Topper(1926)Thorne Smith
筑摩書房の「世界ユーモア文学全集」は十五巻+別冊三で刊行されました。それを十冊に編み直して、新装したのが「世界ユーモア文庫」(写真)です(文庫といっても、サイズは四六判)。
この巻を購入したのは勿論、P・G・ウッドハウス(※1)が目的でしたが、抱き合わせの『トッパー氏の冒険』がちょっとした掘り出しものでした。
「トッパー」シリーズはソーン・スミスの代表作で、一九三二年には『Topper Takes a Trip』という続編が書かれています。
映画も『天国漫歩』『Topper Takes a Trip』『彼女はゴースト』の三作が作られました。トッパー役はスミスの友だちというローランド・ヤングですが、主役はカービー夫妻を演じたケイリー・グラントとコンスタンス・ベネットだそうです。
映画はみていないものの、どういうことなのかは原作を読めば分かります。
中年の銀行員コスモ・トッパー(※2)は、妻と猫のスカラップスと暮らしています。彼は長年、銀行と家をひたすら往復するだけの真面目人間でした。
ある日、自動車販売店の前を通ると、三か月前に遊び好きの若夫婦の命を奪った車が修理を済ませ販売されていました。ちょっとした冒険心からその車を購入したトッパーの前に、ジョージとマリオンのカービー夫妻の霊が現れます。
最初は能天気な夫妻の存在を迷惑に感じるトッパーですが、妻に冷たくされ、自分を構ってくれる彼らが恋しくなります。カービー夫妻と意気投合したトッパーは、年甲斐もなく廃屋に侵入してダンスを踊ったり、喧嘩をして留置場に放り込まれたりするものの、気分は今までになく爽快です。
やがて、トッパーは、カービーと喧嘩をしたマリオンと旅に出る(マリオンが勝手についてくる)のですが……。
カービー夫妻の幽霊は、オバケのQ太郎と似ています。消えたり現れたりできて、消えたままでも会話が可能です。また、普通の人間と同じように自動車を運転したり、お酒を飲んだりすることもできます。
そういう意味では、作者の都合に合わせて何でもできるエブリデイマジックに分類されるでしょう。
実際、『トッパー氏の冒険』は大人版の藤子・F・不二雄漫画といってもよいくらいです。
朴念仁のトッパーにとって、自由奔放な若夫婦は退屈な日常から逸脱させてくれる、正に夢のような存在。彼と同様、平凡な人生を送る多くの人は、自分を変えてくれるかも知れない異人を待ち焦がれているのではないでしょうか。
百年近く前の小説ですから、霊が巻き起こす騒動は正直いって大したことはありません。ソーダ水が空になったり、ズロースが宙に浮いたりするのをみて人々が吃驚するなんて、子ども向けの漫画でも最早あり得ないでしょう。
それでも続きを読みたくなってしまうのは、カービー夫妻の幽霊がどこか懐かしく、親しみを感じさせるからです。昔から夢に描いていた、迷惑だけど憎めない異形の者に出会えたような安心感があるのです。
勿論、当時、この小説が受けたのは、懐古趣味とは無関係です。
重工業が発展し、消費が拡大し、モータリゼーションが起こり、ジャズやダンスが花開いた一九二〇年代のアメリカは、真面目一筋の男が日常を捨てて冒険やロマンスに走りたくなるくらい浮足立っていたのかも知れません。
時代の話になると、どうしても『トッパー氏の冒険』の前年に出版されたF・スコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』を連想せずにはいられません。
自動車事故、夫妻との三角関係、連夜のパーティといった共通点があり、ひょっとするとスミスは、スコットとゼルダをモデルにカービー夫妻を生み出したのかしらん、と考えてしまいます。であるなら、トッパーは当然、ジェイ・ギャツビー……は、さすがにいいすぎですが、そうなりたいと感じていた平凡な男どもの代表という気がします。
トッパーは、本人が望んだわけではないにしろ、マリオンとふたりきりで旅行をします。途中で他の幽霊が加わるため、いや、そもそも幽霊と人間なので男女の関係にはなりませんが、ジョージの怒りを買い決闘を申し込まれます(銃ではなく、ハマグリの投げ合い)。
ギャツビーとは違い、トッパーはあの世にゆかずに済みましたが、反対にカービー夫妻たち幽霊が昇華することになります。
それは正に「9時カエル」のような寂しさですが、トッパーにとっての救いは、以前とは違う自分になれたことでしょう。心持ちが変わったことで、窮屈だと感じていた世界も案外悪くないことに気づくのです。
続編の『Topper Takes a Trip』では、再びカービー夫妻が現世に姿を現すそうです。無理だとは思いますが、どこかで翻訳・出版してもらえないでしょうかね。
※1:この本でしか読めないウッドハウスの短編は「厳格主義者(やかましや)の肖像」一編のみ。勿論、ファンなら入手すべし。
※2:裏表紙のあらすじには「初老の銀行員」と書かれている。本来「初老」は四十歳を指し、トッパーの年齢は四十手前なので正しい記述だが、「初老」というと六十歳くらいと考える人が多い現代では誤解を生み兼ねない。
『マリナー氏ご紹介/トッパー氏の冒険』世界ユーモア文庫9、井上一夫訳、筑摩書房、一九七八
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