読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『これは小説ではない』デイヴィッド・マークソン

This Is Not a Novel(2001)David Markson

 デイヴィッド・マークソンは『ウィトゲンシュタインの愛人』で注目された後、「マークソンの四部作(ノートカードカルテット)」と呼ばれる作品群を発表しました。それが以下の四作です。

 『Reader's Block Dalkey』
 『これは小説ではない』(写真
 『Vanishing Point』
 『The Last Novel』

「ノートカード」という名から分かるとおり、短い文章の書かれたカードを貼り合わせたコラージュのような作品たちで、マークソン自身はそれら四つが一冊にまとめられることを望んでいたそうです。
 合本どころか、日本では『これは小説ではない』しか訳されていないのが残念です。

『これは小説ではない』という挑発的なタイトルは、ベルギーの画家ルネ・マグリットの「イメージの裏切り(La trahison des images)」を意識しているそうです。
「イメージの裏切り」は、写実的なパイプの絵の下に「これはパイプではない(Ceci n'est pas une pipe)」という文章が書かれた作品です。「どれだけリアルに描こうともパイプの絵は絵であり、本物のパイプではない」とマグリットは語っています。
 マグリットによると、絵と同じく文字も真実ではなく、「テーブル、海、果実(La table, l'ocean et le fruit)」では、木の葉の絵にテーブル、バターの塊の絵に海、水差しの絵に果実と、それぞれキャプションがついています(※1)。

 直接的なパロディとしては、画家のロバート・ラウシェンバーグの電報があげられます。
 イリス・クレールの肖像画を集めた展覧会にラウシェンバーグが出展を依頼された際、「これはイリス・クレールの肖像画だ。私がそう言えばそうなのだ」という電報を送りました。マークソンはこれをもじって、「これは小説だ。〈作者〉かラウシェンバーグがそう言えばそうなのだ」と書いています。
 さらに、作中では「これは一大叙事詩だ」「これは一種の壁画である」「これは自伝でもある」「これは延々と続くなぞなぞの山でもある」といった文章が、「もしも〈作者〉がそう言えば」という言葉とセットで何度も出てきます(最後には「あるいは、ひょっとすると最初から基本的に見覚えのあるジャンルにすぎなかったのか? 〈作者〉が何と主張しようとも」と結ばれる)。

 それらはともかく、少なくとも小説は文芸のなかでも新しいジャンルで、詩や戯曲などほかの文学と違って明確な定義が存在しません。したがって、作者が「これは小説である」といい張れば、あらゆるものが小説になってしまいます。
 とはいえ、小説らしくないものに『これは小説である』というタイトルをつけたのでは芸がなさすぎます。逆に『これは小説ではない』とすることで、いかなるものも小説となりうることを仄めかしているように感じます。

 肝腎の中身はというと、芸術に関するトリビアや芸術家の言葉、作品の引用を集めた書籍です。
 過去に取り上げた本のなかでは『象は世界最大の昆虫である』や『ちょっと面白い話』に似た感じです。勿論、ただそれだけではなく、前述のとおり、ところどころにマークソンによる自作への言及がみられます。
「物語なし。登場人物なし」「にもかかわらず、読者にページをめくる気にさせる」「舞台設定のない小説」「それゆえ、結局は描写もなし」「象徴をまったく用いない小説」「究極的には主題さえ持たない小説。それが〈作者〉の望みだ」などというのがそれで、したがって『これは小説ではない』はメタフィクションともいえます。

 各トリビアは緩いつながりを持っています。前に出てきたトリビアを思い出し「なるほど」と思う箇所もあり、配置の妙を感じる箇所もあります。また、続けて読むと何となくリズムが生まれます。
 ただし、マークソンがどのような意図を持って、このような「小説」を書いたのか、上記以上のことは分かりません。それくらい尖った実験作なのですが、同時に、多くの人にお勧めしたくなる作品でもあります。
 なぜなら、フィリップ・ソレルスの『』などと大きく異なり、素材に使用しているトリビアが抜群に面白いからです。つまり、文学的価値は測れなくとも、気楽に読んで十分に楽しめるのです。

 特に海外文学好きにとっては、宝石箱のような書籍かも知れません。日本では様々な分野のトリビア本が出版されていますが、海外の文学・美術・音楽に関するトリビアの本は恐らくほかにありませんから。
 アン・ハサウェイと聞いてウィリアム・シェイクスピアの奥さんを、エリザベス・テイラーと聞いて英国の作家を、ジョン・ウェインと聞いて英国のジャーナリスト・作家を思い浮かべる海外文学オタクなら、必ずや満足できるでしょう(※2)。
 当然、馴染みのない芸術家や作品もありますが、それを自分で調べる楽しみもあります。

 最後に、「へえー」と思ったトリビアをいくつか紹介します。

・『マノン・レスコー』を書いたアベ・プレブォは脳卒中で倒れて、検死解剖されたが、死因は検死解剖だった。
アン・ハサウェイは文字が読めなかった可能性がある。
シェイクスピアの作品には「聖書」という言葉が一度も出てこない(「イエス・キリスト」という言葉は十一回出てくる)。
フランツ・シューベルトは死ぬまでピアノを買う金がなかった。
ヨハン・セバスティアン・バッハとジョージ・フレデリックヘンデルは誕生日が二十六日違いだが、一度も会ったことがない。
ギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』を初めて英訳したのはカール・マルクスの四女エリノア・マルクスで、彼女はエンマと同様自殺している(限りなく殺人に近い)。
オルダス・ハクスリーは、ジョン・F・ケネディと同じ日(一九六三年十一月二十二日)に亡くなった。
・チャールズ・ディケンズは、早足で四十三・五キロも散歩した。
・ロベルト・ムージルの葬儀には八人が列席した(戦時中、亡命先で亡くなったせいか)。ゴットフリート・ライプニッツの葬儀に参列したのはたったひとり秘書だけだった。
アーネスト・ラザフォードの教え子のうち十一人がノーベル賞を受賞している。
ジョー・ディマジオは、アル・ジオンフリードの誕生日に亡くなった。
ジェイン・オースティンの本で、最初の一頁にお金の話が出てこないものがあるか?(六作ある長編を調べたところ、『説得』だけはお金の話が出てこない気がする……)
ハーマン・メルヴィルが四十五年以上の作家生活で稼いだ金額は一万ドルを超える程度だった。
カート・ヴォネガットは入院するときキルゴア・ローズウォーターという偽名を用いた(エリオット・ローズウォーターとキルゴア・トラウトを合成したもの。どちらもヴォネガットの小説の登場人物)。
バートランド・ラッセルは七十六歳のとき、多くの乗客が亡くなった飛行機事故を生き延び、九十七歳で亡くなった。

※1:勿論、ドニ・ディドロの「これは物語ではない(Ceci n'est pas un conte)」(『世界短篇文学全集 フランス文学中世18世紀』や『世界文学体系16』に収録)も意識している。

※2:ジョン・ウェインのみスペルが違う。映画俳優はJohn Wayneで、作家はJohn Wain。


『これは小説ではない』木原善彦訳、水声社、二〇一三