読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『最後の晩餐の作り方』ジョン・ランチェスター

The Debt to Pleasure(1996)John Lanchester

 英国の新聞「オブザーバー」でレストラン批評などの記事を書いていたジョン・ランチェスターの処女長編が『最後の晩餐の作り方』(写真)です。
 社会経験が豊富な新人作家の処女作は、内容よりも技巧で勝負するものが多いのですが、これもその例に漏れません。
 テクニック重視は僕の好物にも合致するので、舌舐めずりしながら手を出すことになるわけです。

 実際、『最後の晩餐の作り方』ほど「舌舐めずり」という表現がぴったりくる作品はないかも知れません。何しろ目次からして料理名になっていて、季節ごとのお勧め料理、調理法、薀蓄などがひたすら語られるからです。
 勿論、それだけだと美食エッセイになってしまいますが、心配は不要です。ミステリーとして、とんでもない仕掛けが用意されていますので……。

 といいつつ、料理や文化の薀蓄部分が圧倒的に多いのも確かです。僕は料理にさほど興味はありませんが、トリビア好きなので主人公のユーモラスかつ胡散臭い語り口も含めて楽しむことができました。
 一方、ミステリーを期待する方にとっては「早く本題に入れ」とイライラしてしまうかも知れません。が、そう思った時点で作者の術中に嵌っているのです。

 主人公のタークィン・ウィノットは、英国人なのにフランスかぶれの美食家で、博識な快楽主義者。そして、典型的な「信頼できない語り手」です。
 最初のうちは、料理の話題に生い立ちや家族の話を交える程度でしたが、徐々に語り手のサイコパスぶりが明らかになってゆきます。

 例を上げると、
・女中がイヤリングを盗んだと疑われ自殺したが、それを女中の部屋に隠したのはタークィンだった。
・兄バーソロミューのハムスターを猫いらずで毒殺する。
・兄を桃の種から作ったジャム(シアン化合物)で殺しそうになる。
・隣人のウィロビー夫人が狩猟をしていた兄弟に撃たれて死ぬが、タークィンはフランス語の苦手な夫人にフランス語で注意していた。
・コックが目の前で地下鉄にはねられたが、タークィンが背中を押したという証言があった。
・フランス人の家庭教師は蜂に刺されたが、注射器からはなぜか解毒剤が抜かれていた。
・両親は田舎のコテージのガス爆発で亡くなっているが、タークィンは合鍵を持っていて自由に出入りできた。
・バーソロミューは毒キノコを食べて亡くなったが、タークィンはキノコの知識が豊富……といった具合。

 それら過去のできごとをさり気なく告白するとともに、タークィンは現在進行形で、ある新婚夫婦の跡をつけています。車に盗聴器を仕掛け、執拗に追いかける目的は……。
 この先は、実際にお読みになった方がよいでしょう。

 とはいえ、殺人の動機に関して納得がゆかない方もいるかも知れませんので、少しだけ触れておきます。
 タークィンは常軌を逸した殺人鬼ですが、彼の考えは十分に理解できます。また、この動機があってこそ彼の饒舌に意味が生まれ、小説としても見事な仕上がりをみせているのです。
 タークィンに誤算があったとしたら、殺人は芸術に勝ると主張しつつ、それを語り尽くすことが一個の芸術になってしまう(この小説そのもの)という自家撞着に陥ったことでしょうか。
 勿論、これもランチェスターの綿密な計算に違いないところが巧みすぎて憎たらしいのですけれど……。

『最後の晩餐の作り方』小梨直訳、新潮文庫、二〇〇六

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