読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『飛行する少年』ディディエ・マルタン

Un Garçon en l'air(1977)Didier Martin

 インターネットが普及する前の話ですが、フランス文学は英米文学に比べ情報が少ないせいか、得体の知れない小説を、つい買ってしまうことがありました。このブログで取り上げたものでは『先に寝たやつ相手を起こす』とか『大脱出』なんかが、それに該当します。
 ディディエ・マルタンの『飛行する少年』(写真)もその仲間です。

 それらに共通するのは、読む前も読んだ後も何だかよく分からないことでしょうか。そんな本ですから、売り上げが芳しくないのか、同じ作者の本は二度と翻訳されずに終わります。
 変な本を刊行することで有名だったサンリオSF文庫でさえ、マルタンの著書をその後一冊も出版しませんでした。
 尤もマルタンはSF作家ではないし、『飛行する少年』自体もSFではないため、当然といえば当然ですが……。

 ラファエルは、幼い頃から空を飛ぶことができました。その力をずっと秘密にしてきましたが、十二歳のとき、フランソワというクラスメイトが空を飛んでいるのを目撃します。さらに、臨海学校で出会ったダニエルは空に身を投げて自殺してしまいます。
 十七歳になったラファエルは、空を飛ぶことができなくなっていました。しかし、公園で空を飛ぶ集団に出会い、さらに恋人(カトリーヌ)ができたことで再び飛行能力を取り戻します。しかし……。

 マルセル・エイメの「壁抜け男」の主人公デュチユールは冴えない役人ですが、壁を通り抜けるという特技を持っています。デュチユールはその力を使って、嫌な上司を追い出したり、銀行の金庫から金を盗んだり、脱獄したり、美女とアバンチュールしたりします。
 ごく短い短編にもかかわらず、上記のような冒険が詰まっているので、「壁を抜ける」ことの意味についてさほど悩まずに済みます。「恐らくは、退屈な現実からの逸脱を表しているんだろうな」くらいで十分なのです。

 一方、『飛行する少年』は、空を飛ぶ人間がいること以外、ごく普通の長編青春小説です。
 飛行に関係する重大なできごとが起こるわけでもないし、奇妙な人物が登場するわけでもありません。そもそも、普通の人には飛んでいる人がみえないため、世間を騒がせる事件など起こりようがないのです。
 だからこそ読者は「空を飛ぶこと」が何を表しているのか、考えながら読み進めることになります。

「部屋に鍵をかけて裸で飛ぶ」「飛んだ後、気怠い」「気持ちよい」「飛ぶのは男ばかり」「飛ばなくなる(飛べなくなる)者もいる」といった記述から「自慰」のメタファーかと思いきや、それとは明らかに異なると書かれています。
「同性愛」あるいは「思春期に同性に惹かれる少年」とも考えられますが、父母の部屋から母の泣くような声が聞こえ、「母が飛んでいる」とラファエルが感じる場面もあるので、もっと大きく「性的快感」と捉えるべきかも知れません。
 非常に曖昧ですけれど、そもそも正解など用意されていないようなので、これ以上考えても無駄です。

 にもかかわらず、ラファエルは飛行を突き詰めようとします。ひとり考え込んだり、友人と議論したり、恋人に打ち明けるか悩んだり……。とにかく、何をしていても頭のなかは飛行のことばかりなのです。
 こうなると、読者も「性的に不安定な時期を、飛行という非現実的な行為で表現している」とざっくり解釈するんじゃ申しわけない気持ちになってきます。
 とはいえ、いくら考えても答えはみつかりません……。

 これではまるで犯人が用意されていない推理小説のようです。どうとでもとれるものについて、主人公に延々悩まれても、読者はついてゆけません。読了後もよく分からないと書いたのは、そんな理由からです。
 単純なヰタセクスアリスでは新鮮味がないし、飛行をオーガズムのメタファーにしたのでは底が浅いと批難されるため、敢えて有耶無耶にしているのかなというのが正直な印象です。

 ポルノグラフィかスラップスティックへ傾けばエンタメとして面白くなったかも知れませんが、マルタンは飽くまで真面目な純文学を書きたかったのでしょう。かといって、アンチロマンのように難解でもないのがどっちつかずと感じてしまいます。
 勿論、何をどう書こうが作者の勝手ですけれど、どこかに読者を楽しませる工夫が欲しかったと感じました。

『飛行する少年』村上香住子訳、サンリオSF文庫、一九七九

サンリオSF文庫、サンリオ文庫
→『マイロンゴア・ヴィダル
→『どこまで行けばお茶の時間アンソニー・バージェス
→『深き森は悪魔のにおい』キリル・ボンフィリオリ
→『エバは猫の中
→『サンディエゴ・ライトフット・スートム・リーミイ
→『ラーオ博士のサーカス』チャールズ・G・フィニー
→『生ける屍』ピーター・ディキンスン
→『ジュリアとバズーカアンナ・カヴァン
→『猫城記』老舎
→『冬の子供たち』マイクル・コニイ
→『アルクトゥールスへの旅デイヴィッド・リンゼイ
→『旅に出る時ほほえみを』ナターリヤ・ソコローワ
→『』ロザリンド・アッシュ
→『浴槽で発見された手記スタニスワフ・レム
→『2018年キング・コング・ブルース』サム・J・ルンドヴァル
→『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ
→『パステル都市』M・ジョン・ハリスン
→『生存者の回想』ドリス・レッシング
→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス
→『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ
→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル
→『どこからなりとも月にひとつの卵』マーガレット・セントクレア
→『ジョン・コリア奇談集』ジョン・コリア
→『コスミック・レイプシオドア・スタージョン
→『この世の王国』アレホ・カルペンティエル
→『ドロシアの虎』キット・リード

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