読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『サンディエゴ・ライトフット・スー』トム・リーミイ

San Diego Lightfoot Sue and Other Stories(1979)Tom Reamy

 一九七七年、四十二歳の若さでこの世を去ったトム・リーミイ。
 彼の死後、『沈黙の声』(1978)、『サンディエゴ・ライトフット・スー』(写真)という二冊の本が出版され、日本ではいずれもサンリオSF文庫から発行されました。
『沈黙の声』の方は後にちくま文庫で復刻されましたが、『サンディエゴ・ライトフット・スー』は復刊の噂のみで立ち消えてしまったようです。
 ただし、以前も書いたとおり、サンリオSF文庫の古書相場は落ち着き(※)、一部の作品以外は手頃な価格で購入できるようになりましたから、再刊を待つ必要は余りないように思います(訳の質はともかくとして……)。

 リーミイはファンダムで活動していたそうですが、上記二作をみる限りSFの要素はほとんどありません。無理矢理分類するとすれば、ファンタジー、あるいはBL小説といってもよいかも知れません(活動期間が短かったので、長生きしていたら、どう化けたかは神のみぞ知るだが)。
 また、この二冊は、長編と短編の違いはあるものの、素材も調理法も味つけも似通っています。一部、舞台や登場人物も共通しているため、今回はまとめて感想を書くことにします。

『沈黙の声』は、一九三〇年頃、カンザス州にあるホーリイという小さな町が舞台。そこにやってきた移動フリークショウが、住民にちょっとした刺激をもたらします(サーカスといえば、サンリオSF文庫には『ラーオ博士のサーカス』という怪ファンタジーもあった)。
 小人、人魚、ミノタウロスメデューサ、透明女、電気人間、アンドロギュヌスなどフリークが登場しますが、おどろおどろしさを売りにしているわけではありません。分かりやすくいうと、「能力者バトル」+「性愛」となるでしょうか。

「能力者バトル」の方は、悪の能力者に虐げられていた美少年が、愛する少女の力を借り、眠っていた能力を目覚めさせる。そして、強大な敵に立ち向かってゆく、って感じ。結末の読める、捻りのないストレートな展開です。
 一方、「性愛」の方は、田舎町で過ごす女子高生三人組の一夏の体験が中心になります。しかし、そこに友情など存在せず、ドライかつ自己中心的なのが特徴。主役の少女は、親友が惨殺されても自分のことしか考えないので、正直、余り魅力を感じません。

 総合的にみて、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる』には及ばないものの、幻想文学としては悪くありません。ただし、オタク臭がかなり強烈で、リーミイがもし今の日本に生きていたら、BLとかラノベとか恋愛ゲームのシナリオを書いたかも、なんて想像が容易にできてしまいます。そういう意味では、寧ろ現代でこそ通用する作品といえるかも知れないと思ったりして……。

 内容はさておき、サンリオSF文庫最高値の定価七百四十円として取り上げられることの多い『サンディエゴ・ライトフット・スー』(頁数は『万華鏡』『時は準宝石の螺旋のように』『はざまの世界』の方が多い)。巻頭と巻末には、ハーラン・エリスン、ハワード・ウォルドロップによる気合いの入った追悼文が掲載されており、目頭を熱くさせてくれます。

『沈黙の声』と共通の舞台や雰囲気の作品あり、ハードボイルドSFあり、パニックホラーあり、ゴシック小説のパロディありとバラエティに富んでいるようにみえますが、実は物語のパターンはどれも非常に似通っています。多くの話が「得体の知れない邪悪なもの(宇宙人、魔神、超能力者など)が、いつの間にか人々の間に紛れ込んでいて騒動を起こす」なんて風に要約できてしまうのです。
 加えて、やたらに登場人物が多いのもリーミイの特徴です。数十頁の短編にもかかわらず、名前を持った人物が嫌がらせかと思うくらい大量に現れるので、外国人の名前を覚えられない人にとってはきついかも知れません。
 さらに、年下の美少年とのセックス(男女問わず)を描いたものも多い……。これも好き嫌いが分かれそうです。

 この歳になって読み返してみて、改めて感じたのは、リーミイは作家としては未完成だったってことです。
 正直、とんでもないアイディアも、巧みなプロットも、優れたテクニックもなく、癖はあるものの、強烈な個性には至っていません。残された作品は長編も短編も一見凡庸で、「早世したこと」「サンリオSF文庫に収録されていること」を抜きにしたら、取るに足りないレベルかも知れません。

 にもかかわらず、心に染みるのは、どうしてなのでしょうか。
 短編集のなかでは、表題作の「サンディエゴ・ライトフット・スー」が圧倒的に好きです(lightfootには「尻軽」という意味もあるらしい。サンディエゴ出身の中年売春婦スーと孤独な少年ジョン・リーの悲しい恋を描いている)。かつてジョン・リーに近い年齢で読み、今、スーと同じ歳になって読み返しましたが、ラストのスーの手紙では、やはり胸が苦しくなりました。
 何度も書きますけど、決して出来のよい短編ではありません。もう少し技巧に走るとか、直截な表現を避けるとか、綺麗な伏線を張るとかしてもいいんじゃないかと思うところが沢山ある。でも、それをすると、多分リーミイのよさが消えてしまうのでしょう。

『沈黙の声』のエンジェル、「ハリウッドの看板の下で」の翼のある生きもの、「サンディエゴ〜」のジョン・リー、「デトワイラー・ボーイ」のデトワイラー、「琥珀の中の昆虫」のベン。いずれも無垢な美少年ですが、容姿はともかくとして、リーミイも彼らと同じく純粋な心を持った人だったのかも知れません。
 そして、作家にとってそれは、ときに頭(アイディアやインテリジェンス)や腕(テクニック)よりも重要な資質になるのでしょう。

 彼が長生きをしていたら、文句のつけようがないくらい見事な出来映えの作品を書いた可能性もあります。だからといって、今以上に心に残るものになっていたかというと、大いに疑問だと思うのです。
 リーミイの描く少年たちは、人を愛することを知り、大人になってゆきました。一方、その代償として失ったものも大きかったのです。
 この二冊分の物語のなかには、かつて彼らが持っていた無防備な魂が、そのまま残っているような気がします。

※:かつては「サンリオSF文庫」と名がつけば何でもかんでも馬鹿高かった印象があるが、発行部数の多い本や不人気な本が適正価格になっただけで、人気の高い本はまだまだプレミア古書としての力を保っている(すべて集めても二百冊前後という手軽さのせいか、コンプリートを目指す人が多いという理由もあるのかも)。
 特に最近は、マイクル・コニイやアンナ・カヴァンの人気が高い様子。
 前者は、『冬の子供たち』や新訳の出た『ハローサマー、グッドバイ』の価格は落ち着いたものの、かつて数百円で買えていた『ブロントメク!』が高騰している。河出文庫版『ハローサマー、グッドバイ』の「訳者あとがき」で褒められているせいだろうか。
 後者は、最近ようやく『アサイラム・ピース』が翻訳されたせい……いや、『ジュリアとバズーカ』が『ビブリア古書堂の事件手帖』で取り上げられたらしいので、その影響かも。


『サンディエゴ・ライトフット・スー』井辻朱美訳、サンリオSF文庫、一九八五

サンリオSF文庫、サンリオ文庫
→『マイロンゴア・ヴィダル
→『どこまで行けばお茶の時間アンソニー・バージェス
→『深き森は悪魔のにおい』キリル・ボンフィリオリ
→『エバは猫の中
→『ラーオ博士のサーカス』チャールズ・G・フィニー
→『生ける屍』ピーター・ディキンスン
→『ジュリアとバズーカアンナ・カヴァン
→『猫城記』老舎
→『冬の子供たち』マイクル・コニイ
→『アルクトゥールスへの旅デイヴィッド・リンゼイ
→『旅に出る時ほほえみを』ナターリヤ・ソコローワ
→『』ロザリンド・アッシュ
→『浴槽で発見された手記スタニスワフ・レム
→『2018年キング・コング・ブルース』サム・J・ルンドヴァル
→『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ
→『パステル都市』M・ジョン・ハリスン
→『生存者の回想』ドリス・レッシング
→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス
→『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ
→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル
→『どこからなりとも月にひとつの卵』マーガレット・セントクレア
→『ジョン・コリア奇談集』ジョン・コリア
→『コスミック・レイプシオドア・スタージョン
→『この世の王国』アレホ・カルペンティエル
→『飛行する少年』ディディエ・マルタン
→『ドロシアの虎』キット・リード

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