早川書房の「異色作家短篇集」は、一九六〇年から一九六五年まで三期に分けて十八冊が刊行されました。十七巻までが個人の短編集で、最終巻(※1)の『壜づめの女房』(写真)のみがアンソロジーです。
この叢書は、目の写真が大きく印刷された函と、期ごとに赤、黄、緑で色分けされた表紙が印象的でした。
その約十年後の一九七四年から、新装版の刊行が始まりました。
こちらはカバーに畑農照雄のモノクロイラストが用いられています。「函」から「カバー」へのリニューアルパターンは、後に「ブラック・ユーモア選集」でも再現されました。
さて、「異色作家短篇集」新装版の最大の問題点は、全十八冊から全十二冊に巻数が減ったため、以下の六冊が復刊されずに終わったことです。
『さあ、気ちがいになりなさい』フレドリック・ブラウン
『一角獣・多角獣』シオドア・スタージョン
『破局』ダフネ・デュ・モーリア
『嘲笑う男』レイ・ラッセル
『蝿』ジョルジュ・ランジュラン
『壜づめの女房』
六冊のうち五冊は、旧版の第三期配本分です。唯一、第二期配本で復刊されなかったブラウンの本は、タイトルが問題視されたのでしょうか。いずれにせよ、上記六冊は古書価格が高騰しました。
この頃、僕は、コレクションをする気は全くなく、新装版のなかで興味のあるものだけを適当に買っていました。『さあ、気ちがいになりなさい』は欲しかったけれど、若くお金もなかったのでスルーしました。
全部集めようと思ったのは、二〇〇五年に二度目の新装版がお目見えしたときです。装丁もよい意味で古めかしく、二か月に二冊ずつ本棚に並べるのが楽しみでした。
今度は全二十冊となったため、上記の六冊のうち個人短編集五冊については約四十年ぶりの復刊となりました。ところが、『壜づめの女房』のみ復活が叶わず、代わりに三冊の新しいアンソロジーがラインナップに加わったのです。
その辺の事情は、『狼の一族』のあとがきで編者の若島正が詳しく述べています。
要するに『壜づめの女房』は、編集方針もはっきりせず、作家のジャンルも知名度も、作品の質もバラバラで、内容も訳文も古めかしくなったため、思い切ってすべて捨ててしまったということです。
内容はともかく、多くのファンは「そういうことであれば、昔の本を手に入れなくては!」と考えたのではないでしょうか。
元々、古書価格が高かったところへもってきて、「復刊されず」という残念な知らせが舞い込んだため、一時は吃驚するような値段をつけていた古書店もありました。
それから十年以上が経った今は、常識的な価格に落ち着いています。この本に限らず、かつて高価だった古書の多くが、随分と安く手に入れられるようになりました。インターネットの影響なのか、小説を蒐集する人が減っているせいなのかは分かりません。多分、両方だと思いますが、後者は寂しいですね(※2)。
『壜づめの女房』に収録されている十六編のうち十四編(※3)は「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」か「ヒッチコックマガジン」に掲載されたものです。
とはいえ、古い雑誌を探すのは容易ではなく、ほかの書籍には収録されていない短編が数多くラインナップされているため、安く売っていたらぜひ手に入れて欲しいアンソロジーです(ちなみに、僕が持っているのは、外函パラフィン付、本体ビニールカバー付、月報付である。これが完全体か)。
「夜」The Night(1946)レイ・ブラッドベリ
田舎町に住む八歳の少年にとっての夜は……。怖いことも不思議なことも起こっていないのに、これだけ上等な恐怖と幻想を生み出すとは。正にブラッドベリの魔法です。後に『たんぽぽのお酒』に取り込まれました。
→『ハロウィーンがやってきた』レイ・ブラッドベリ
「非常識なラジオ」The Enormous Radio(1947)ジョン・チーヴァー
何の問題もない家庭に新しいラジオが届きました。そのラジオからは、アパートに住む家族の声が聞こえてきます。
妻のアイリンがそのラジオに夢中になってしまうのは、他人の不幸を盗み聞きすることで、自分たちの幸せを確認したいからでしょうか。しかし、自分たちの家庭に問題が起こったとき、ラジオは……。
「めったにいない女」A Woman Seldom Found(1956)ウィリアム・サンソム
ローマで出会った美女の家に招かれ、食事をし、ベッドに誘われますが……。ラストは解釈が難しい。腕が伸びたのではなく、シャンデリアの光や影という記述があるので「自分の影を操る女」という解釈では駄目でしょうか。
「呪われた者」The Other Ones(1953)デイヴィッド・アリグザンダー
党の命令で大統領を暗殺しようとして、長官を射殺してしまった男は、逃亡中に自動車事故で死亡します。ところが、彼はあの世ではない、奇妙な場所にやってきます。そこには骨でできた塔があり、ジェシー・ジェイムズ、ジョン・ウィルクス・ブース(リンカーンを暗殺した男)、切り裂きジャックがいました。
殺人者の死にまつわる神秘的な事情が存在する場合、彼らは骨の塔であらゆる苦痛と不便に耐えなければいけないという不思議な設定です。ただ、この三人より悲惨な者がふたりおり、眠ることもできず塔の外で叫び続けています。当然ながら、彼らが何者なのかがオチになります。
「駒鳥」The Robin(1949)ゴア・ヴィダル
九歳の頃、「わたし」は友人と傷ついた駒鳥をみつけます。苦しむ駒鳥を救うため、ふたりは石を落として殺すことにしました。
暴力と残虐を好む少年時代でさえ、このできごとは強烈で、大人になってからも鮮明に記憶しています。僕にも以下のような経験があります。飼っていたイモリを友だちの家に連れてゆき、遊んでいる間、「仲よく遊びな」といって亀の水槽に入れた。さあ帰ろうと水槽をみたら、亀の口からイモリの尻尾が出ていた……。
→『マイラ』『マイロン』ゴア・ヴィダル
「壜づめの女房」The Strange Case of the Bottled Wife(1952)マイクル・フェッシャー
表題作で、恐ろしそうなタイトルですが、作者は無名で、この作品もほかのアンソロジーなどには採用されていません。どういう話かというと……。
プレント医師は、車の部品を外され、なおかつ法外な請求書を送りつけられたとして自動車修理工パシフォードを訴えます。パシフォードは、自分の妻がプレントによって歯や臓器を抜かれ、法外な治療費を請求された仕返しをしたらしいのですが……。奇妙な味に相応しい変な短編です。
「破滅の日」D-Day(1945)ロバート・トラウト
跡切れ跡切れに入ってくる情報を読むニュースキャスター。それによって、戦争が起こったらしいことを匂わします。
一九六〇年代だからこそ書けた短編です。現代では、この手のフィクションから新しいものは生まれないでしょう。携帯電話やインターネットが存在するからではなく、あらゆる手法が試し尽くされているためです。
「剽窃」Theft(1952)ビル・ヴィナブル
アイディアに悩む作家トムプスンの前に緑色の小人が四人現れ、素晴らしい小説の筋を話してくれます。それを採用するとともに、精神科医に相談をするトムプスン。精神科医がトムプスンの部屋にやってきて、小人などいないと説得してくれます。では、小説のアイディアは、どこからきたのでしょう。
「剽窃」という表題から、トムプスンは「過去の名作を意識せず剽窃した」と誰もが考えるでしょう。ところが、これは引っ掛けで、意外なオチが用意されています。
「崩れる」Breakdown(1929)L・A・G・ストロング
妻を誤魔化して人妻と自宅で逢引するのかと思いきや、その女性を殺害してしまいます。それからアリバイ作りに奔走しますが……。動機も行動もオチも、すべてが少しずつおかしい奇妙な小説です。おまけに最後の妻の対応も謎です。
「プレイバック」Playback(1954)J・T・マッキントッシュ
マッキントッシュは『魔女も恋をする』に収録されている「第十時ラウンド」で十回も過去に戻る男の話を書きました。「プレイバック」も、愛する妻のため、バーテンダーが何度も過去に戻ります。
突っ込みどころの多い「第十時ラウンド」に比べ、こちらはシンプルで、ロマンチックで、感情移入もしやすい。こういう世界は嫌いではありません。
「二階の老婆」The Old Woman Upstairs(1939)ディラン・トマス
老婆は、マーサが子どもの頃から、ずっと二階で寝たきりの生活をしています。マーサは貧しく、老婆はマットレスの下に金を隠しています。その金さえあれば……。果たして、マーサは空を飛べるのでしょうか。
「変身」Dermuche(1945)マルセル・エイメ
デルミューシュはオルゴールが欲しかっただけで三人を殺し、死刑を宣告されます。彼は悪人というより、赤子ほどの判断力しかない男でした。死刑執行の日、ベッドには赤ん坊に返ったデルミューシュがいました。
不思議なことはまだ続きます。「あれ」はイエスさまが返してくれたみたいです。
→『おにごっこ物語』『もう一つのおにごっこ物語』マルセル・エイメ
→『名前のない通り』マルセル・エイメ
→『マルタン君物語』マルセル・エイメ
「わが友マートン」My Friend Merton(1944)ジュリアス・ファースト
こちらをご覧ください。
「災いを交換する店」The Bureau d'Echange de Maux(1915)ロード・ダンセイニ
パリにあるモー万物交換所では、二十フランの入場料を払うと、客同士が災いを交換することができます。取引がまとまらないケースは一度もありませんが、交換が成立すると二度と交換所を訪れなくなります。
正確には「訪れられなくなる」わけですが、その理由は分かりません……。
「私の幽霊」Ghost of Me(1942)アントニー・バウチャー
ジョン・アダムス医師のところに、自分自身の幽霊が現れます。時間が少しずれ、幽霊はジョンが死ぬ前にやってきてしまったのです。幽霊の話では、ジョンは近々誰かに殺されるそうです。その事実は変えられず、幽霊は誰がどうやって自分を殺したかを覚えていません。
ジョンは、セメント粉塵が原因の肺病患者を治療し、最初は感謝されたものの、余りに劇的に改善させたため、町の人々に黒魔術師と思われるところが伏線です。論理はしっかりしていますが、全体的にみると、やっぱり奇妙なんですよね。
「マダム・ロゼット」Madame Rosette(1945)ロアルド・ダール
英国空軍のパイロット、スタグとスタッフィーは、第二次世界大戦においてリビアでイタリア軍と戦っています。休暇でカイロにきた彼らは、マダム・ロゼットという淫売屋の経営者に女を世話してもらうことにします。ところが、彼女が強欲で、女を脅して客を取らせていると聞くと、酔った勢いで女たちを解放しにゆくことにします。
飛行士だったダールは、自らの経験を生かした短編を書き『飛行士たちの話』にまとめました。「マダム・ロゼット」は、そこに収録された短編です。休暇中の軍人の馬鹿騒ぎを描いていて、とても好きな作品ですが、「異色作家短篇集」のカラーには合わない気がします。
→『オズワルド叔父さん』ロアルド・ダール
→『ロアルド・ダールの鉄道安全読本』ロアルド・ダール
※1:ジョルジュ・ランジュランの『蝿』の刊行が遅れたので、配本順では十七番目だった。
※2:古本屋巡りは、若い頃から好きである。かつては、探していた本をみつけるとコンディションや価格にはさほどこだわらず購入していた。というのも、この出合いを逃せば、次はいつ巡り会えるか分からなかったからだ。
インターネットで古本を買うようになってから、古書店で欲しい本をみつけても慌てず騒がず相場を検索したり、状態を確認したりして、結局買わずに帰ることが多くなった。稀少な戦前の本、掘り出しもの、今すぐ読みたい本以外は、無理をしなくてもネットで状態のよい古本を安く手に入れることができるからである。その結果、古書店巡りが以前より楽しくなくなってしまった……。
※3:『狼の一族』の「解説」には「EQMM」に十一編、「ヒッチコックマガジン」に二編とあるが、「EQMM」に十一編、「ヒッチコックマガジン」に三編の十四編が正しい。雑誌未掲載は「プレイバック」と「私の幽霊」のみ。
『壜づめの女房』異色作家短篇集18、木村榮一ほか訳、早川書房、一九六五
アンソロジー
→『12人の指名打者』
→『エバは猫の中』
→『ユーモア・スケッチ傑作展』
→『ブラック・ユーモア傑作漫画集』
→『怪奇と幻想』
→『道のまん中のウェディングケーキ』
→『魔女たちの饗宴』
→「海外ロマンチックSF傑作選」
→『三分間の宇宙』『ミニミニSF傑作展』
→『ミニ・ミステリ100』
→『バットマンの冒険』
→『世界滑稽名作集』
→「恐怖の一世紀」
→『ラブストーリー、アメリカン』
→『ドラキュラのライヴァルたち』『キング・コングのライヴァルたち』『フランケンシュタインのライヴァルたち』
→『西部の小説』
→『恐怖の愉しみ』
→『アメリカほら話』『ほら話しゃれ話USA』
→『世界ショートショート傑作選』
→『むずかしい愛』
→『魔の配剤』『魔の創造者』『魔の生命体』『魔の誕生日』『終わらない悪夢』
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