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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『冬の子供たち』マイクル・コニイ

Winter's Children(1974)Michael Greatrex Coney

 一部の人に熱狂的に支持されつつ、一般には余り知られていないのをカルト的人気と呼ぶのなら、マイクル・コニイ(※1)なんて、正にピタリと当て嵌まるのではないでしょうか。
 ネットを少し検索すれば、絶賛の声が多いことが分かるものの、訳本はサンリオSF文庫からしか出版されず、同文庫廃刊後は『ハローサマー、グッドバイ』が河出文庫から再刊されるまで、ほぼ忘れられた作家となっていました(原著でも一九九〇年代以降、長編はほとんど発表されず、二〇〇五年に死去)。

 僕自身の評価はどうなのかというと、SF音痴のせいか、正直、さほど芳しくありません……。
 ただし、僕は本当にSFとは相性が悪いので、余り当てにしないでください。SF小説は好きなのに、面白いと思える作品に出合う確率が異様に低く、自分でも困っているのですから(例えば、評判がよさそうだからと読んでみたコニー・ウィリスは、全然ダメだった。一冊で判断するのは嫌なので『ドゥームズデイ・ブック』『犬は勘定に入れません』『航路』『最後のウィネベーゴ』と我慢して読んでみたものの、少なくとも僕にとって、あの長さは苦痛以外の何ものでもなかった……)。

 コニイの作品のなかで最も知られている『ハローサマー、グッドバイ』(一九七五)は、恋愛小説としては陳腐すぎるし、ラストのどんでん返しと呼ばれるオチもピンときませんでした。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、「かつて苦難を生き延びた歴史があり、数々の事例も報告されているのだから、××の能力くらい、とっくに研究・実用化されていてしかるべきじゃないの? ひとりの少年だけがあそこで気づくのはおかしい」と思ったら白けてしまいました。

『カリスマ』(一九七五)は、パラレルワールドものです。この物語のなかの平行世界は、時間を少しずつずらしながら同じようなことが起こる(全然違う部分もあり、自分が既に死んでいる世界もあったりする)という設定で、それを利用したラヴストーリーとミステリーになっています。
 主人公は、序盤から美女の死に遭遇し、殺人事件の容疑者にされます。コニイにしては展開が早いので、退屈せずに読み進められます。
 一方で、平行世界で巻き込まれる数多くのトラブルは、元の世界に逃げ帰ることで解決されてしまう点が安易に感じられました。また、平行世界を利用した殺人事件の謎解きは、素直に料理すれば面白かったような気がするのですが、ミステリーではなくSFとして処理されているため(SF小説だから当然ではあるが)、分かったような分からないような説明による後味の悪さが残ってしまいました。
 もうひとつの軸であるラヴストーリーについても、死んだ恋人に会えるまでパラレルワールドを旅し続けるだけで素敵だったのに、ラストに大して驚きのないオチを用意したのがいただけません。ロマンチックなハッピーエンドにしておけば『夏への扉』に匹敵する作品になったかも知れないのに、つくづく勿体ないなあと思いました。

ブロントメク!』(一九七六)は、『ハローサマー、グッドバイ』とよく似た雰囲気でありながら、主人公の年齢があがったせいか、青臭さが和らぎ、とても読みやすくなりました(これは『カリスマ』も同様)。アイディアも面白いし、決して少なくない登場人物も魅力的に描けているので、快適な読書の時間を過ごせること請け合いです。
 ただし、様々な要素を盛り込みすぎて、やや散漫な印象になってしまった点が残念です。タイトルからして、ひねりすぎって感じがしないでもない。オチも読みやすいですしね(スザンナは悲劇を招く女か)。
 なお、『カリスマ』や、未訳の長編『Mirror Image』(一九七二)、『Syzygy』(一九七三)とも世界を共有しているため、それらを読んでいないと意味の分からない箇所があります。

 と、つい辛口の感想になってしまいますが、『冬の子供たち』に関しては、その限りではありません。僕は四冊のなかでは、これがダントツに好きです。
 カバーイラストに新井苑子を起用したのは、サンリオ文庫ではこの本が唯一です(※2)。彼女のファンとしては、それだけでかなりポイントが高い。

 また、前述の三作は、設定や舞台が共通していたり似通っていたりしますが、これだけはまるで毛色が異なり、純粋な(?)ファンタジーになっています。
 ここでも恋が語られますが、比重が軽いのもよい点です。正直いって、コニイは恋愛を書くべきではなかったと思います。何しろ「主人公は何の努力もせずヒロインに惚れられるものの、その女性は美人であること以外、全く魅力に欠ける」って具合なので、読むのが堪らなくきついですから……。

 地軸の傾きの影響で氷河期が訪れた地球。大量の雪に閉ざされた村の鐘塔に数人の男女が暮らしています。彼らは〈四つ肢〉という大型の獣を狩り、〈肉の狩り手〉と呼ばれる敵と戦っています。
 仲間が死んだり、逆に新たな仲間が加わったりしながら、やがて彼らは雪上ボートを作り、新たな土地に向かって旅立ってゆきます。

 雪と植物の違いはあるものの、変貌した地球において、数を減らした人間が必死に生きてゆくところは、ブライアン・W・オールディスの『地球の長い午後』に似ています。
 また、SFやファンタジーにつきものの空想上の生物やできごとが少ないため、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』や、ウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』といった趣もあります。

 人類が積み上げてきた文明の成果はほぼ失われ、雪原に適応した大型の野獣がいたりするので、氷河期に突入してかなりの年月が経っているかと思いきや、缶詰や酒壜は残っているし、青空や緑の平原を知っている〈爺さん〉もいるので、やや戸惑います。が、その辺は余り深く考えなくてもよいでしょう。
 とにかく中心となるのは「肉の狩り手」との戦争だからです。息をつかせないくらい次々と戦闘が起こり、それをどう切り抜けるかが読みどころのひとつになっています。

 ただ、そうしたことがどうでもよくなってしまうくらい素晴らしい結末が、ラストの一頁に用意されています。
 オチについては、前述の三作で「折角の物語が台なしだ」「上手くいってない」「バレバレだ」などと散々貶しました。しかし、『冬の子供たち』においては、なかなか面白い効果を発揮しています。

 コニイは、物語の最後において、それまで積み上げてきたものを一気に崩し、価値観の転覆を狙う作家だと思います。それは、よいとか悪いとかいう次元の話ではなく、物語作家としての性質なので、多分やめろといわれても無理なのでしょう。この手の仕掛けは、無惨に失敗してしまうことが多いのですが、稀にバッチリ決まります。
 で、後者の好例が『冬の子供たち』なのです。

 単純なバトルファンタジーと思われていた小説が、最後の一頁で全く違う顔をみせ、隠されていたテーマが明らかになります。
 それが何かというと……、集団を率いる者がトラブルメーカーにどう対処するか、っていう中間管理職の悲哀みたいなものだったりするわけで……。

 いや、爽やかな児童向けファンタジーのつもりで読み進めていたのに(登場人物は「子供たち」というほど若くないが……)、いきなりこの結末がきたら、本を壁に投げつける人がいても不思議ではありません。
 にもかかわらず、怒りが湧くどころか、ニヤニヤしてしまうのは、やはりスカッとする読後感のせいではないでしょうか。
 ヒステリックで自分勝手な女なんて、できれば捨ててしまいたいけど、過去に一度やっちゃったし、仲間の手前もあって、見捨てるわけにはいかない。そのイライラが、自分が手を下さずに解消されるなんて、ある意味では究極のハッピーエンドかも知れない……と思える男性なら、お気に入りの一冊になるはずです。多分……。

※1:原著では著者名が「Michael G. Coney」と「Michael Coney」の二通りある。

※2:新井苑子「オズ」シリーズなど、ハヤカワ文庫SFやFTではお馴染みだった。しかも、あちらはカラー口絵がついていることも多かった。魅力的なカバーイラストが売りのひとつだったサンリオSF文庫だけに「カラー口絵を採用してくれればよかったのに」と僕は当時から思っていたのだが……。


『冬の子供たち』関口幸男訳、サンリオSF文庫、一九八〇

サンリオSF文庫、サンリオ文庫
→『マイロンゴア・ヴィダル
→『どこまで行けばお茶の時間アンソニー・バージェス
→『深き森は悪魔のにおい』キリル・ボンフィリオリ
→『エバは猫の中ガブリエル・ガルシア=マルケスオクタビオ・パスほか
→『サンディエゴ・ライトフット・スー』トム・リーミイ
→『ラーオ博士のサーカス』チャールズ・G・フィニー
→『生ける屍』ピーター・ディキンスン
→『ジュリアとバズーカアンナ・カヴァン
→『猫城記』老舎
→『アルクトゥールスへの旅デイヴィッド・リンゼイ
→『旅に出る時ほほえみを』ナターリヤ・ソコローワ
→『』ロザリンド・アッシュ
→『浴槽で発見された手記スタニスワフ・レム
→『2018年キング・コング・ブルース』サム・J・ルンドヴァル
→『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ
→『パステル都市』M・ジョン・ハリスン
→『生存者の回想』ドリス・レッシング
→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス
→『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ
→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル
→『どこからなりとも月にひとつの卵』マーガレット・セントクレア
→『飛行する少年』ディディエ・マルタン