読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『残虐行為展覧会』J・G・バラード

The Atrocity Exhibition(1970)J. G. Ballard

 一九六〇年代、ニューウェーブと呼ばれる新しいSF小説が生まれました。その代表的な存在がJ・G・バラードです。
 彼によると、それまでのSFは狭く、制約された領域で、宇宙や未来を舞台にした単調な形式が重んじられたとのことです。

 それ以外のものは没にされた時代、バラードは宇宙を舞台にするのではなく、精神世界(インナースペース)に視点を移し、スペキュレイティブフィクションといわれる作品を生み出してゆきました。
 今では『結晶世界』『クラッシュ』『ハイ-ライズ』『夢幻会社』といった長編小説が、彼の代表作として高い評価を得ています。

 けれど、僕は、寧ろ短編小説の方に心を惹かれます。しかも、思弁小説といった仰々しさよりも、基礎となるアイディアや、精神の奥底まで沈んでゆくような酩酊感を単純に楽しんでいるのです。
 なお、「マンホール69」という短編でバラードは、アントン・チェーホフの「賭け」に言及しています。もしかしたら、初期のバラードは、チェーホフをお手本にしたのかも知れないと考えるとワクワクします。

『残虐行為展覧会』(写真)は短編集ではありませんが、一部はほかの短編集にも収録されています。
 なぜなら、この本の各章は、「濃縮小説」と名づけられた連作として捉えることもできるからです。

 例えば、主人公は章ごとに姓が変わり(トラヴィス、タルボット、トラーヴン、トラヴァート、タルバートなど)、妻のマーガレットの姓もそれに合わせて変化します(誤植もあるから、余計ややこしい)。キャサリン・オースティンも、途中からクレア、エリザベスと名前を変えます。一方、カレン・ノヴォトニー、ネイサン博士などは、そのままです。
 主人公の名前は、ドイツの作家B・トレイヴンをヒントにしたそうです。この作家は、本名を隠すために名前を変え続けたことで知られています(※1)。もしかすると、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の主人公HCEやALPの頭文字が、様々な意味を持つような効果をも狙ったのかも知れません。

 これが実験小説であることは論を俟ちませんが、長編のためのアイディアやメモといった感じもします。特に『クラッシュ』で扱った要素は、ほぼすべて入っているといってよいでしょう。
 星新一でいうと、『できそこない博物館』のようなものでしょうか。この二冊は、なぜかタイトルも似ています。

 元々、ストーリーと呼べるようなものはほとんどなく、ジョン・F・ケネディの暗殺、ベトナム戦争マリリン・モンローの死、エリザベス・テイラーが気管切開し一命を取り留めたこと、当時カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンが大統領候補になったこと、宇宙開発戦争、交通事故など様々なできごとが、第三次世界大戦を望む主人公の精神に蝕み、妄想が暴走するといった感じ。
 しかも、読み進めるに従って、これがフィクションなのか疑問に思えてきます。事実、終盤は小説というより、コラムのようになってしまうのです。

 序文をウィリアム・S・バロウズが書いている(日本版では割愛されている)ことから分かるとおり、バラードがバロウズの手法(カットアップ)を用いたともいわれています。
 あそこまでわけが分からなくはないですが、無数の断片から構成されている点は似ているかも知れません(※2)。
 なお、作中で言及されているのは、レーモン・ルーセルアルフレッド・ジャリ、オスカー・ドミンゲス、ハンス・ベルメールマックス・エルンストなどシュルレアリスムのアーティストが多いのも特徴的です。

『残虐行為展覧会』は、バラードの思考の源泉を垣間みられるとともに、鮮烈なイメージ(性的なものが多い)に溺れることができる本です。映像化もされているようですが、残念ながら日本未公開です。
 尤も、映像に頼る必要など全くなく、この本一冊で、バラードが言葉によって描き出した一九六〇年代の政治、文化、アート、SF、ポルノグラフィのコラージュを十分に楽しむことができるでしょう。

 ただし、それはタイトルどおり、惨たらしく、グロテスクで、エロティックです。
 例えば、SF作家のバリー・N・マルツバーグも同じ頃、実在の女優を用いたポルノグラフィ『スクリーン』を出版しましたが、『残虐行為展覧会』はそれよりもさらにひどい。肉体を切り刻んで、各パーツを晒し、辱めているような印象を受けました。

 と、まあ、何とも不思議な本で、これ以上は説明がしにくいため、実際に読んでもらった方がよさそうです。

 各章は短編集などに収録されることもあるため、以下にタイトルを記しておきます。
 一九九〇年に刊行された新版には付録も追加されましたが、日本版には収録されていません。

残虐行為展覧会」The Atrocity Exhibition(1966)
死の大学」The University of Death(1968)
暗殺凶器」The Assassination Weapon(1966)
あなた、コーマ、マリリン・モンロー」You: Coma: Marilyn Monroe(1966)
ある神経衰弱のための覚え書」Notes Towards a Mental Breakdown(1967)
巨大なアメリカのヌード」The Great American Nude(1968)
夏の人喰い人種たち」The Summer Cannibals(1969)
人間の顔の耐久性」Tolerances of the Human Face(1969)
あなたとわたしと連続体」You and Me and the Continuum(1966)
ジャクリーン・ケネディ暗殺計画」Plan for the Assassination of Jacqueline Kennedy(1966)
愛とナパーム弾/アメリカ輸出品」Love and Napalm: Export U.S.A.(1968)
衝突!」Crash!(1969)
アメリカの世代」The Generations of America(1968)
どうしてわたしはロナルド・リーガンをファックしたいのか」Why I Want to Fuck Ronald Reagan(1968)
下り坂自動車レースとみなしたJ・F・ケネディの暗殺」The Assassination of John Fitzgerald Kennedy Considered As a Downhill Motor Race(1966)

(以下は、新版に追加された付録)
「Princess Margaret's Facelift」(1970)未訳
メイ・ウエストの乳房縮小手術」Mae West's Reduction Mammoplasty(1970)
Queen Elizabeth's Rhinoplasty」(1976)未訳
第三次世界大戦秘史」The Secret History of World War 3(1988)

※:トレイヴンに関しては、エンリーケ・ビラ=マタスの『バートルビーと仲間たち』に詳しく記述してある。トレイヴンは、ジュリアン・グラック、J・D・サリンジャートマス・ピンチョンの三人を合わせたよりも、遥かに世に隠れた作家とのことである。

※2:映画監督のデヴィッド・クローネンバーグは、バロウズの『裸のランチ』と、バラードの『クラッシュ』を映画化している。なお、『クラッシュ』の邦訳は、最初、バロウズの作品を多く出版しているペヨトル工房より刊行された。


『残虐行為展覧会』法水金太郎訳、工作舎、一九八〇

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