読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『鉛の夜』ハンス・ヘニー・ヤーン

Die Nacht aus Blei(1956)Hans Henny Jahnn

 ハンス・ヘニー・ヤーンはドイツの作家ですが、第一次世界大戦の際は入隊を避けるためノルウェーに逃げ、ナチス政権が同性愛者を迫害すると今度はデンマーク領のボーンホルム島に逃れました。
 バイセクシャルのヤーンは、同性の恋人と妻という複雑な三角関係を築き、墓地にはそのふたりとともに入っているそうです。

 そんなヤーンの代表作は『岸辺なき流れ』です。
 これは『木造船』『四十九歳になったグスタフ・アニアス・ホルンの手記』『エピローグ(未完)』という三つの長編からなる大河小説で、国書刊行会の宣伝文句によるとジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』やマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に匹敵する作品だそうです。
 ところが、僕は『岸辺なき流れ』を読んでいません。いつか挑戦したいと思いつつ、現時点では残念ながら未読なのです……。

 その代わりといっては何ですが、短編集『十三の無気味な物語』は読んでいます。
 ここに収められた十三編のほとんどは『岸辺なき流れ』内のエピソードをほぼそのまま再録したものです。いわば、マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』と『チボー家のジャック』の関係みたいなものでしょうか。
 ヤーン未体験の方なら、まずは安価で手に入る『十三の無気味な物語』をお勧めします。

 と、いっておきながら、今回、感想を書くのは『鉛の夜』(写真)です。
『鉛の夜』は一九六六年に函入りで刊行され、その後、カバー付の新装版が刊行されました。どちらも取り立てて希少価値があるわけではないので、お好きな方を選ばれるとよいでしょう。
 というわけで、あらすじです。

 二十三歳の青年マチウは、気がつくと見知らぬ夜の町にいました。町を彷徨ううち、娼婦エルヴィラの屋敷に誘われていました。しかし、エルヴィラも美少年の召使いフランツも、化粧の下は炭のように真っ黒なことに幻滅して、マチウは館を飛び出します。
 真っ暗な通りで出会った男と酒場へいったマチウは、その男が七、八年前の自分にそっくりなことを知り、驚きます。名前も同じマチウですが、アンデルス(別人)と呼んでくれといいます。
 酒場には食べものも酒もなかったので、ふたりは再び町に出ます。しかし、吹雪になったため、アンデルスがいたという地下室を目指します。真っ暗な穴蔵をマッチの火のみを頼りにどこまでも降りてゆくふたりは、やがて椅子しかない殺風景な部屋に辿り着きます……。

 夢と現の境を描いたカフカエスク(Kafkaesk)な幻想文学です。中編程度の長さの上、アルトゥル・シュニッツラーの『夢小説』のように一夜のできごとを扱っているので、とても取っつきやすい。事実、ヤーンの作品では最も多くの読者を獲得しているそうです。

 とはいえ、この作品を精神分析的に解釈するなんてのは余り面白くありません。孤独、疎外感、貧困、同性愛(自己愛)などを表しているのは素人にも分かるくらい明らかですが、それを読み解いたところで楽しい読書には結びつかない。
 やはり、ここはカリンティ・フェレンツの『エペペ』のように、寒く貧しいひとりぼっちの鉛の夜を追体験するべきではないでしょうか。

 マチウの彷徨は悪夢の如く、異様でおぞましい。
 化粧で白くなった炭人間、淫らな言葉を発しようと待ち構えている少年たち、ドッペルゲンガー、客に何ひとつ提供しない酒場、果てしなく下ってゆく地下、体に穴が空き内臓が飛び出したアンデルスなどなど。

 にもかかわらず、この作品からは、闇の暖かさや深さ、懐かしさといったものが確かに感じられます。子どもの頃、恐怖しつつ心惹かれた夜の世界といえば何となく分かってもらえるでしょうか。
 実際、天使に見捨てられ絶望とともに始まったマチウの旅は、不気味なできごとの連続で身も心も疲弊しますが、最後には黒い天使Gariに抱かれるのです。

 ハーンの小説はイメージも文体も美しく、正に幻想文学のお手本といえます。
 凍てつく夜、辺りが寝静まった頃にベッドのなかで本を開き、明け方に読了するのがお勧めの読み方です。

『鉛の夜』佐久間穆訳、現代思潮社、一九六六

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