読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ヴァテック』ウィリアム・ベックフォード

Vathek(1786)William Beckford

 ウィリアム・ベックフォードの『ヴァテック』には、様々な翻訳本があります。
 古くは春陽堂の世界名作文庫が矢野目源一訳で刊行し、後に生田耕作の補訳で奢灞都館からも出版されています。ほかにも、小川和夫による『異端者ヴァセック』、角川文庫の『呪の王 −バテク王物語』などがあります。

 ただし、それらはすべて「正篇」のみの翻訳です。
 ベックフォードは正篇のほかに「挿話篇」を二編書いており、それが収録されているのはホルヘ・ルイス・ボルヘスが編纂した「バベルの図書館」の旧版(写真)だけです。この叢書は現在、三十巻を六巻に再編した「新編」が書店に並んでいますが、新編には正篇しか収録されていないのでご注意ください(※)。

千夜一夜物語』に譬えると、正篇はシャハリヤールやシェヘラザードの枠物語に当たり、挿話篇はシェヘラザードの語る物語に当たります。
 ベックフォードはそれらをまとめて一冊の本にする構想を抱いていましたが、フランス以外の国では基本的に別々に出版されているそうです(「バベルの図書館」の原本であるイタリア語版にも挿話篇は収められていない)。

「『千夜一夜物語』に比べると挿話の数が少なすぎるな」と感じると思いますが、ベックフォードは『ヴァテック』刊行後も挿話篇を書き続けていました。しかし、執筆後や執筆途中に破棄されたり、構想段階で止まったりしてしまったそうです。
 正篇で言及される挿話は三編ですが、三つ目の「カリーラー王子とズルカイース王女の物語」は発端の部分しか残っていません。挿話がもっと書かれれば、正篇のこの部分は変更された可能性があります。

 ちなみに、『ヴァテック』はフランス語で書かれました(そのため、ヴァテックと表記される。英語であればヴァセック)。
 ほかの文章は英語(一部イタリア語)で書いたベックフォードは、なぜこの作品だけフランス語を用いたのでしょうか。英国との関係が良好ではなかったなど推測は様々ありますが、本当のところは分かりません。

正篇
ヴァテック」Vathek

 アッバース朝第九代カリフのヴァテック(在位八四二−八四七)は、ハールーン・アル=ラシードの孫です。学問を積んだヴァテックは占星術の奥義に通じたと信じ込み、首都サーマッラーに高い塔を建てます。そこで星辰を解読すると、未知の国から男がやってきて不可思議なできごとを予告することが分かります。
 やがて、サーマッラーに恐ろしい行相のインド人の商人が現れます。ヴァテックは商人から見知らぬ文字の刻まれた剣を買いますが、商人が一言も喋らないため、怒って牢に入れてしまいます。その後、商人は牢から逃げ出し、ヴァテックは異常な喉の渇きを覚えます。商人を探し出すと、彼は赤い液体を差し出します。それを飲んだヴァテックの喉の渇きは治ります。
 さらに商人は、ヴァテックがイスラム教を捨て、五十人の子どもの血を差し出せば、地下にある火の宮殿の門を開くことを約束します。そこには不思議な財宝があり、ヴァテックに売った剣もそこから持ってきたといいます。
 壮麗な大行列を率いて旅に出たヴァテックは、太守ファクレッディーンの館で娘ヌロニハールを花嫁にし、飲めや歌えやの大騒ぎをしています。それを知った太后カラティスは、息子を火の宮殿に向かわせようとするのですが……。

 ボルヘスは序文で、こう書いています。
[セインツベリとアンドルー・ラングは、火の地下宮殿を創案したところにベックフォードの最大の栄光があると断言、もしくは示唆している。私に言わせれば、それは文学に現われた最初の真に恐ろしい地獄なのである。あえて逆説を弄せば、文学に現われた地獄のうち最も有名な、『神曲』の「悲哀の王国」(dolente regno)は、決して恐ろしい場所ではなく、そこにおいて恐ろしいことが起こる場所であると言ってよい]。

 火の宮殿に辿り着くのはラスト二十頁ほどになったときです。そこから真の地獄が描写されます。やはり終盤に怒涛の如く怪物が現れるギュスターヴ・フローベールの『聖アントワヌの誘惑』は、ひょっとするとこの小説を手本にしたのかも知れません。
 悪行非道の限りを尽くしたカリフ、それに輪をかけて欲深く残忍な太后、婚約者のグルチェンルーツを捨てヴァテックと結婚した娘。彼ら三人は貪欲、残虐、虚栄に取り憑かれました。しかし、最も罪深きは無知であるべき人間が知識を求め、神に近づこうとしたことです。
 物語における地獄には何らかの救済措置が設けられていることが多い(『神曲』然り、リチャード・マシスンの『奇蹟の輝き』然り、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」然り)のですが、火の宮殿に慈悲は一切ありません。辿り着いた時点で絶望しか用意されていないのですから、正に文学史上最も恐ろしい場所といえるでしょう。
 一方、ヌロニハールを失ったグルチェンルーツは一生幸福に暮らします。その対比も鮮やかです。

 なお、挿話篇は、火の宮殿で出会った四人の王子とひとりの王女が、ここへきた経緯を物語る形式となります。しかし、前述のとおり、第三話は最後まで書かれませんでした。

挿話篇
アラーシー王子とフィルーズカー王女の物語」Histoire du prince Alasi et de la princesse Firouzkah

 ホラズムの王子アラーシーは二十歳のとき、父を亡くし王となります。
 ある日、父と親しいシルヴァーンの王が家臣に反乱を起こされ、そこにヴァテックの軍勢が加勢したため、ひとり息子のフィルーズ王子をアラーシーに託してきました。アラーシーはフィルーズが敵の手に落ちないよう、自分の息子として育てることにします。
 しかし、フィルーズは意地が悪く残忍な性格で、アラーシーに仕える高僧を勝手に殺してしまったりします。さらに、アラーシーと婚約しているギーラーンのロンダーバー王女を魔術で罠にかけ、ホラズムとギーラーンに戦争を齎します。
 その戦争で負傷したフィルーズを看病しているとき、盛り上がった乳房がみえてしまいます。国民が男児を望んだため男のふりをしていましたが、フィルーズは王女フィルーズカーだったのです。
 そして、アラーシーは王女の勧めに従い、火の宮殿にゆくためイスラム教を捨て、国家の宗教としてゾロアスター教を定めます。

 正篇では「アラーシーとフィルーの物語」のタイトルでした。ふたりの王子が登場しましたが、これはヴァテックが男装している王女を男だと見誤ったと説明されます。
 けれど、フィルーズカーが男だろうと女だろうと全く違いはありません。フィルーズカーの魔力は性別を超越しており、アラーシーは初対面のとき既に虜になっていたのですから……。

 血に飢えたフィルーズカーを処刑できなかったことがアラーシーの罪であり、罰を受けるのは当然といえます。
 しかし、アラーシーとフィルーズカーの最大の悲劇とは、火の宮殿において「互いに憎み合わなければ」ならないことかも知れません。

ルキアローフ王子の物語」Histoire du prince Barkiarokh
 漁師の三男バルキアローフは、父親から箪笥の鍵を譲られるのを兄弟と競っていました。兄たちは絶世の美女を娶りますが、バルキアローフは堅実なホマユーナー(実は「妖精」)を妻にします。
 彼女のお陰で箪笥の鍵を手に入れたバルキアローフでしたが、なかに入っていたのは鉛の指輪でした。しかし、その指輪をすると姿を消すことができ、その力でバルキアローフはダゲスターンの王女ガザヒーデと結婚し、王子となります。
 その後、バルキアローフは王を殺害し、それがバレて袋叩きにあいそうになりますが、ホマユーナーに救われ、王として君臨します。けれど、ガザヒーデはバルキアローフを嫌い、自ら命を絶ちます……。

 ほかの二編と異なり、バルキアローフの物語のなかに、三人の作中人物の挿話が入るという三重の入れ子構造になっています。
 特に、ホマユーナーの話はボリュームが多く、内容的には枠組みと見事な対照を成します。

 ホマユーナーの話は、妖精の杖、姿がみえなくなる指輪といったメルヘンチックな道具立てを用い、お伽噺のような展開をみせます。
 一方、バルキアローフの物語、特に彼が権力を得てからは、兄たちに父親を殺させたり、兄や義姉を殺害したり、実の娘を犯そうとしたりと人間の邪悪な面がこれでもかというくらい強調されます。
 当然ながら、バルキアローフも火の宮殿へと案内されます。

 このように、火の宮殿は究極の悪人が集まる梁山泊といえます。彼らがここへやってくるに至った経緯を描いた挿話篇があってこそ、物語に厚みが出るのです。
 というわけで、それらを読むことができる「バベルの図書館」(旧版)をぜひ手に入れていただきたいと思います。

※:新編には、旧版に挟み込まれていた月報もない。その代わり、全巻購読者は月報をまとめた冊子『バベルの図書館を読む』がもらえた。

『ヴァテック』バベルの図書館23、私市保彦訳、国書刊行会、一九九〇

千夜一夜物語』関連
→『エバ・ルーナ』『エバ・ルーナのお話イサベル・アジェンデ
→『夜物語パウル・ビーヘル
→『シェヘラザードの憂愁』ナギーブ・マフフーズ
→『船乗りサムボディ最後の船旅ジョン・バース
→『シンドバッドの海へ』ティム・セヴェリン
→『サラゴサ手稿』ヤン・ポトツキ
→『アラビアン・ナイトメア』ロバート・アーウィン
→『宰相の二番目の娘』ロバート・F・ヤング
→『アラビアン・ナイトのチェスミステリー』レイモンド・スマリヤン

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