Mark Twain's (Burlesque) Autobiography and First Romance(1871)Mark Twain
今は亡き旺文社文庫は、一九六五年に誕生し、二十二年間で約千百冊が発行されました。
サンリオ文庫より二か月早い一九八七年六月に廃刊(※1)になったのですが、『マーク・トウェインのバーレスク風自叙伝』は、その最終配本の一冊でした(※2)。
旺文社文庫といえば、小学生のとき、父に古今東西の名作セットを与えられたことを思い出します。子どもにとっては難しい内容の本もあったので夢中で読み耽ったとまではいきませんでしたけれど、それなりに思い入れのある文庫です。
なお、このセットは特装版もあるようなのですが、僕が持っているのは普通の装幀でした。函入りだったかどうかは記憶にありません。
そんな旺文社文庫は、マーク・トウェイン(※3)の作品も多く発行していました。『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』も勿論大好きですが、旺文社文庫といえば、何といっても大久保博編訳の『ちょっと面白い話』と『また・ちょっと面白い話』です。
これはトウェインの毒と笑いに満ちた小話や格言を集めたもので、正に目から鱗の宝庫。大人になった今でも、ときどき引っ張り出してきてはニヤニヤしながら読んでいます。
編訳書なので意外と知られていませんが、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』が好きな方なら、必ずハマると思います。
さて、『マーク・トウェインのバーレスク風自叙伝』はごく短いので、「西部の無法者 ジャック・スレイド」「食欲治療所にて」「秘伝 上手な話し方のコツ」が併録されています。
ただし、今回は、併録の短編には触れません。特につながりはありませんし、ほかの書籍でも読めるものが多いからです(※4)。
「特につながりはない」と書きましたが、実をいうと『マーク・トウェインのバーレスク風自叙伝』自体、ほとんど関連性のない三つのパートから成り立っています。
ひとつめは、自叙伝の部分で、バーレスク風とあるとおり馬鹿馬鹿しいほら話です。
十一世紀まで遡って先祖の武勇伝を綴っているのですが、それらはまるで出鱈目。何しろ、次から次へと犯罪者ばかり現れるんですから、ひどいものです。
例えば、「街道筋で訴訟代理人をしていた(追剝ぎのこと)」とか、「お役人さまたちに体の先だけ持って行かれて、テンプル・バーのえらく高い所に載せられてしまった(さらし首になった)」とか、「ある契約を結ぶことになり、石を砕いて道路に敷く仕事をやり始めた(道路工事の刑を受けた)」なんて具合。
しまいには別名の方が知られているといって、ガイ・フォークスやキャプテン・キッドやネブカドザルまで先祖の列に加えてしまいます。
自叙伝といいつつ、自分のことにほとんど触れないのは、話がひたすら横滑りする「頭突き羊の物語」や、別人の話にすり変わってしまう「ジム・スマイリーの跳び蛙」などでみられるトウェインの得意技です。
難しいことを考えず、ゲラゲラ笑いながら読めばよろしいかと思います。
ふたつめは、「恐ろしき、悲惨きわまる中世のロマンス」(A Medieval Romance)です。これは独立した短編として『マーク・トウェイン短編全集〈上〉』や『謎の物語』にも収録されています。
リドルストーリーの古典ですから、ミステリーファンなら知らない人はいないでしょう。
リドルストーリーとは、謎が提示されるものの、明確な回答がないまま物語が閉じられるタイプのものを指します。フランク・R・ストックトンの「女か虎か」The Lady, or the Tiger?(1882)や、クリーヴランド・モフェットの「謎のカード」The Mysterious Card(1895)が有名です。
とはいえ、「謎のカード」は、謎自体が荒唐無稽すぎるので、個人的にはリドルストーリーの範疇には入れたくない……。単にオチを考えていない不条理ものという気がします。
さて、「恐ろしき、悲惨きわまる中世のロマンス」のあらすじは、以下のとおりです。
十三世紀のドイツ。クールゲンシュタイン男爵は、娘のコンラットを男と偽って育てました。というのも、兄のブランデンブルグ公爵には娘(コンスタンス)しかいないため、このままいけばコンラットが後継になれるからです。
コンラットは立派に成長し、やがてブランデンブルグ公に代わって国事を取り仕切るようになりました。しかし、よいことばかりではなく、コンラットはコンスタンスに惚れられてしまいます。勿論、コンラットは秘密を打ち明けることができず、コンスタンスに冷たく接します。
月日は流れ、クールゲンシュタインの謀略でコンスタンスは妊娠してしまいます。姫が神聖な結婚によらない子を儲けた場合、死刑になるという決まりがあるため、コンラットの地位はこれで安泰です。
ところが、コンラットが玉座から判決を下そうとしたとき、コンスタンスは何と「父親はあなたです!」と叫んだのです。
戴冠式の済んでいない女性が玉座に座れば死刑という法律があるため、コンラットは自分が女であることを明かせません。しかし、子の父親であることにされてしまえば、やはり死刑になってしまいます……。
物語はここで唐突に終わり、トウェインは「実は、わたしはこの物語の主人公を(つまり女主人公を)殊のほか厳しい窮地に置いてしまったので、一体どのようにすれば彼を(つまり彼女を)そこから救い出せるか判らないのだ」として手を引いてしまうのです。
クールゲンシュタインの命令でコンスタンスを孕ませた伯爵を連れてきて、「俺が本当の父親だ」と告白させれば丸く収まる気がしますけど、このオチでは小説として全く面白くありません。いや、どんな結末を用意しようと取ってつけたようになってしまうのは否めないでしょう。
深みを増すため、敢えて未完のままにしたトウェインは、さすが抜群のセンスの持ち主です(最後に蛇足ともいうべき原稿料の話がついているのはご愛嬌)。
興味がある方は、どのような解決が最もしっくりくるか、ぜひ考えてみてください。
なお、「解説」のなかで、未完の草稿である「ナンシーとケイトの女性同士の結婚」(How Nancy Jackson Married Kate Wilson)(実際は無題)の梗概が紹介されています。
こちらも、男のふりをして女性と結婚する女、結末の謎など「恐ろしき、悲惨きわまる中世のロマンス」と共通点がありますので、合わせて読むとより楽しめると思います。
三つめは、ヘンリー・ルイス・スティーヴンズがトウェインの指示どおりに描いた十二枚の諷刺漫画(写真)です。
これはマザーグースの「ジャックの建てた家」のパロディで、エリー戦争(エリー鉄道の支配権を巡る争い)、そしてブラックフライデー(クリスマスセールではなく、一八六九年に起きた恐慌を指す)の首謀者たちを茶化しています。といっても、ほとんどの人は意味が分からないでしょう。
事件の概要や腐敗した政財界の大物については、巻末の解説で二十頁以上使って丁寧に説明してくれていますので、まずはそちらに目を通すことをお勧めします。
さて、この三つがセットになっている理由ですが、喜劇、悲劇、諷刺のバランスを考えたというより、単に、短いものを寄せ集めて本にしてしまったという印象を受けました。当時の読者は、雑誌のような感覚で楽しめたのかなと思います。
※1:正確には、一九九〇年まで「必読名作シリーズ」というのが刊行されていた。
※2:この本、正式な書名が少々分かりづらい。カバーは『マーク・トウェインのバーレスク風自叙伝』、背は『バーレスク風自叙伝』、扉は『マーク・トウェインの(バーレスク風)自叙伝』、目次は『マーク・トウェインの(バーレスク風)自叙伝、および最初のロマンス』と表記の仕方が四種類もある。
※3:以前も書いたが、アメリカの作家ではトウェインが最も好き。「たったひとりの作家の本しか無人島に持ってゆけない」となったら、トウェインか、ジョイスか、大デュマで悩むような気がする……。
※4:「食欲治療所にて」は、ほかに和訳がないかも。トウェインの短編、エッセイ、格言、スピーチ、ジョークなどはとにかく数が多いため、研究者でもない僕には全貌を把握できない。仕方がないので、短編集が発行されると重複を気にせず取り敢えず購入することにしている。
『マーク・トウェインのバーレスク風自叙伝』大久保博訳、旺文社文庫、一九八七
→『ちょっと面白い話』『また・ちょっと面白い話』マーク・トウェイン