読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『十二の椅子』イリフ、ペトロフ

Двенадцать стульев(1928)Ильф и Петров

 イリフ、ペトロフは、ロシアのユーモア作家。変な表記で分かるとおり、イリヤ・イリフ(Иья Ильф)とエウゲニー・ペトロフ(Евгений Петров)の共同ペンネームです。
 原書をみると著者名は「Ильф и Петров」「Ильф Петров」「Иья Ильф Евгений Петров」など一定していません。エラリー・クイーンのような合作ペンネームではなく、単に名前をふたつ並べただけなので出版社によってばらつきが出てしまったのでしょう(※1)。
 ふたりの創作方法は、ジャーナリスト出身のペトロフがネタを集め、詩人のイリフが執筆したといわれています。

 彼らの作品としては、『十二の椅子』(写真)と、主人公が共通する『黄金の仔牛』を日本語で読むことができます。
 余程特殊な職業を選ばない限り、この二作以外の作品を無理に求めなくとも、今後の人生で困った局面に遭遇することはないと思われます。ま、そんなこといったら『十二の椅子』も『黄金の仔牛』も日常会話にはまず登場しないでしょうが……。

 ロシア文学というと「暗い」「重い」といった印象を持つ方もいると思いますが、実際は相当ヘンテコなものが多い(こちらを参照)。とはいえ、それらはおかしな効果を狙ったわけではなく、真面目に書かれたのが今読むと笑えるだけです。
 いわゆる本格的なユーモア小説となると、ニコライ・ゴーゴリ、初期のアントン・チェーホフフョードル・ドストエフスキー(※2)らがあげられます。しかし、彼らを「ユーモア小説家」と呼ぶのは、ちと躊躇われる。
 その点、イリフ、ペトロフは正真正銘のユーモア小説家です。革命後のソビエトを諷刺したという側面もありますが、現代の日本の読者ならドタバタ喜劇として肩肘を張らずに楽しめます。
 さらに、ロシア文学のもうひとつの特徴である「長い」は満たしているので、長編好きの方も十分に満足できるでしょう。

 僕は、三度の飯よりユーモア小説が好きなので、二回に分けて『十二の椅子』と『黄金の仔牛』を取り上げることにします。
 まずは、『十二の椅子』のあらすじから。

 登記所に勤めるイポリット・マトベイッチ・ボロビヤニノフは、義母が亡くなる直前、「スタルゴロドの屋敷に革命軍がやってきたとき、ダイヤモンドを椅子に隠した」ことを打ち明けられます。椅子は十二脚あり、そのどれかにダイヤモンドが隠されているのです。
 ボロビヤニノフはスタルゴロドへゆき、トルコ人の血を引く風来坊の策士オスタップ・ベンデルと手を組み、椅子探しを始めます。
 ところが、臨終間際の懺悔を聞き、椅子のことを知ったフョードル・ボストリコフ神父もダイヤモンドを探しにきており、争奪戦が繰り広げられます。

 簡単にいうと、ソ連がネップ(新経済政策)から社会主義体制へ移行する時代の市井の人々の暮らしをユーモラスに描いた作品です。
 どこかのんびりとしている(頭の回転の鈍い)ロシア人のなかへ自由人のベンデルが入り込み、騒動を起こします。バラバラになった椅子を探してスタルゴロドからモスクワ、さらにはロシア各地を移動し、そこで様々な人に会うため、自然と世相がみえてくるのです。

 実際、この小説は、ベンデルの活躍抜きには語れません。
 ベンデルは、ダイヤモンドがみつかった場合、図々しくもその四割を要求しますが、それだけの価値があることをすぐに証明します。防火監督官を騙ったり、未亡人と偽装結婚をしたり、絵も描けないくせに劇団の美術監督になったり、生まれてから二度しかチェスをしたことがないのに名人のふりをして三十人と同時対局したりと目的のためには手段を選ばない有能な詐欺師で、椅子の持ち主が誰であろうと策を弄して、しっかり対応します。

 対照的に、相方のボロビヤニノフはモタモタしており、ほとんど役に立ちません。さらには、年甲斐もなく人妻を好きになり、一晩で二百ルーブル近くも散財してしまうという体たらく。
 そのせいで椅子が入手できなくなるのですが、そこはベンデルがフォローしてくれます。勿論、そのことでボロビヤニノフをいじめて、ちゃっかり分け前を増やしてしまうことも忘れませんが……。

 要するに、ふたりは、古今東西の喜劇における格差・特徴のあるキャラクター、いわゆる凸凹コンビやボケとツッコミに相当するわけです。彼らのやり取りのおかしさは、同時代の実在・架空のコンビ(ジーヴスとバーティーマルクス兄弟、ローレル&ハーディなど)にも引けを取りません。
 ベンデルは「金のためなら何でもやる守銭奴=嫌な奴」と思われるかも知れませんが、グルーチョ・マルクスとは違って癖が強くないせいか、嫌味な印象は受けない。事実、難しい顔をした人々の間を縦横無尽に飛び回る彼の姿に快哉を叫んだロシア人が多かったそうです。

 そうそう、椅子奪取競争のライバルであるフョードル神父はどこへいったかというと……。椅子とは無関係の場所を彷徨っていて、ときどき近況が報告されるものの、メインのストーリーとは切り離されているところが笑えます。
 このタイプのギャグは、繰り返せば繰り返すほど笑いが大きくなります。
 神父は最後になって、ようやくベンデルたちと相まみえますが、悲惨な状態のまま退場させられるのもお約束といった感じです。

 悲惨といえば、ベンデルとボロビヤニノフも喜劇らしからぬ血腥い最後を迎えます。ベンデルの立場が強くなりすぎて、ボロビヤニノフの鬱屈した不満がついに爆発するのです。
 しかし、読者を笑わせることを目的としたのであれば、こうした後味の悪さは不要ではないでしょうか。折角スラップスティックとして高いテンションで走り続けていただけに、この点だけがやや残念です(※3)。

※1:『宇宙船レッド・ドワーフ号』の小説版は四冊出ており、1、2巻はロブ・グラントとダグ・ネイラーの合作なので「Grant Naylor(日本版はグラント・ネイラー)」と表記されている。なお、3巻はネイラーの単著、4巻はグラントの単著だが、残念ながら邦訳は出なかった……。
 ちなみに、ホルヘ・ルイス・ボルヘスとアドルフォ・ビオイ=カサレスは、オノリオ・ブストス=ドメックという合作ペンネームを用いているが、ボルヘスの名がないと売れないせいか、邦訳の際は使われない。『ブストス=ドメックのクロニクル』という書名にもかかわらず使われない。出版社が変われど使われない。

※2:丸谷才一は「彼(ドストエフスキー)の全著作のなかから何か一つと言われれば、たぶん『スチェパンチコヴォ村とその住人』を選ぶことになるのではないかという気がする」と書いている。

※3:ベンデルを生かすか、殺すかは大論争の後、籤引きで決められたらしい。


『世界文学全集 20世紀の文学37』江川卓訳、集英社、一九六六

→『黄金の仔牛』イリフ、ペトロフ