読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『世界珍探検』ピエール・アンリ・カミ

La famille Rikiki(1928)/Cami-Voyageur ou Mes aventures en Amérique(1927)Pierre Henri Cami

 このブログで取り上げる三冊目のピエール・アンリ・カミは、『世界珍探検』(写真)(※1)です。

 ブログの書名一覧をみていただくと分かるとおり、僕は「絶版とはいえ、いつでも購入可能な新しめの海外文学」を主に読んでいるため、古い本、稀少な本、珍しい本の類をほとんど持っていませんし、手に入れる必要も余りありません。コレクターの多いミステリーに全く興味がない点も、蒐集の苦労を味わわずに済んでいる理由のひとつでしょう。
 そんななか、数少ない探求書のひとつが『世界珍探検』でした。同じ頃に刊行された『名探偵オルメス』や『人生サーカス』はよくみかけるものの、『世界珍探検』は一度も復刊されていないせいか、なかなか巡り合えなかったのです。
 それを先日、ようやく入手しました(残念ながら裸本)。

新青年」に連載され、日本公論社から刊行された小説ということで、探偵小説蒐集家の魔の手が伸びていたのでしょうか。だとしたら、財力・情報収集力・行動力において、僕などでは太刀打ちできないのも道理です。
 ともあれ、これでカミの書籍に関しては欲しいものが揃った(雑誌はまだまだ)ので、残るは◯◯(カミと同様、「新青年」に作品が数多く掲載され、ミステリーに分類されることもあるユーモア作家)の戦前の本です。こちらも、探偵小説を集めている方がスルーしてくれると嬉しいのですが……。

 さて、『世界珍探検』にはカミ以外の作家の作品も収録されています。とはいえ、カミのパートだけで二百五十頁あるので、読み応えは十分です。
 インターネットで検索できる情報が少ないため、以下に目次を載せておきます。

「カミ禮讃!」横溝正史
「カミ大先生!」水谷準
「コント萬歳!」上塚貞雄(乾信一郎
世界珍探檢』カミ
赤毛布カミ ―米利堅道中記』カミ
「實用新案戀文手習帖」フィシェ兄弟(Max et Alex Fischer)
「夫婦喧嘩あの手この手」フィシェ兄弟
戀のテンセン・マアケツト
 「八時二十分の列車」レーモン・ジャンティ(Raymond Genty)
 「即興透視術」ガストン・デリー
 「タクシー」ルネ・ビラール(René Villard)
 「ポーズ受難」シャルル・トルケ(Charles Torquet)
 「コンパクト」オデット・パンチェ
 「初老の紳士」ガストン・デリー
 「レモン」マルセル・シャピロ
 「インチキ商賣」ガストン・ギヨ(Gaston Guillot)
 「多忙な男」アンリー・アロルジュ
 「惚れ藥」テオドル・シェーズ


 カミの二作はいずれも「新青年」に連載されたものです。『世界珍探検』は全六回、『赤毛布カミ』は全四回でした。読むだけであれば「新青年」のバックナンバーか復刻版を入手する手もあります。
 なお、「新青年」には『最後の珍判(最后の珍判)』Le Jugement dernier: roman prématuré(1928)も四回に分けて掲載されていますが、残念ながら書籍化されていません(※2)。

 フィシェ兄弟(※3)の二編は『第二ふらんす粋艶集』にも「実用艶書読本」「夫婦喧嘩術」(水谷準訳)として収められています。

 最後の「戀のテンセン・マアケツト」〔一〇セントマーケット(今でいう百円ショップ)の意か?〕と名づけられたパートは、短いコント十編からなっています。「新青年」に掲載されたコントなどの寄せ集めで、各編につながりはありません。
 また、著者については、ほとんど情報を得られませんでした(上述した原綴は正しくないかも知れないので注意)。マルセル・シャピロの「三つの拳」が荒地出版社の『一分間ミステリ』に収録されているくらいでしょうか。

 さらに「新青年」の歴代編集長三人の序文も掲載されています。
「(カミの『名探偵オルメス』を)狂言のやうなふざけた譯し方をして、これを横溝正史に見せたところ、先生大して感じたやうな顔つきもしなかつたので、それきり譯しそびれてしまつた。その後、平林初之輔氏が改めてこの奇談集を『新靑年』に譯載したら、編輯者の横溝はじめ讀者がやんやと喜んだ。『お前さんの譯し方が惡かつたんだよ。』と横溝がその時云つた。ともかく君(カミ)を、我が國に一番先に紹介するの榮を擔はなかつた事は、遺憾千萬である」という水谷の、横溝への恨み節が笑えます。

 煩雑になるため、今回はカミの二編のみ感想を書きます。

世界珍探検
 セザール・リキキ(César Rikiki)が主人公の長編第一作です。「新青年」掲載時は『リキキ一家の世界珍探検』というタイトルだった回もあるようです。
 二作目の『Le Voyage inouï de Monsieur Rikiki』(1938)は未訳です。

「翻訳ミステリー大賞シンジケート」というウェブサイトの「初心者のためのカミ入門 第1回(その2)」(高野優)によると、『世界珍探検』の原書は二十一章あるものの日本版は十四章しかなく、またカットされている部分、勝手につけ加えた部分があるそうです。要するに、古い翻訳小説にありがちな「抄訳・翻案」というわけですね。

 リキキ氏の伯父リキキ船長が亡くなり、遺言を遺します。そこには、三十年間、下級官吏として働き続けた頑固で小心者のリキキ氏が世界一周の旅に出ることを条件に全財産を譲るとありました。
 かくしてリキキ氏は、妻、娘(ヴィルジニー)、息子(ダニエル)、女中(絹靴下のマリー)、犬(アドルフ)という家族を率いて船上の人となります。

 この抄訳において、フランスを発ったリキキ一家眷属は、無人島、北極、鯨の腹のなか、米国、サブサハラアフリカ、エジプト、モロー博士の島、インド、中国、日本を訪れます。ここでプッツリ終わっていますが、原書ではこの後、欧州を巡ってフランスへ戻るそうです。
 どの土地でも、カミは想像力を自由に働かせており(アフリカに虎がいたりする)、突っ込みを許さないナンセンスの連続には呆れ果ててしまいます(勿論、褒め言葉)。

 とはいえ、横溝が「空想の一つ一つが、一應は科學的にうなづけるやうな理窟で裏附けされてゐる」と書いているとおり、何となく納得しそうになる出鱈目である点もカミの特徴です。
 例えば、筏で大洋をさすらっているときパリの食料品店の御用聞きがやってくるのにも、海上を走る列車にも、砂糖を使って象牙を集める方法にも、リキキ氏の胃のなかにメロンが丸ごとふたつ入っていた理由にもヘンテコな理屈があって楽しい。
 ジョルジュ・ランジュランの「蠅」(1957)よりも遥か以前に、科学の力で蝿男を誕生させているところも評価できます(H・G・ウエルズの『モロー博士の島』のパロディだが)。

 なお、出帆社の『ルーフォック・オルメスの冒険』には「リキキ一家の日曜日」という短編が収録されています。
 ある日曜日、リキキ一家は親戚のおじさんのトラックに乗ってピクニックに出かけます。家具を運ぶトラックに便乗したので暗くて狭いし、景色は全くみえません。しかも、着いたら家具を運ぶのを手伝わされるし、雨が降ってきたので何もせず、再びトラックのなかへ押し込まれ帰宅する……というお話です。
『世界珍探検』には登場しない妻の母親が加わっています(逆に、マリーとアドルフは不在)。

赤毛布カミ ―米利堅道中記
 赤毛布(ゲット)とは、明治時代に田舎者が都会見物にきたとき、雑踏で迷子にならないよう目印として赤い毛布を身にまとっていたことから「おのぼりさん」の意味で用いられるようになった言葉です。
 明治時代には熊田宗次郎の『洋行奇談赤毛布』や、長田秋濤の『洋行奇談新赤毛布』といった本が発行されており、欧米への旅行記にはよく用いられていました。
 翻訳ものでは、マーク・トウェインの『赤毛布外遊記』The Innocents Abroad(1869)(写真)が有名です。これも同じ感覚でつけられたのでしょう。

 一九二五年五月、スペインのカディスにいたカミは、そこで知人の映画監督に出会います。これからクリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)が出航するシーンを撮影するというのです。
 監督に勧められて帆船に乗り込んだカミでしたが、嵐に襲われ、船は港に戻れなくなってしまいます。そのまま航海を続け、カミたちはニューヨークに辿り着きます。

 トウェインはヨーロッパを実際に旅行し紀行をしたためましたが、カミは訪れたことのないアメリカについて、架空の旅行記を書きました。
 シナリオ形式の『世界珍探検』と異なり、『赤毛布カミ』は紀行なので散文で書かれています。また、内容もナンセンスなギャグというより、壮大なほら話といったところ。

 金を奪う代わりに金をくれる強盗、金ではなく横っ面を張ることを賭けるクラブ、世界一の貧乏人と石油王ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー、缶詰工場で事故に遭い、自分が缶詰になってしまった者の墓(缶詰が並んでいる)、小屋に座ったまま銃身が十五キロメートルもある銃で狩りをする老人(ジェイムズ・フェニモア・クーパーの小説のパロディらしい)、投げ縄で雷を捕らえたカウボーイ、黒人が演じ、チャールストンで終わるゲーテの『若きウェルテルの悩み』などなど、今でも十分通用しそうなブラックユーモアがてんこ盛りです。
 さらには、牛や豚の屠殺場の見学など真面目な項目もあり、最後にはカミと美女のロマンチックな恋愛が描かれます。この辺は全くカミらしくないと思っていると、とんでもない展開が待っています。
 やはりカミはカミでした……。

 なお、この作品は、改造社の『世界ユーモア全集6 佛蘭西篇』にも「亞米利加綺譚」という題名で収録されています(山内義雄訳)。

※1:正確には『世界珍探檢』。なお、本書の奥付は「昭和八年十二月二十日」で、天皇陛下がお生まれになる三日前である。

※2:『最後の珍判』は、『世界珍探検』の刊行後に掲載された上、訳者が誰なのか定かでない。また、「新青年」に掲載された短編やコントは書籍になっていないものが結構ある。

※3:本によって、フィシェール、フィッシェ、フィッシャーなどの表記がある。


『世界珍探檢』安藤左門訳、日本公論社、一九三三

→『エッフェル塔の潜水夫ピエール・アンリ・カミ
→『名探偵オルメスピエール・アンリ・カミ

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