La storia(1874)Elsa Morante
エルサ・モランテは「アルベルト・モラヴィアの最初の奥さん」といった方がとおりがよいかも知れません(※)。映画監督のルキノ・ヴィスコンティと三角関係だったともいわれており、それを描いたのがモラヴィアの『金曜日の別荘』という短編です。これは映画化もされました(映画の邦題は『金曜日の別荘で』)。
モランテの著作は、今世紀に入ってから、初訳はひとつもないのに、『アルトゥーロの島』(映画の邦題は『禁じられた恋の島』)、『アンダルシアの肩かけ』(短編集)、『カテリーナのふしぎなお話』(童話)の新訳が次々に出版されました。
これらを再訳するくらいなら、入手が困難な『イーダの長い夜』を復刊すればよいのに、と大きなお世話なことを考えてしまいます。
実際、この本は絶版になってから人気が出たせいか、発行部数が少なかったためか、出版から三十年しか経っていないにもかかわらず、古書相場は驚くほど高い。
とはいえ、古書店でも滅多にみかけないため、購入するか否か悩んで買い逃したりすると、次に出会うチャンスはなかなか巡ってこないかも知れません。値段の折り合いがつけば、買って損のない作品だと思います(現時点での相場は上下巻セットで、六千円から八千円程度か……)。
個人的には『Aracoeli(アラコエリ)』など未訳の長編を訳して欲しいんですが……。
『イーダの長い夜』の原題の「storia」とは「歴史」という意味です。その名のとおり、イーダという中年の女性をとおして二十世紀(第二次世界大戦)を振り返った、ボリュームたっぷり(二段組みで、上下巻合わせて約六百三十頁)な大河小説、戦争文学の傑作です。
本作は、一章を一年ごとに区切り、各章の頭には簡単な年表や月表がついているのが特徴で、何となく世界史の教科書のようです。また、小説では珍しく「作者」の一人称によって語られ(「作者はその飲み屋の正確な場所は確かめようがなかった」など。翻訳の問題か、後半はなぜか「わたし」になってしまう)、それがルポルタージュの如き雰囲気を醸し出しています。
モランテは、ここでは小説の持つ嘘臭さを極力排したかったのかも知れません(同じイタリアの作家アントニオ・タブッキの『供述によるとペレイラは……』も似たような効果を狙っているような気がする)。
加えて、多くの人に読んでもらえるよう、この作品に限っては文学的技巧に凝らず、シンプルな文体を意識したと思われます。力強い物語の力に、すべてを委ねたといえるでしょう。
それ故、売れゆきは上々だったそうです。尤も、書き下ろし作品にもかかわらず、ペーパーバックで発行し、価格を抑えたことも影響したのかも知れませんが。
ユダヤ人の母親を持つイーダは中年の未亡人で、ニーノという息子とローマで暮らしています。一九四一年、若いドイツ兵に犯された彼女は、ウゼッペという男の子を生み落とします。
やがて、ニーノは黒シャツ隊(ファシスト党の民兵組織)に加入し家を出、イーダとウゼッペは空襲に遭い、アパートから難民収容所に移ります。
その後、イーダは恐怖と飢えに耐え、住処を何度も移し、何とか終戦を迎えました。
そんなとき、さらなる悲劇が彼女を襲います。
イーダの母親と、モランテの母親とは境遇がよく似ている(ローマ生まれのユダヤ人で、教師)ことから、イーダは、恐らく作者の分身なのでしょう。
勿論、モランテは、イーダより若く(モランテは一九一二年生まれで、イーダは一九〇三年生まれ)、物語の始まる一九四一年にはモラヴィアと結婚し、作家デビューもしていましたから、戦時中とはいえ、いや、ファシズムの嵐が吹き荒れていたこそ、遥かに活動的で、充実した生活を送っていたと思いますが……。
一方、イーダは地味で、見栄えも悪く、社交性もない女教師です。結婚生活も、夫の死後も、これといった楽しみもなく、黙々と生きてきました。迫害されていたユダヤ人の血が混じっていることも、目立たずにひっそりと暮らす道を選択させてしまった要因となっています。
この小説を「無力な女性の人生を翻弄した戦争や人種差別」という視点で捉えることも可能です。
実際、戦争は、死や飢えといった生命の根源にかかわる危機を齎します。陰惨なシーンも数多く描かれ、身近な人が虫けらのように命を落としてゆきます。
当然、集英社は、これを「戦争による悲劇を描いた作品」として売りたかったのでしょう。それは、非常に暗いトーンのカバーイラストをみても理解できます(特に表4のイラストは象徴的。上巻はベンチに座るイーダ、ふたりの息子、犬なのに、下巻はそのベンチにイーダだけがうつむいて座っている。写真)。
けれど、イーダは女性ですから戦地に赴くこともなく、また、混血であるが故、強制収容所に送られることもありません。両親や夫も既に亡くなっているので、彼らの安否を気遣う必要もないのです(唯一の気がかりはパルチザンに参加しているニーノだが、彼は要領がよいので、イーダは余り心配していない)。
戦争や人種差別の哀しみを描くという意味では、ほかにいくらでも優れた作品があり、それらに勝っている点は余り多くないように思えます。
ただし、戦争という集団の悲劇ではなく、イーダの個人的な体験に焦点を当てていると考えれば、話は別です。
大河小説の主人公には凡そ相応しくない、没個性的で冴えない女性を用いて、六百頁超を一気に読ませる物語を作り上げたのは、さすがといわざるを得ません。
まず、イーダの生き方には、母との関係が大きな影を落としています。
父や夫は気のよい性格で、イーダを無条件に可愛がってくれました。しかし、イーダと同じく教師だった母親は真面目な反面、ヒステリックなところもあり、娘にとっては脅威の存在でもあったのです。そのせいか、イーダは幼少の頃、解離性障害の発作に悩まされていました(それがウゼッペにも遺伝する)。
また、物心ついてからは、ユダヤ人の血を受け継がされたという恨みを抱いていたかも知れません。
結局、イーダは母親そっくりな女性になります。誰ともつき合わず、びくびくと怯えて暮らす日々。行動範囲は異様に狭く、息子相手でも思ったことをいえません。
また、イーダは、よく夢をみます。
彼女にとって、現実は過酷で、喜びも多くありません。かといって、空想の世界に逃避するほど精神に余裕もないため、抑圧された欲望や衝動が、夢のなかで解放されるのではないでしょうか。
そんなイーダも、ウゼッペという新しい命を授かり、戦争の最大の被害者である市井の人々とふれ合うことで、次第に変わってきます。痩せ細ったウゼッペのために盗みや略奪まで経験し、廃墟となった市街で逞しく生き始めるのです。
それに伴い、夢をみる機会は、明らかに減ってきます。
本来であれば、戦災によって希望を失ってしまうところ、逆に人生の目的を見出し、生き生きとしてくるのですから不思議なものです。
ところが、その後、イーダは不幸に見舞われます(モランテは、次に何が起こるか予想できる書き方をしているものの、ネタバレになるので具体的に述べるのは控える)。空襲やドイツ兵の暴力はくぐり抜けたのに、終戦後に落とし穴が待っているとは、何と皮肉なことでしょう。
それによって、イーダは再び人つき合いをやめ、夢をみることも多くなってゆきます。
そして、続けざまに起こった最大の悲劇が、彼女をさらに遠い世界へと連れていってしまいました。
とどのつまり、イーダにとって戦争は、ほんの束の間の「現実」だったのではないでしょうか。戦争は外側からやってくる敵であり、それであれば何とか対処することが可能でした。
しかし、内側の敵は、イーダにはいかんともしがたかった……。そのため、それ以外の人生、彼女はずっと「夢」を見続けていたのです。
それが不幸なのか、あるいは幸福なのかは分かりませんが、このようにしか生きられない女性が存在した(かも知れない)ことが、読後の重い残滓となります。
勿論、それは陰鬱だけれど、貴重な文学体験にほかなりません。
訳者は、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』に因んで『イーダの長い夜』という邦題をつけたそうです。けれど、寧ろ「イーダの長い夢」とした方が相応しかった気がします。
※:比較されることの多いイタリアの女流作家ナターリア・ギンズブルグも、夫(レオーネ・ギンズブルグ)が作家で、かつ反ファシスト活動家だった。しかし、モラヴィアと異なり、レオーネは一九四四年、警察による拷問で亡くなった(息子は歴史家のカルロ・ギンズブルグ)。モランテとモラヴィアはユダヤ人とのハーフで、ナターリアは純粋なユダヤ人である。
なお、河出書房の「池澤夏樹個人編集 世界文学全集」には、モランテの『アルトゥーロの島』と、ギンズブルグの『モンテ・フェルモの丘の家』がセットで収録されている。
『イーダの長い夜 ―ラ・ストーリア』〈上〉〈下〉千種堅訳、集英社、一九八三
戦争文学
→『黄色い鼠』井上ひさし
→『騎兵隊』イサーク・バーベリ
→『虹』ワンダ・ワシレフスカヤ
→『第七の十字架』アンナ・ゼーガース
→『ピンチャー・マーティン』ウィリアム・ゴールディング
→『三等水兵マルチン』タフレール
→『ムーンタイガー』ペネロピ・ライヴリー
→『より大きな希望』イルゼ・アイヒンガー
→『汝、人の子よ』アウグスト・ロア=バストス
→『虚構の楽園』ズオン・トゥー・フォン
→『アリスのような町』ネヴィル・シュート
→『屠殺屋入門』ボリス・ヴィアン
→『審判』バリー・コリンズ
→『裸者と死者』ノーマン・メイラー
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