The Halloween Tree(1972)Ray Bradbury
意外なことに『ハロウィーンがやってきた』(写真)は、レイ・ブラッドベリが初めて書いた児童向けの長編小説だそうです。
といっても、ブラッドベリは『たんぽぽのお酒』や『何かが道をやってくる』といった作品で既に子どもたちの支持を得ており、『ハロウィーンがやってきた』にわざわざ「児童向け」というレッテルを貼る意味は余りないように感じます。
僕も中学生の頃、『何かが道をやってくる』を読み、日常に潜む闇の魅力に取り憑かれました。それ以降、ブラッドベリの熱心な読者になったのです。
上記の作品はどれも中西部のスモールタウンが舞台なので、半自伝的といわれることがあります。
少年時代に経験したことというより、思春期のブラッドベリが感じたことを、作家になってからフィクションに取り入れたのでしょう。
それが叙情派と呼ばれる所以ですが、根底に流れるのは恐怖の感情という気がします。少年時代に感じた、得体の知れないもの、未知のものに対する畏怖の念がブラッドベリの創作の源になっており、その代表作のひとつが『ハロウィーンがやってきた』といえます。
さて、今回は、毎年(ではないけど)恒例の、夏休みの宿題用の読書感想文(小・中学生レベル)仕様です。
八月の終わりになっても、感想文が書けないお子さんがいらっしゃいましたら、以下の文を適当にアレンジしてご使用ください(※)。
* * *
私は、レイ・ブラッドベリさんの『ハロウィーンがやってきた』を図書館で借りて読みました。それは、こんな話でした。
アメリカの中西部にある小さな町で、ハロウィンの午後、八人の少年が仮装をして集まります。けれど、グループのリーダー的存在であるジョー・ピプキンの姿がみえません。八人がピプキンの家へゆくと、彼は体の調子が悪そうな様子で、「先に幽霊屋敷にいってくれ」といいます。
八人がそのとおり幽霊屋敷にいくと、そこにはハロウィンツリーがありました。木にぶら下がっているたくさんのカボチャは命を持っているようです。
そこへマウンドシュラウドという男が現れ、ハロウィンの秘密を解き明かすため、未知の国に案内してくれることになります。
ところが、遅れてやってきたピプキンは何者かにさらわれ、八人には彼を助けるという目的もできました。
原始時代からはじまって、古代エジプトのミイラ、ローマ帝国のブリテン島征服、中世のヨーロッパでの魔女狩り、ノートルダム大聖堂のガーゴイル、メキシコの死者の日などを八人はめぐります。
そこで何度もピプキンに会いますが、彼を助けることはできません。しかも最後に、ピプキンは消えてしまいます。
がっかりして現代にもどってきた八人は、地下の墓地にいるピプキンと再会します。ところが、彼はミイラにつかまって動けません。八人は、マウンドシュラウドに「それぞれの寿命を一年ずつくれれば、ピプキンを救える」といわれ、迷わずに一年の寿命を差し出すのです。
この小説は、十三歳の少年たちの冒険と友情の物語です。
少年たちは私と同じくまだ若いので、自分が歳をとったときのことは考えられず、喜んで一年分の寿命を差し出そうとします。マウンドシュラウドに「老人になったとき、一年はとても貴重だよ」と教えてもらっても、友だちを助けたいという強い意志は変わることがありませんでした。
私が同じ選択をせまられたら、何と答えるでしょうか。
人間はだれひとり「死」を体験したことがありません。だから、死ぬということを想像して、たまらなく怖くなります。もちろん、私もそうです。
ですから、「寿命を一年差し出せ」といわれても、すぐには答えられないと思います。
じつは『ハロウィーンがやってきた』は、死とは何かを、私たちに考えさせるために書かれた小説です。
そのヒントとなるのがハロウィンというお祭りなのですが、これがいったい何のために行なわれるのか、知らない人もいるのではないでしょうか。
古代ケルト人は、冬のはじまりである十一月一日を一年のはじまりと考えていました。そして、その前日の十月三十一日に死者がたずねてくると信じていたのです。
それが少しずつ変化して、アメリカでは子どもたちが近所の家をめぐって「いたずらか、ごちそうか(Trick or Treat)」と聞き、おかしをもらったり、仮装してパレードをしたりといったことが行なわれるようになります。
日本でもそれをまねして、いろいろなかっこうをして繁華街でさわぐ人たちが増えてきました。
このように、ハロウィンはアメリカや日本では楽しいお祭りのようになっていますが、ほんとうは「生きている者と死んだ者」「この世とあの世」をつなぐための大切な行事なのです。
生きている者にとって、死んでしまった者は、どういう存在なのでしょうか。
私は、昔かっていた犬が死んだとき、悲しくて悲しくて何日も泣いていました。でも、いつのまにか泣かなくなっていました。
死んでしまった者のことをずっと考えていたら、悲しくて何もできません。けれど、完全に忘れてしまうのは、もっと悲しいことです。
そのため、年に一度は死んでしまった者のことを思い出そうというのがハロウィンなのではないかと私は考えました。
もちろん、日本にも、にたようなお祭りがあります。それがお盆です。
ハロウィンは仮装してさわぐためにあると考えている人には、「それも楽しいけれど、死んでしまった人のことも少しは思い出してほしい」といいたいと思います。
※:勿論、冗談ですよ。
『ハロウィーンがやってきた』文学のおくりもの、伊藤典夫訳、晶文社、一九九七
夏休みの読書感想文
→『かくも激しく甘きニカラグア』フリオ・コルタサル
→『息吹、まなざし、記憶』エドウィージ・ダンティカ
→『ジャングル・ブック』ラドヤード・キプリング
→『眠くて死にそうな勇敢な消防士』アルベルト・モラヴィア
→『消されない月の話』ボリス・ピリニャーク
→『黄犬亭のお客たち』ピエール・マッコルラン
Amazonで『ハロウィーンがやってきた』の価格をチェックする。