Tiger Rag(1973)Kit Reed(a.k.a. Kit Craig, Shelley Hyde)
キット・リードはフェミニストSF作家で、過去三度アザーワイズ賞(旧ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞)の候補になっています。
短編に秀でたタイプ(※)とのことですが、我が国で刊行されている書籍二冊はいずれも長編小説です。
そのうちの一冊『ドロシアの虎』(写真)は、サンリオSF文庫から刊行され、当時は「これがSFか!」と驚く人が少なからずいました。
SFをScience Fictionとするなら完全にジャンル外の作品ですが、Speculative Fictionであれば許容範囲です。ただし、ニューウェイブという感じはしません。謎を解明しようとする物語ですが、ミステリーとも違う。やはり、最もしっくりくるのはフェミニズム小説でしょうか。
いずれにせよ、サンリオの懐の深さを示す典型的な例として、今も話題になることがあります。
ドロシアは、夫ビリーと息子サムの三人暮らし。ある日、幼馴染みのリチャード・スロールの腐乱死体がみつかったという新聞記事をみつけ、どうしても思い出せない過去を探るようになります。
シングルマザーのマールには、ゲイ・ラフキンという愛人がいたこと。マールは、ドロシアを知り合いの夫婦に預け、姿を消してしまったこと。ゲイは二十年も病を患っていたこと……。
そして、ドロシアは虎の絵を描き続け、それが誰の顔なのか見極めようとします。
ドロシアにとっての謎は、主に次のふたつです。
・リチャードは、なぜ殺されたのか。
・ゲイが、ドロシアのことを思い出せないくらい老いぼれてしまったのはなぜなのか。
現在と過去、さらにドロシア、ビリー、マールなど様々な視点が交錯するという構成によって、ドロシアの幼少期に起こった「何か」が次第に明らかになります。
マールは、不倫相手のゲイと結婚できると思っていましたが、ゲイは取引相手の夜伽をさせるためにマールとつき合っていました。それがバレて、ゲイはマールらに糾弾されます。
ドロシアは、リチャードと一緒に、ゲイが椅子に縛られている場面に居合わせたため、その後のゲイの衰弱は自分たちのせいかも知れないと悩みます。
さらに、リチャードが何十年か後に殺害されたことも、そのできごとに起因すると考えたのです。
この先はネタバレになるため書きませんが、この小説の主題は謎解きではありません。
幼い頃に、母親に捨てられたという傷を負ったまま結婚し、子どもを儲けてしまったドロシアは、未だに人を信じることができません。それは、いわば心に猜疑心の強い虎を飼っているようなもので、彼女自身その存在を意識しつつ、どうすることもできない。
しかし、辛い過去を掘り返すことによって、その虎がいなくなり、ドロシアは、実は心優しい人々に囲まれていたことに気づくというわけです。
ほっこりした感じで終わるため、騙されそうになりますけれど、彼らが優しくしてくれる理由を見過ごしてはいけません。
例えば、ドロシアは「母は、なぜ私をおいて、消えてしまったのか」という問いに長い間苦しんできましたが、母親もまた男に利用されていたことを知り、彼女を恨む気持ちが小さくなります。要するにこれは、女性の立場が弱く、特にシングルマザーにとっては地獄のような社会であることこそが問題とされるべきだといいたいのです。
よく読むと、ほかの登場人物も貧困、LGBT、身体障害、病といった弱みを抱え、楽に生きているとはいいにくい状況にあります。彼らは総じて幼いドロシアに優しく、コミュニティ全体で守っているようにみえます。
これは、厳しい現実を生き抜くためには互いに寄り添い合うしか術がないことを表しているのではないでしょうか。
面白いのは、主要人物のなかで唯一、夫のビリーのみが社会的強者である点です。彼は何不自由なく育った、女性にももて、自信に溢れた男として描かれます。
彼がドロシアと結婚する際、多少の障害はあったものの、現在は幸せな家庭を築いています。とはいえ、それが今後も続くかどうかは分かりません。
ドロシアの虎が再び姿を現す未来が想像できてしまうところが、この小説の真の恐ろしさという気がします……。
※:処女短編の「お待ち」は、あらすじを読む限りシャーリイ・ジャクスンの「くじ」みたいで面白そうなのだが、未読。これが収録されている『夜の夢見の川』は購入したはずだが、どこを探してもみつからない……。
『ドロシアの虎』友枝康子訳、サンリオSF文庫、一九八四
サンリオSF文庫、サンリオ文庫
→『マイロン』ゴア・ヴィダル
→『どこまで行けばお茶の時間』アンソニー・バージェス
→『深き森は悪魔のにおい』キリル・ボンフィリオリ
→『エバは猫の中』ガブリエル・ガルシア=マルケス、オクタビオ・パスほか
→『サンディエゴ・ライトフット・スー』トム・リーミイ
→『ラーオ博士のサーカス』チャールズ・G・フィニー
→『生ける屍』ピーター・ディキンスン
→『ジュリアとバズーカ』アンナ・カヴァン
→『猫城記』老舎
→『冬の子供たち』マイクル・コニイ
→『アルクトゥールスへの旅』デイヴィッド・リンゼイ
→『旅に出る時ほほえみを』ナターリヤ・ソコローワ
→『蛾』ロザリンド・アッシュ
→『浴槽で発見された手記』スタニスワフ・レム
→『2018年キング・コング・ブルース』サム・J・ルンドヴァル
→『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ
→『パステル都市』M・ジョン・ハリスン
→『生存者の回想』ドリス・レッシング
→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス
→『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ
→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル
→『どこからなりとも月にひとつの卵』マーガレット・セントクレア
→『ジョン・コリア奇談集』ジョン・コリア
→『コスミック・レイプ』シオドア・スタージョン
→『この世の王国』アレホ・カルペンティエル
→『飛行する少年』ディディエ・マルタン