読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『わが夢の女』マッシモ・ボンテンペッリ

Massimo Bontempelli

 ちくま文庫のマッシモ・ボンテンペッリ『わが夢の女』(写真)は復刊です。
 最も古い版は、一九四一年の『我が夢の女』(河出書房)で、岩崎純孝、柏熊達生、下位英一の共訳となっています。その後、「世界ユーモア文学全集」5巻に入り、新たに編集され直したものが『わが夢の女』として文庫化されたのです。
 そのせいか、訳は古臭い。書簡は候文だし、金額は「文」だったりします。嫌いではありませんが「カザブランカ」くらいは修正してもよかったかも知れません。

 ボンテンペッリの作品は、戦前にはそこそこ邦訳されたものの、戦後はほとんど新訳がありませんでした。短編以外で久しぶりとなる翻訳は『鏡の前のチェス盤』で、何と二〇一七年のことです。
 これは、ボンテンペッリがファシストだったことが影響しているといわれています。戦前は確かにファシズムと密接なかかわりがありましたが、次第に距離を置くようになり、一九三八年にはファシズムを批判した演説によって、党員証を剥奪されています。

 一方、作風は、初期のユーモアや皮肉が影を潜め、マジックリアリズムの長編にシフトしてゆきました。
 僕は、その頃の作品は読んだことがないので、ボンテンペッリといえば、『わが夢の女』に収められたファンタスティックな短編を思い浮かべてしまいます。
 それらはアイディアも雰囲気も秀逸な上に、ボンテンペッリは論理を重視するタイプですから、きちんとしたオチも用意されています。
 エスプリの効いたフランスの作家、例えば、アルフォンス・アレー、ピエール・アンリ・カミ、トリスタン・ベルナールらを理屈っぽくした感じといえば分かりやすいでしょうか。

 なお、『わが夢の女』には、特にストーリーのない、幻想的な詩のような短編もいくつか収録されています。そちらも不思議な味わいがあります。


隊伍中の叛逆者」Il ribelle in riga
 無政府主義者リベロ・ヴァスティは町で事件を起こし、生まれた村に帰ってきます。そこで子どもたちを集め、思想を教え込もうとするのですが……。
 親切にしてあげた元軍人に、リベロの学校がいつの間にか乗っ取られてしまうのがおかしい。しかも、アナーキストの彼は、最後に「国王陛下万歳」と叫ばなくてはならないのです。

わが夢の女」Donna dei miei sogni
 恋人のアンナと長く離れ離れになる私。歪んだ鏡に写った彼女は醜悪で、以後、私は醜い姿のアンナしか思い出せなくなります。
 ボンテンペッリは、鏡を好んで用います。鏡の向こうとこちらは、どちらが現実なのでしょうか。

恋人のように
 ガラス戸に写ったふたつのものが本当に重なり、例えば、遠くにある植物を揺らすことができます。
 これも鏡のバリエーションです。恋ともいえない淡い一瞬を描いた幻想譚ですが、案外と理屈っぽいのがボンテンペッリの特徴です。

」Lo specchio
 鏡をみているとき、爆発が起こり、粉々に砕けてしまいます。そのできごとは一瞬だったため、鏡のなかの自分が行方不明になります。
『鏡の前のチェス盤』の、正に鏡のような短編です。あちらは少年が鏡のなかに入り、こちら側に戻れなくなってしまいますが、「鏡」は主人公が大人で、鏡のなかの自分が消えてしまいます。面白いのは冒頭に、次のような弁解がついていることです。「どうしても私は、もうひとつ、鏡をテーマにした物語を、語らねばならない。私は、このモチーフを濫用する非難を、こうむるであろうことを承知している」

細心奇譚
 ブダペストで、慎重なタクシーの運転手と知り合います。彼は、曲がり角でクラクションを鳴らし、交差する道から返事があると、相手の車が通り過ぎるまで絶対に発車しません。
 慎重な運転手同士が、見通しの悪い十字路で出会ったら、互いに譲り合い、車を進められないという笑い話が、ゾッとする結末を生みます。

便利な治療
 患者にそっくりで、内臓もある蝋人形を作り、魔術をかけます。そして、蝋人形を直すと、患者も治ってしまいます。
 蝋ですから、オチはこれに決まってますね。

デンマーク劇場史のために」Incidenti in Danimarca
 デンマーク王と懇意になり、新設の劇場の主宰者となった「私」。劇団の女優全員にいい寄られ、断ると殺害を予告されます。「私」は逆に、すべての劇団関係者を殺すための劇を上演します。
 ハチャメチャな話ですが、完全犯罪が成立した理由が書かれるのがユニークです。

死亡
 ある映画に出演することになった「私」は、空腹の演技の際は、食後にもかかわらず飢餓状態になってしまうといったように、求められる姿になりきってしまいます。
 役柄の方が本当の人生になってしまうところまでは誰でも思いつきますが、その後が面白い。芝居ではなく、映画という点がミソです。

アフリカでの私」Io in Africa
 カサブランカで知り合った男はルーレット狂いでした。なぜか、「私」が口にした番号が当たり続けてしまいます。
 楽して儲けると、そこから抜け出すのが難しくなります。一方で、「私」の方は、金に全く未練がないのが不思議です。

世界一周
 僅かな額の支払いに怯えた「私」は重い神経衰弱になり、それを癒やすため世界一周の旅に出ます。
 カミの『世界珍探検』よりも馬鹿馬鹿しいかも知れません。何しろ、ほとんどが地元の駅におけるエピソードで、世界一周には特筆すべき点がないそうですから。

瞑想の機械
 動物由来ではない、唯一の移動機械であるエレベーターで瞑想するエレベーターボーイ。彼は、それで天の高みまでゆけると信じています。
 果たして、エレベーターは、神に近づく崇高な乗りものなのか、それとも木に登る猿を模したのか。

陸と海との冒険」Avventure di terra e di mare
 トリノで馬車を待たせている間に、決闘し、海賊に襲われ、哲学書をものし、大海原を漂流します。夢のなかの冒険みたいな話ですが、間に哲学の新体系が挟まるところがボンテンペッリらしい。

バーで会った男
 バーで会った男は、これまで人に利用され続けてきたといって泣き出します。よく考えると、自分の行為が誰かの役に立つ方が、自己完結するよりも幸せそうです。いずれにせよ、普通は余り考えないことを拾ってくるのが、さすがです。

ベートーヴェンの仮面」Maschera di Beethoven
 ベートーヴェンを尊敬しているピアニストが、石膏の仮面を買ってきた途端、ベートーヴェンの曲を弾けなくなります。
 呪いの仮面かと思うと、とんでもないところに着地します。

大洪水」Cataclisma
 堕落した都会を洪水が襲います。神なのか、魔術師なのか、何のことやらよく分かりませんが、イメージは美しい。

順風
 物質の世界と霊の世界をつなぐ粉を作り出したところ、口に出したことが現実に起こるようになります。化学の力でおかしな粉を発明する点はよいのですが、残念ながら、その後の展開が凡庸です。

秣と藁
 友人と自動車に乗っていて、秣をみると運が向いてきますが、藁だと駄目です。僕には秣と藁の区別がつきませんが、それは登場人物も同じみたいです。

頭蓋骨に描かれた絵
 険しい崖と湖に囲まれたハルシタットは、土地が狭いため墓地が作れず、頭蓋骨を集会所に収めています。頭蓋骨には絵が描かれますが、それを描くのはひとりしかいません。
 頭蓋骨に絵を描く男は、自分が死んだら困るため、ある方法を編み出します。それは素晴らしい技術なのですが、誰に勧めてもやりたがりません。ま、無理もないですが……。

私が所有している彫像
 昼間は大人しい彫像が、夜になると生気を漲らせます。飽くまで「生きているように感じる」だけなのですが、下手に動くよりも、余程恐ろしい。

太陽を凝視する
 鷲と蜥蜴とともに暮らす「私」。鷲と蜥蜴は互いに、どちらが太陽の恩恵を受けているかを競い合います。

海の寛大さ
 久しぶりに訪れた海は、最初こそ怒り狂いましたが、ついには許してくれました。昔捨てた女といった感じです。

信じやすい少女の心
 釣具屋で飼われていた魚を、作りものだと嘘をつくと、少女はそれを信じます。それどころか、人造人間もいると教えると、それも本気にしてしまいます。
 無邪気な少女の話かと思って油断していると、救いのないオチが待っています。

太陽の中の女」Donna nel sole
 飛行機で空を散歩していると、女性が操縦する飛行機と出会います。ふたりは空中で、とりとめのない会話をします。
 女性の父親は厳しくて野原の散歩は危険だからと許されませんが、空ならオーケーです。でも、そこでもナンパされるわけですが……。

『わが夢の女 −ボンテンペルリ短篇集』岩崎純孝、柏熊達生、下位英一訳、ちくま文庫、一九八八

Amazonで『わが夢の女』の価格をチェックする。