このブログの「書名一覧」をみていただくと一目瞭然ですが、僕はユーモア小説に目がありません。
ミステリーや恋愛小説などは年に一冊読むかどうかであるにもかかわらず、広い意味でのユーモア文学は書棚の半分を占めるといっても過言ではないでしょう。
当然、死ぬまでに何度も読み返したいお気に入りの本が沢山あり、『ユーモア・スケッチ傑作展』もそのひとつです。
また、このシリーズは単に面白いだけではなく、僕に読書の広がりを齎してくれました。アート・バックウォルドやH・アレン・スミス、ドナルド・オグデン・ステュアートらの名前を知り、彼らの著作を買い求めることになったのは『ユーモア・スケッチ傑作展』のお陰です。
知らない人のために簡単に説明すると、『ユーモア・スケッチ傑作展』は、主にSFの翻訳者として知られる浅倉久志が、「ハヤカワミステリマガジン」で連載していたものを集めた本です。
「ユーモア・スケッチ」とは、ショートショートのようでもあり、エッセイやコラムのようでもある、ナンセンスな笑いやほら話、馬鹿馬鹿しい話などの総称です。
米国では普通「ユーモア」や「カジュアル」などと呼ばれるそうですが、浅倉は、戦後、米軍の前線文庫にあった「Humorous Sketches」というカテゴリーを気に入り、都合六冊の本に「ユーモア・スケッチ」の名をつけました。
その呼称が一般的にならなかったのは、以後、それに当て嵌まる作品がさほど多く現れなかったからではないでしょうか。黄金時代は一九二〇年代で、次第に衰退していったそうで、今日ではわざわざ名前をつけて分類する必要性がないのかも知れません。
『ユーモア・スケッチ傑作展』は三冊刊行され、それからやや時間を隔てて『すべてはイブからはじまった』が出版されました。タイトル、判型、イラスト(畑農照雄から和田誠に変わった)こそ違えど、この四冊は同じシリーズと考えてよいと思います(写真)。
また、『すべてはイブからはじまった』が発行された直後に、ハヤカワ文庫から『ユーモア・スケッチ傑作展〈1〜3〉』の抜粋版というべき二冊『エンサイクロペディア国の恋 ―ユーモア・スケッチ抱腹篇』と『忘れられたバッハ ―ユーモア・スケッチ絶倒篇』が出ています。この二冊の文庫本は単なる抜粋で、〈1〜3〉の八十二編中四十八編しか読めません。
その上、文庫にしか収録されていない短編は一編もないので、無視してしまって差し支えないでしょう。ここはぜひ、ハードカバーで四冊揃えてください。
参考までに、各巻に収録されている短編の数を記載しておきます。
『ユーモア・スケッチ傑作展1』25編
『ユーモア・スケッチ傑作展2』32編
『ユーモア・スケッチ傑作展3』25編
『すべてはイブからはじまった』23編
(参考)『エンサイクロペディア国の恋』25編
(参考)『忘れられたバッハ』23編
なお、収録作品の多い作家は、以下のとおりです。
ロバート・ベンチリー 14編
スティーヴン・リーコック 11編
フランク・サリヴァン 10編
アート・バックウォルド 8編
H・アレン・スミス 6編
コーリイ・フォード 6編
ウィル・カッピー 5編
S・J・ペレルマン 5編
E・B・ホワイト 4編
J・B・モートン 4編
一流のユーモリスト揃いですが、ユーモア小説の評価が低い日本ではベンチリーもリーコックもサリヴァンも単著がありません(全くもって嘆かわしい!)。そのため、作家名だけではピンとこないと思います。が、読んでみれば「正にユーモア・スケッチとしか名づけられない作品ばかりだ!」と叫びたくなるでしょう。
何しろ収録数が多いので、気に入った短編のみ簡単な感想を記載します。どの本に収録されているかは、文字色で判別してください。
「クレイジー二人旅」The Crazy Fool(ドナルド・オグデン・ステュアート)
ナンセンスの見本のような短編。こういう馬鹿なものを書く人がいて、それを面白がる人がいるんですから、人間って面白いですね。
→『ハドック夫妻のパリ見物』ドナルド・オグデン・ステュアート
「自転車の修繕」Overhauling a Bicycle(ジェローム・K・ジェローム)
『ボートの 三人男』は未だに人気が高いのに、その続編である『Three Men on the Bummel』は訳されていません。「自転車の修繕」はその続編の一部ですが、十分面白い。どうして翻訳されないんでしょう。
「フランス人はふしぎな国民」The French They are a Funny Race(ウィリアム・アイヴァーセン)
第一次世界大戦終結の前辺りに発行された『旅行者のフランス語手引』という小冊子から勝手に物語を読み取り、旅行恐怖小説にしてしまいます。その頓珍漢な推理が笑えます。
「チュウチュウタコかいな」A Garland of Ibids for Van Wyck Brooks(フランク・サリヴァン)
脚註に用いられる「同書(ibid)」を茶化しています。本文を遥かに超える脚註(後半は本文との掛け合いになる)が楽しいけど、一体何の話だったのかが分からなくなりますね。
「億万長者になる法」How to Make a Million Dollars(スティーヴン・リーコック)
ナンセンスなハウツーもので、金持ちをからかっています。
「飛べ、オーヴィル!」The Wings of Orville(E・B・ホワイト)
『かもめのジョナサン』より感動的ではないかしらん。
「スケート再訪」Teaching the Old Idea to Skate(ロバート・ベンチリー)
高級な笑いの素材を揃え、「さあ。ここから先は、あなたの調理の腕前次第ですよ」と放り出されてしまいます。これから起こるであろう爆笑の渦をいかに想像できるか、ある意味、読者の力量が試される恐ろしい作品です。
「J・D・サリンジャーとは何者?」Just Who is J. D. Salinger?(H・アレン・スミス)
サリンジャーは自分だ。それどころか、トマス・ピンチョンも、ザヴィア・リンもそうだとか。しかも、お父さんは『黄金』のB・トレイヴン、いやいや、実はアンブローズ・ビアスらしいです。
→『いたずらの天才』H・アレン・スミス
「実用新案 観光日記」A Tourist Diary Form(アート・バックウォルド)
バックウォルドはお気に入りの作家だとみえて、数多く収録されています。どれも面白いのですが、米国人の観光客を諷刺したこれが好き。いつの時代でも、どこの国の人にも、この日記は使えそうです。
→『バックウォルド傑作選』アート・バックウォルド
「ある隣人に宛てて」Letter to a Neighbor(フランク・サリヴァン)
四歳の少年に、自分の価値観を覆される中年の独身男のお話。微笑ましくて、ラストでは少し切なくなります。
「書斎に死体が……」Dead Man's Alibi(J・B・モートン)
書斎から消えた死体を探すミステリー。被害者探しの推理小説にはパット・マガーの『被害者を捜せ!』などがありますが、こちらは動機も凶器も手掛かりもありません。探偵役は大間抜けですが、ちゃっかり美女を手に入れるってことは、ある意味、有能なのかも。
「ベッドの虹」I am a Hero ...... In Bed(H・アレン・スミス)
ジェイムズ・サーバーの「虹をつかむ男」(The Secret Life of Walter Mitty)を元にしたエッセイ。ウォルター・ミティがスポーツの分野のヒーローにならなかったのが納得いかず、自分がスポーツ界で活躍する妄想を描いています。個人的には、この妄想は共感できるんですよね。
「シャギー・ドッグ・ストーリー」Shaggy Dog Stories(J・C・ファーナス)
ナンセンスとは少し違う、馬鹿げた(goofy)、無意味な(pointless)ジョークを集めています。「むく犬話」とは、ここに分類される代表的な小咄がむく犬にまつわることから名づけられたそうです。ゲラゲラ笑えるものもあり、全くわけが分からないものもあります。
「グルーチョ」Groucho: The Man from Mars(レオ・ロステン)
狂気の毒舌コメディアン、グルーチョ・マルクスの滅茶苦茶なエピソードを紹介しています。笑えるけど、こういう人が身近にいたら迷惑するだろうなあ。
「がんばれガートルード、または純真な17歳」Gertrude the Governess(スティーヴン・リーコック)
ごく普通のお伽噺だったのに、ラストの三行で衝撃が襲います。ユーモアスケッチらしからぬブラックなオチです。
「ディナー・ブリッジ」Dinner Bridge(リング・ラードナー)
ラードナーといえば、市井の人々をユーモラスなタッチでスケッチした作家という印象がありますが、シュルレアリスムの短編や戯曲も書いていて、これもそのひとつ。爆薬が仕掛けられた葉巻を探すために、橋をひたすら掘り返すという設定自体、わけが分かりません。
→『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』リング・ラードナー
「ロロ・ボーイズ万歳!」Three Rousing Cheers for the Rollo Boys(コーリイ・フォード)
これは原作というより、翻訳が素晴らしい。数多くの駄洒落を見事に日本語に変換しています。
→『わたしを見かけませんでしたか?』コーリイ・フォード
「九本の針」Nine Needles(ジェイムズ・サーバー)
出鱈目や滅茶苦茶や悪ふざけは笑いを生みませんが、サーバーの場合、小心者がおどおどしながら事態を悪化させていって、最後にはとんでもないことになっちゃうところが堪らなくおかしいんですよね。
→『SEXは必要か』ジェイムズ・サーバー、E・B・ホワイト
→『現代イソップ/名詩に描く』ジェイムズ・サーバー
「給仕学校」School for Waiters(ジョージ・コーフマン)
ウエイターの意地悪な小細工は、すべて裏の学校で教わっていたことでした。悪戯がいちいち細かくて楽しい(実際にやられたら、滅茶苦茶イライラさせられるだろうけど)。
「ハドック夫妻の海外旅行」Mr. and Mrs. Haddock Abroad(ドナルド・オグデン・ステュアート)
長編の一部ですが全訳はなく、ほかの部分は『アメリカほら話』に掲載されています。なお、なぜか続編には翻訳があります(『ハドック夫妻のパリ見物』)。
「罠にはまった青年」A Young Man Trapped(ウィラード・テンプル)
三人の怪物のような子どもを連れて旅する青年。当然、散々ひどい目に遭いますが、ラストで彼らの関係が明らかになり、意外とすっきりします。
「ゴビ砂漠の大発見」The Big Gobi Desert Find(ロバート・ベンチリー)
ゴビ砂漠探検隊は、途中のパリで七年を過ごし、人数は二百三十人にも膨れあがります。その癖、砂漠に着いたら、碌に作業をせず半日でやることがなくなってしまいます。で、発見したものはというと……。こういう馬鹿げたほら話は好きですねえ。
「そつのない分身」The Alter Practical Ego(パトリック・キャンベル)
パブで強盗に遭った男の屑っぷりが笑えます。思わぬ危機に直面したとき、人間の真価が問われますが、ここまで変わり身が早いのはある意味、尊敬できる……かな。
追記:二〇二一年十二月から、国書刊行会より『ミクロの傑作圏』を加え四巻に再編された新版が刊行されました。
『ユーモア・スケッチ傑作展』浅倉久志訳、早川書房、一九七八
『ユーモア・スケッチ傑作展2』浅倉久志訳、早川書房、一九八〇
『ユーモア・スケッチ傑作展3』浅倉久志訳、早川書房、一九八三
『すべてはイブからはじまった ―ユーモア・スケッチブック』浅倉久志訳、早川書房、一九九一
アンソロジー
→『12人の指名打者』
→『エバは猫の中』
→『ブラック・ユーモア傑作漫画集』
→『怪奇と幻想』
→『道のまん中のウェディングケーキ』
→『魔女たちの饗宴』
→「海外ロマンチックSF傑作選」
→『壜づめの女房』
→『三分間の宇宙』『ミニミニSF傑作展』
→『ミニ・ミステリ100』
→『バットマンの冒険』
→『世界滑稽名作集』
→「恐怖の一世紀」
→『ラブストーリー、アメリカン』
→『ドラキュラのライヴァルたち』『キング・コングのライヴァルたち』『フランケンシュタインのライヴァルたち』
→『西部の小説』
→『恐怖の愉しみ』
→『アメリカほら話』『ほら話しゃれ話USA』
→『世界ショートショート傑作選』
→『むずかしい愛』
→『魔の配剤』『魔の創造者』『魔の生命体』『魔の誕生日』『終わらない悪夢』
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