平井呈一といえば、ある年齢以上の恐怖小説好きにとっては無視することのできない存在です。子どもが読むものと思われていた西洋の怪談を、大人の鑑賞に堪える作品として翻訳、紹介してくれた功績はとても大きい。
彼が編訳した東京創元社の『世界恐怖小説全集』(十二巻)、創元推理文庫の『怪奇小説傑作集』(五巻)、牧神社の『こわい話・気味のわるい話』(三巻)といったアンソロジーによって、恐怖小説の虜になった方も多いのではないでしょうか。
僕は世代的にも、趣味嗜好の面でも、直接大きな影響を受けたとはいえません(間接的には様々な恩恵を受けているだろうけど)。
それでも、若い頃読んだ創元推理文庫のアンソロジーには強い印象が残っています。特に『恐怖の愉しみ』(写真)は夢中で読みました。
『恐怖の愉しみ』は、当時手に入りにくくなっていた『こわい話・気味のわるい話』の文庫化です。
『こわい話・気味のわるい話』は全十巻の予定だったものの、平井が鬼籍に入ってしまったため、三巻までしか刊行されなかった叢書。その短編がすべて『恐怖の愉しみ』に収録されたので、気軽に楽しめるようになったわけです。
江戸っ子で、近世文学に造詣の深い平井の訳文は平井節といわれるくらい癖があり、さらに日本各地の方言を大胆に取り入れたりするので、好き嫌いが分かれるかも知れません。「怪奇小説」や「恐怖小説」というよりも、西洋の古めかしい「怪談」と考えた方が、味のある名調子を楽しめると思います。
ただし、日常生活ではまずお目にかかれない、難しい単語が結構な頻度で現れるため、己の教養のなさを嘆きつつ、辞書を引く羽目になります。「最低限の知識すら有していない者は読書をする資格はない。今すぐここを去れ!」と泉下から怒鳴り声が聞こえてきそうで恐ろしいですが……。
今回はたった二冊なので、すべての感想を書きます。どちらに掲載されているかは色で判断してください(上巻、下巻)。
「ミセス・ヴィールの幽霊」The Apparition of Mrs. Veals(1706)ダニエル・デフォー
バーグレーヴ夫人の家に、友人のミセス・ヴィールがやってきますが、その頃、ミセス・ヴィールは既に亡くなっていたことが後日、分かります……。
デフォーは『ロビンソン・クルーソー』を小説として書いたわけではありません。この短編もそれと同様、実録ものです。怪奇小説の濫觴といわれているそうですが、読者を怖がらせる意図はなさそうなところが面白い。
「消えちゃった」Gone Away(1935)A・E・コッパード
車でフランスを旅する三人組。どんどんスピードが出て、妻が消え、友人が消え、車が消え……。
この短編は、弟子の荒俣宏が「消えていく」というタイトルで訳しました。その後、平井が「消えちゃった」としたところで、不気味なのに牧歌的という作品の印象が固まったと思います(南條竹則も平井のタイトルを踏襲)。
「希望荘」The Villa Désirée(1921)メイ・シンクレア
婚約者ルイの別荘「希望荘」に泊まることになったミルドレッド。ルイの前妻が、そこで亡くなったことは知っているのですが……。
てっきり前妻の霊に遭遇するのかと思っていると、意外なものが現れます。なるほど、希望荘とはそういう意味なのか。
「防人」The Frontier Guards(1929)H・R・ウェイクフィールド
ブリントンは、作家の友人ランダーに幽霊屋敷の案内を頼みます。鍵を借りて、ふたりで屋敷に入ってみると……。
ごく短い作品で、単純な怪奇譚ですが、みせ方が素晴らしい。「この手があったか」と悔しくなりました。
「チャールズ・リンクワースの懺悔」The Confession of Charles Linkworth(1912)E・F・ベンスン
ティーズデール医師は、死刑執行に立ち会ったリンクワースからの電話を受けます。
平井が「地道な筆で手堅く叙述していく」「ソツがなく安心して読める」と書いているとおり、派手さはないものの安定しています。ただ、教誨師に用があるなら、そっちに直接電話をすればいいじゃんと思わなくもないですが……。
「ブライトン街道で」On the Brighton Road(1912)リチャード・ミドルトン
ブライトン街道をゆく浮浪者が、ある若者と旅をともにします。
二十歳代で自死を選んだミドルトンの数少ない作品のひとつです。正直、オチは読めますが、文章や雰囲気は独特です。
「見えない眼」L'oeil invisible(1859)エルクマン=シャトリアン
ニュールンベルグの古い家の屋根裏で暮らす絵描きのクリスチアンは、ある夜、宿屋の看板からぶら下がる首吊り死体をみつけます。ある老婆が怪しいと睨みますが……。
フランスの合作作家(エミール・エルクマンとアレクサンドル・シャトリアン)の作品。怪奇現象ではないのでミステリー短編といえますが、殺人の手口が珍しい。探偵役がその手口を真似て仕返しする点も珍しい。上野動物園で出会った青年から、隣り合ったビルで首吊り事件が連続して起こった顛末を聞く、江戸川乱歩の「目羅博士の不思議な犯罪」の原型ともいわれています。
「象牙の骨牌」The Ivory Cards(1925)A・M・バレイジ
母の奉公先の屋敷に開かずの部屋があります。少年は、そこで先祖の幽霊とカードで勝負をすることになりました。
少年にとっては恐怖でも、博打好きの爺さんの科白には思わず吹き出してしまいます。平井節が効果的な短編です。
「クロウル奥方の幽霊」Madam Crowl's Ghost(1870)シェリダン・レ・ファニュ
若い女中が奉公した屋敷には、姿をみせぬ高齢の婦人がいました。
幽霊の存在を認めながら生活する家族と、幽霊となった理由に痺れます。閉ざされた屋敷は、時の流れも、現世と霊界の境もないように感じます。これを平井は、越後辺りの方言を用いて訳したそうです。
「ラント夫人」Mrs. Lunt(1926)ヒュー・ウォルポール
流行作家のランシマンは、書評で褒めた作家のラントから家に招待されます。初めて会ったラントは髭を蓄えた大男でしたが、まるで弱々しい女のような態度を取ります。そんなとき、ランシマンは年を取った女の幽霊を目撃します。
様々な解釈が可能な、非常に曖昧な作品です。ラント夫人は一年前に亡くなった割に年を取りすぎているような気がしますし、ラント氏がやたらと女性的な仕草や態度を示す点も解せません。
「慎重な夫婦」The Considerate Hosts(1939)ソープ・マックラスキー
大雨で車が動かなくなったマーヴィンが立ち寄った屋敷には夫婦の幽霊がいました。彼らは、これからある男に復讐するつもりですが、マーヴィンが疑われては気の毒だから、早く出てゆけといいます。
夫婦の幽霊が登場するコメディに、ソーン・スミスの『トッパー氏の冒険』がありますが、あれをヒントにしたのでしょうか。二十二年もチャンスを狙っていたのに、人がよいせいで失敗してしまう夫婦と、マーヴィンのピントのずれた会話が読みどころです。
「手招く美女」The Beckoning Fair One(1911)オリヴァー・オニオンズ
ポール・オレロンは、古い貸家に引っ越し、女性を主人公にした小説『ロミリー・ビショップ』を執筆します。女友だちのエルジー・ベンゴフがときどき訪ねてきますが、オレロンはつれない態度を取ります。やがて、彼の住む家に怪奇現象が起こり、どうやら女の幽霊が住み着いているらしいことが分かります。
オレロンが次第に現実から逃避し、幽霊に惹かれてゆく様が丁寧に描かれます。やがて彼の精神は崩壊し、悲惨な結末を迎えるのですが、そのシーンを敢えて描写しないところが怖さをより増幅します。国書刊行会より新訳『手招く美女』が出版されたばかりなので、そちらを購入されてもよいかも知れません。
「失踪」Missing(1926)ウォルター・デ・ラ・メア
喫茶店で知り合ったブリートという男が、聞いてもいないのに、妻が失踪した一伍一什を物語ります。
ブリートの科白がコテコテの関西弁なので、デ・ラ・メアを読んでいることを忘れそうになります。得意の朦朧法を用いており、妻の失踪の真実は勿論、妹の死の真相も明らかにされません。
→「ウォルター・デ・ラ・メア作品集」ウォルター・デ・ラ・メア
「色絵の皿」The Crown Derby Plate(1933)マージョリー・ボウエン
ロンドンで高級骨董店を営むマーサは、十年以上前に買い取った組み皿の一枚が欠けているのを悔やみ、もう一度ハートレー家を訪れます。
コージーミステリーならぬコージーホラーとでも呼びたくなる短編です。年配の女性三人のユーモラスなやり取りに始まり、幽霊に遭遇した後も何となくのんびりしています。
「壁画の中の顔」The Face in the Fresco(1928)アーノルド・スミス
小学校の教員のジョーンズは牧師館で発見されたフレスコ画をみにゆきます。魔物の描かれた恐ろしい絵で、封印していた十字架を外した途端、絵から魔物が飛び出してきました。
絵から出てくるというと、ついダリオ・アルジェントの『サスペリアPART2』を思い出してしまいます。
「一対の手 −ある老嬢の怪談 」A Pair of Hands(1898)アーサー・キラ=クーチ
ル・ペティットが若い頃、借りていた家には、ある家政婦が定着していました。無口ですが、家事は完璧にこなします。
幽霊史上、最も可愛くて優しいのではないでしょうか。幸せになって欲しいと思いますが、幽霊にとってのそれが何かは分かりません……。
「徴税所」The Toll House(1907)W・W・ジェイコブス
酒場で盛り上がった四人の男が、度胸試しに幽霊屋敷で夜を明かすことになります。しかし、ひとりずつ眠りに落ちてゆき……。
「猿の手」で知られるジェイコブスの怪談です。ネタバレするので書けませんが、いわゆる普通のホラーとは真逆の展開が待っています。
「角店」The Corner Shop(1926)シンシア・アスキス
ある程度の財産家らしいピーターの遺品のなかに、若い頃の不思議なできごとを綴った書類がありました。それによると、ピーターはある骨董品店で掘り出しものを買い、大きく儲けたそうです。利益の半分を返却しようと、骨董品店を訪れたピーターを待っていたのは……。
アンソロジストであるアスキスの数少ない小説であり、代表作でもあります。オチは何となくみえますが、最後の一撃が待っているのでご心配なく。
「誰が呼んだ?」Somebody Calls(1955)ジェイムズ・レイヴァー
幽霊が出るといわれる部屋に泊まったキャロラインは、深夜ベッドの側に死人のような女性が立っていることに気づき、気絶してしまいます。翌朝、それは女中だったと聞かされますが……。
一発ネタのショートショートです。
「二人提督」The Double Admiral(1925)ジョン・メトカーフ
幻の島をみるという提督とともに、司教と心霊家は小船で沖に出ます。すると、反対から似たような小船が近づいてきて、気がつくと提督は死んでいます。心霊家は、提督はあちらの船に移ったといいます。
砂時計の砂のように、ふたつの世界を行き来する提督。夢か現か……。
「シャーロットの鏡」The Mirror of Shalott(1907)ロバート・ヒュー・ベンソン
十三人の神父が集まり奇跡の経験を語る「百物語」形式の連作短編から、三編を抜き出したものです。「ムーロン神父の話」はエクソシストの話、「マドックス神父の話」は作家が創造した人物が現れる話です。
語り手自身による「わたしの話」は、フランスの古い屋敷に泊まった者が翌日、滞在を取りやめて帰宅してしまうというものです。幽霊が出るわけでも、怪異が起こるわけでもなく、何となく寂しげというのが却って恐ろしい。
「ジャーミン街綺譚」My Adventure in Jermyn Street(1928)A・J・アラン
手紙もなく、差出人もなく送られてきた芝居のチケット。それを持って劇場へゆくと、隣席に若い婦人が座り、弟に会って欲しいと屋敷に案内されます。
アランはBBCのラジオパーソナリティで、ラジオで話した怪談を出版したところ、大ヒットしたそうです。喋りのプロによる怪談は、朗読とは一味違ったものなのでしょうね。
「幽霊駅馬車」The Phantom Coach(1864)アメリア・B・エドワーズ
雷鳥狩りに出て道に迷った弁護士のムレーは、屋敷の老人に駅馬車を勧められます。その駅馬車は九年前、事故を起こし、乗客全員が死亡しました。
タイトル通りのストーリーですが、偏屈な老人がいい味を出しています。
「南西の部屋」The Southwest Chamber(1903)メアリ・E・ウィルキンズ=フリーマン
古い屋敷を相続して下宿を営む中年の姉妹。最近、伯母が亡くなった南西の部屋に入った者に、次々と怪異が襲い掛かります。
薹が立った姉妹や下宿人たちのやり取りがユーモラスなので誤魔化されそうになりますが、それぞれの弱味を突いてくるこの霊は飛び切り質が悪い。真の邪悪とは、こういうものをいうのではないでしょうか。
『恐怖の愉しみ』〈上〉〈下〉平井呈一訳、創元推理文庫、一九八五
アンソロジー
→『12人の指名打者』
→『エバは猫の中』
→『ユーモア・スケッチ傑作展』
→『ブラック・ユーモア傑作漫画集』
→『怪奇と幻想』
→『道のまん中のウェディングケーキ』
→『魔女たちの饗宴』
→「海外ロマンチックSF傑作選」
→『壜づめの女房』
→『三分間の宇宙』『ミニミニSF傑作展』
→『ミニ・ミステリ100』
→『バットマンの冒険』
→『世界滑稽名作集』
→「恐怖の一世紀」
→『ラブストーリー、アメリカン』
→『ドラキュラのライヴァルたち』『キング・コングのライヴァルたち』『フランケンシュタインのライヴァルたち』
→『西部の小説』
→『アメリカほら話』『ほら話しゃれ話USA』
→『世界ショートショート傑作選』
→『むずかしい愛』
→『魔の配剤』『魔の創造者』『魔の生命体』『魔の誕生日』『終わらない悪夢』
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