読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ちょっと面白い話』『また・ちょっと面白い話』マーク・トウェイン

Mark Twain

 マーク・トウェインは、小説やルポルタージュのほかに、数多くのアフォリズムや小話を書いたり喋ったり(講演)しています。
『ちょっと面白い話』と『また・ちょっと面白い話』(写真)は、トウェインの著作や、彼について書かれた本から、面白い話を大久保博が拾い集めたものです。
 研究者ならいざ知らず、一般読者にとっては、このような形でまとめてもらえるのは大変ありがたい。トウェインのエッセンスを手軽に味わえるからです。

 僕は、この本が昔から大好きで、今でもときどき取り出しては拾い読みしています。
 心配ごとがあるときや眠れない夜に目を通すと、気持ちが明らかに軽くなります。格言やジョークですから、サクサク読めるのも嬉しい(『また・ちょっと面白い話』の後半は、短編やエッセイ、講演など長めのものが収められている)。

 今回は、感想を書いても仕様がないので、二冊のなかからいくつか抜き出してみます(が『ちょっと面白い話』で、が『また・ちょっと面白い話』)。
 笑えたり、心に響いたりした方は、ぜひ二冊とも揃えてみてください。

 講演をはじめるようになってからまだ間もないころ、マーク・トウェインはある小さな町で講演会をひらくことになり、昼すぎにその町についた。ビラがあまり貼っていないので、町の人たちがその夜講演のあることを知っているかどうか、確かめようとした。そこで食料品雑貨店に入っていって、主人に話しかけた。
「こんにちは、おじさん。今夜なにか催し物があるかね、旅のなぐさみになるような?」
 店のおやじさんは魚を選りわけていたが、腰をのばし、塩水の手をエプロンでふきながら言った。
「どうやら講演があるらしいね。さっきから、いちばん安いタマゴが売れているから」

 ユーモア作家のイーライ・パーキンスはあるとき、真に偉大なウソつきはアメリカには三人しかいない、と言った。
「誰かね?」とマーク・トウェインは尋ねた。
「わたしがその一人だ」とイーライは答えた。「そしてマーク、あんたが、あとの二人だ」

 われわれが注意すべきことは、経験からはその中にある知恵だけを身につけることだ−そしてそこでやめておく、ということだ。さもないと、熱いストーヴのふたに座るネコと同じになってしまう。ネコはそれきり二度と熱いストーヴのふたには座ろうとしない−そしてそれは結構なことだ。しかし、冷たいストーヴのふたにも座ろうとしなくなるのだ。

霊魂の不滅性/それを証明する/ことがらの一つに
数限りない人間が/それを信じてきた/ということがある
しかし彼らはまた/こうも信じていた/地球は平坦だとも

飢えた犬を/拾ってきて/大事にしてやれば
噛みつかれることは/けっしてない
そこがいちばん/違うところだ/犬と人間との

育ちのよさというものは/隠すことにあるのだ
どんなに自分のことを考え/どんなに他人のことを考えないかを

どうしてわたしたちは/人が生まれるときに喜び
死ぬときに悲しむのだろう/その本人ではないからだ


何千という/天才たちが
発見されずに/生き
そして/死んでゆく
 己れ自身に/よっても
 他の人々に/よっても
 発見されずに

水だって/ほどほどに/飲めば
害には/ならぬ

 わたしは、自分が怠け者だとばかり思っていた。ところが、まるでスチーム・エンジンなのだ。コンスタンチノープルの犬に比べたときには。

ハックは六〇歳になって/どこからか戻ってくる/しかも気が狂っている
また子供に帰ったつもりで/絶えずみんなの顔を/じっと見つめ
トムやベッキーたちを/探し求める
 * *
トムもとうとう/六〇歳になって
世界の放浪の旅から/帰ってくる
そして/ハックの世話をしながら/二人で昔の話をする
二人とも見る影もなく/人生は失敗だった
愛すべきもの/美しきもの
みんなみんな/土になってしまった
二人は/そろって
死んで/ゆく


『ちょっと面白い話』大久保博訳、旺文社文庫、一九八〇
『また・ちょっと面白い話』大久保博訳、旺文社文庫、一九八二


→『マーク・トウェインのバーレスク風自叙伝マーク・トウェイン