読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『快楽亭ブラック集』快楽亭ブラック

Kairakutei Black I

 明治・大正時代、英国人の噺家が人気を博していました。彼の名は、初代快楽亭ブラック
 幼少の頃に日本を訪れたブラックは、両親が帰国した後も日本に留まり、やがて日本人の養子となり、日本人と結婚もしました(本名はヘンリー・ジェイムズ・ブラック、帰化後は石井貎刺屈)。
 ブラックは、落語だけでなく、講談や奇術なども得意としたエンターテイナーでしたが、晩年は人気が凋落し、どさ回りをしていたそうです。

「明治時代に外国人が落語をやってたのか」と思われるかも知れません。けれど、落語には外国の物語を翻案したものも結構あって、有名なところでは三遊亭圓朝の「死神」「名人長二」「錦の舞衣」、二代目桂文之助の「動物園(ライオン)」などがあげられます(※1)。
 ブラックもチャールズ・ディケンズの『オリバー・ツイスト』やメアリー・エリザベス・ブラッドンの「Flower and Weed」(1884)など翻案したネタを寄席にかけたり、本にしたりしていました。
 一方で、オリジナルなのか翻案なのか不明なものもあるそうです。『快楽亭ブラック集』に収められた四編が正にそれで、ひょっとするとブラックの創作の可能性もあるとか。

 さて、外国の物語の翻案というと、舞台や登場人物を「外国のままにしたもの」「日本に置き換えたもの」以外に、両者の混合型というべき「舞台は外国にもかかわらず、人名や文化、風俗などは日本に置き換えたもの」があり、ブラックの場合はこれに当たります。
 例えば「流の暁」では、フランス人の沢辺男爵は、銭がなくなったら「上野の摺鉢山へでも往って首を絞るか両国辺へ参って土左衛門と改名致すより外に仕方があるまい」と考えたり、イギリス人の田舎娘おせんと「歌舞伎上の話か寄席の景況」を話題にしたりするのです。
 当時の読者は疑問に思わなかったのかも知れませんが、今読むと違和感ありまくりです(※2)。尤も、それこそがブラックの作品を今読む価値であるともいえます。時代小説のようでもあり翻訳小説のようでもある、ほかではなかなか得られない不思議な感覚に浸ることができますから。

 一方で、プロットには概ね破綻がみられず、現代の読者の鑑賞にも十分耐えうると思われます。このアンバランスさも、魅力のひとつであることは間違いないでしょう。

 今回紹介する『快楽亭ブラック集』は、たった四編とはいえ、ブラックの探偵小説が読める貴重な書籍です。
 といっても、ブラックが執筆したわけではなく、口述筆記が行なわれました(速記は主に今村次郎)。そのため、彼の口調がそのまま文字になっており、小説というより講談といった感じでしょうか。
 ちなみに、ブラックの噺は録音が残っており、『全集・日本吹込み事始』で聴くことができます。僕も聴いてみましたが、外国人らしさを出すため、わざと舌足らずな口調にしているのが分かりました。
 この録音を聴いておくと、イメージが湧きやすく、より楽しめると思います。

流の暁」(1891)
 フランス革命で国を追われ、イギリスに逃げた沢辺男爵。彼はこの地で妻を娶りますが、政情が安定したため、妻を捨ててフランスへ戻ってしまいます。妻はその後、双子を出産するものの、貧困のため、やむを得ずそのうちのひとりを捨ててしまいました。
 捨てられた兄、丈治は漁師に育てられた後、奉公に出ます。真面目に働き、番頭になった頃、貧しい母と祖母、不良の弟に出会います。弟に無心され、店の金に手をつけてしまう丈治。悩んだ彼が取った方法は……。
 運命に翻弄された男の不幸を描くオーソドックスな犯罪小説です。推理の要素はありませんが、分かりやすく、さほど無理のないストーリーで、当時よく売れたというのも頷けます。丈治の葛藤をもう少し表現してくれたら、さらによかったでしょうか。
 なお、人物も背景もまるで日本というユニークな挿絵(写真)はすべて収録してあるわけではないので、国立国会図書館近代デジタルライブラリーでご確認ください。


車中の毒針」(1891)
 パリの乗合馬車の車中で美女が毒殺されました。彼女は何者で、なぜ殺害されたのか。殺害現場に居合わせた画家、探偵を買って出た青年、絵のモデルの美女など様々な人物が絡み合い、意外な真実が明らかになります。
 冒頭に魅惑的な謎が提示されますが、推理の材料を与えられる前に犯人が分かってしまいます。けれど、新たな人物が登場するたび事件の別の面がみえてくるという趣向は面白く、最後まで飽きずに読むことができます。
 こちらの挿絵は西洋人風ですが、名前はバリバリの日本人です。


幻燈」(1892)
 ロンドンで銀行を経営する岩出義雄は、財布を摺った山田少年を引き取り、教育を施します。山田少年は真面目に勉強と仕事に勤しみ、番頭にまで出世します。さらには岩出氏の娘と相思相愛の関係になるのですが、それに激怒した岩出氏に追い払われてしまいます。その直後、岩出氏が何者かに殺害され、山田少年は逮捕されます。
 四編のなかでは最も短く、それ故、物語は単純で、意外な展開もありません。しかし、当時最先端の科学(指紋照合と幻燈機)を用いて真犯人をあぶり出すという点で、価値のある作品です。それにしても、岩出氏の奥さんの口調が身分に似合わず乱暴すぎて、笑えます。

かる業武太郎」(1901)
 ロンドンに住む発明家が殺害され、その娘しずは下手人の軽業師を追い詰めます。しかし、彼は証拠不十分で釈放された後、武太郎と名を変え、しずの前に現れ、結婚の約束を取りつけるのです。
「車中の毒針」同様、登場人物も多く、筋も複雑な割に、荒唐無稽さは少ないのが凄い。ブラックは論理的な人だったのでしょうか。ちょっとした疑問にも、きちんと答えが用意されているので、安心して読めます。

※1:「名人長二」は、ギ・ド・モーパッサンの「親殺し」Un parricide(1882)が原作といわれる。なお、「動物園」と同じネタを使った小説にA・E・コッパードの「銀色のサーカス」がある(『郵便局と蛇』に収録)。

※2:「かる業武太郎」の末尾には「この話はまだ各々存命でおりますから御免を蒙むって名前だけは日本の名に致しました」とあるが……。


快楽亭ブラック集』明治探偵冒険小説集2、ちくま文庫、二〇〇五

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