エバは猫の中』
→『サンディエゴ・ライトフット・スー』トム・リーミイ
→『ラーオ博士のサーカス』チャールズ・G・フィニー
→『ジュリアとバズーカ』アンナ・カヴァン
→『猫城記』老舎
→『冬の子供たち』マイクル・コニイ
→『アルクトゥールスへの旅』デイヴィッド・リンゼイ
→『旅に出る時ほほえみを』ナターリヤ・ソコローワ
→『蛾』ロザリンド・アッシュ
→『浴槽で発見された手記』スタニスワフ・レム
→『2018年キング・コング・ブルース』サム・J・ルンドヴァル
→『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ
→『パステル都市』M・ジョン・ハリスン
→『生存者の回想』ドリス・レッシング
→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス
→『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ
→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル
→『どこからなりとも月にひとつの卵』マーガレット・セントクレア
→『ジョン・コリア奇談集』ジョン・コリア
→『コスミック・レイプ』シオドア・スタージョン
→『この世の王国』アレホ・カルペンティエル
→『飛行する少年』ディディエ・マルタン
→『ドロシアの虎』キット・リード
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