アンソロジーというと、ついついホラーやSF、ミステリーを思い浮かべてしまいます。しかし、それが主流かといわれると何ともいえません。
恋愛小説は、僕が最も苦手とするジャンルなので、余りかかわってきませんでしたが、ひょっとするとそちらの方が読者は多いかも知れない。
『むずかしい愛』(写真)(※)は、柴田元幸が編んだ恋愛アンソロジーです。
柴田は朝日新聞社から『夜の姉妹団』『いまどきの老人』というアンソロジーを刊行しており、これが第三弾になります。
「編訳者あとがき」によると、以前に比べ恋愛自体は楽になったけれど、恋愛小説を書くのは難しくなったそうです。
要するに、現代作家は純愛をストレートに描くわけにはいかず、アブノーマルな題材を選ぶか、技法に凝るしかないということなのでしょう。
実際、それぞれの短編で取り上げる愛は、とてもまともとはいえません。「奇妙な小説」という看板に掛け変えた方が適当とさえ思います。
尤も、僕のように恋愛小説が苦手な者は、その方がありがたいわけですが……。
さて、海外文学のアンソロジーは、誰もが知ってる有名作家と、聞いたことのない作家をバランスよく配置する必要があります。そういう意味でも、ちょうどいい塩梅になっていると思います。
全八編というのはやや少ないものの、昔と違って、短い短編やショートショートの絶対数は多くないので、やむを得ないでしょう。
「私たちがやったこと」Folie à Deux(1984)レベッカ・ブラウン
ふたりの愛を確実なものにするため、「私」の耳を焼き、「あなた」の目を潰します。
ブラウンは、日本ではほぼ柴田訳でしか読めない作家です。レズビアン作家ですが、この短編では「私」と「あなた」の性別は明確にされていません(翻訳では「私」が女性、「あなた」が男性になっている)。
何かが起こって目や耳が使えなくなるのではなく、そこから物語が始まります。「あなた」はピアニストなのに「私」には音楽が聞こえず、「私」は画家なのに「あなた」には絵がみえません。さらにふたりは、障害のことを誰にも知られず振る舞うという制約まで自らに課しています。ハードモードすぎて、恋愛云々ではなくなってしまうのが凄い。
「ピアノ調律師の妻たち」The Piano Tuner's Wives(1996)ウィリアム・トレヴァー
盲目のピアノ調律師オーエン・フランシス・ドロムグールドは、最初の妻バイオレットを亡くした後、ベルと再婚します。ベルは、オーエンが前妻が構築した生活のなかで生きてきたことに嫉妬し、対抗しようとしますが……。
オーエンが美貌のベルではなく、バイオレットを選んだことを、ベルは長年、納得できませんでした。四十年も待ってオーエンと結婚したものの、今度は至るところにバイオレットの亡霊がいて、悩まされます。『ジェーン・エア』や『レベッカ』といったゴシック小説は、生者の勝利を描きましたが、トレヴァーは人生のおいしいところを味わった者こそが勝ちといいます。
→『フェリシアの旅』ウィリアム・トレヴァー
「完璧な花婿」The Immaculate Bridegroom(1995)ヘレン・シンプソン
ドーンは三十三歳で恋人に捨てられます。そこで母親と共謀し、架空の花婿を作り出して、結婚式をあげようとします。当然、花婿は式を欠席し、代役が立てられます。その後、新婚旅行に出掛けますが……。
男であれば、いかにバレないよう画策しますが、女性なのでドレスや指輪、贈りもの、式次第などのことばかり気にするところがおかしい。オチも効いています。
「ホテル」Hotel(1982)グレアム・スウィフト
交通事故で母親を亡くし、泣きわめいていた「私」は、セラピーのため入院させられます。その経験を活かし、三十年後、田舎にホテルを建てます。そこへ客たちはセラピー滞在に訪れます。あるとき、歳の離れたカップルがやってきて……。
そのカップルは父と娘のようでした。彼らの疚しさが、ほかの客に伝染し、皆、ホテルを後にしてしまいます。様々な客の反応に出合い、「私」は「癒やし」や「幸福」が単純でないことに気づきます。「愛」は人それぞれなので、型に嵌める商売は難しいですね。
「テレサへの手紙」Letter to Theresa(1997)ウォルター・モズリイ
三十年近く刑務所に入っていた老人ソクラテス・フォートロー。インフルエンザで苦しんでいるとき、かつての恋人テレサの夢をみます。何十年ぶりかに手紙を書くと、思わぬ返事がありました。
モズリイは黒人の探偵「イージー・ローリング」シリーズが有名ですが、「ソクラテス・フォートロー」も連作短編シリーズのようです。ミステリーの要素はなく、取り返しのつかない過去に対する思いを淡々と描いています。死者や二度と会うことがない人が記憶のなかで生きているという感覚は、歳を取るに従って染みてくるものです。
「ロバート・ヘレンディーンの発明」The Invention of Robert Herendeen(1990)スティーヴン・ミルハウザー
屋根裏部屋に引き籠もり、様々な創作活動を試みるも上手くゆかなかったロバート・ヘレンディーンは、オリヴィアという女性を創造(想像)することにします。毎夜、オリヴィアとデートするロバートでしたが、オーヴィルという邪魔者が現れて……。
ロバートによると、芸術におけるゆき詰まりには二種類あって、ひとつは想像力が枯渇した場合、もうひとつが想像力は強靭だが具体的な形を与える媒体がみつからない場合だそうです。もしかすると、それは恋愛にも当て嵌まるかも知れません。
「満足のいくこと」The Satisfactory(1955)V・S・プリチェット
第二次世界大戦中、美食家の骨董店主プリンベルは空腹に苛まれていました。店員の中年女性テル嬢は、亡くなった両親のものと合わせて三人分の配給帳を持っていますが、本人はほとんど食事をしません。
「編訳者あとがき」に「『作品の主題は?』『作者の言わんとしていることは?』と問われてもさっぱり答えられないが」と書かれています。確かに、美食、主従関係、恋愛、猫、マザーコンプレックスなど様々な要素に溢れていて、それらが登場人物の思惑と擦れ違っているため、結局、どういうことなのか分からなくなってしまいます。でも、詰まらなくないのが不思議です。
「雪」Snow(1985)ジョン・クロウリー
ワスプ(蜂)と呼ばれる機械が、契約者の姿を八千時間分撮影し、死後、パーク(霊園)でそれをみることができるシステムがあります。妻を亡くしたチャーリーは、パークに入り浸るようになります。
パークでは故人の映像がランダムに再生されます。それは霊的な効果を狙ったからです(イタコに近いか?)。しかし、こんなサービスに頼る必要はありません。なぜなら、亡くなった人を忘れないというのはどういうことなのか、チャーリーは気づいたからです。
※:イタロ・カルヴィーノの短編集と同じ邦題である。そちらの原題は『Gli amori difficili』で、原書では短編集『I racconti』の第三部に当たる。なお、このアンソロジーには「Fools Rush In」という英題がつけられている。同名のスタンダードナンバーから取られたのだろうか。「恋なんて愚か者のするゲーム」と歌っている。
『むずかしい愛 −現代英米愛の小説集』柴田元幸、畔柳和代訳、朝日新聞社、一九九九
アンソロジー
→『12人の指名打者』
→『エバは猫の中』
→『ユーモア・スケッチ傑作展』
→『ブラック・ユーモア傑作漫画集』
→『怪奇と幻想』
→『道のまん中のウェディングケーキ』
→『魔女たちの饗宴』
→「海外ロマンチックSF傑作選」
→『壜づめの女房』
→『三分間の宇宙』『ミニミニSF傑作展』
→『ミニ・ミステリ100』
→『バットマンの冒険』
→『世界滑稽名作集』
→「恐怖の一世紀」
→『ラブストーリー、アメリカン』
→『ドラキュラのライヴァルたち』『キング・コングのライヴァルたち』『フランケンシュタインのライヴァルたち』
→『西部の小説』
→『恐怖の愉しみ』
→『アメリカほら話』『ほら話しゃれ話USA』
→『世界ショートショート傑作選』
→『魔の配剤』『魔の創造者』『魔の生命体』『魔の誕生日』『終わらない悪夢』
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