読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『船乗りサムボディ最後の船旅』ジョン・バース

The Last Voyage of Somebody the Sailor(1991)John Barth

 ジョン・バースは、一流のストーリーテラーで、ボリュームたっぷりの長編が多いため、一度その世界に入り込むと長く楽しめ、読後もしばらく尾を引きます。一方で、前衛的な技法を用いるため、読者を選ぶ作家でもあります。
 そのせいか、大学生の頃は「バースを読んでいる俺って格好いい」と勘違いして、これ見よがしに持ち歩いたりしていましたっけ。

 それから月日が流れ、翻訳されたバースの単行本は、二〇〇三年の『ストーリーを続けよう』(短編集)が最後となっています。このブログで『びっくりハウスの迷子』の感想を書いたのも既に十年以上前のこと。二十一世紀になって書かれた作品は、当然ながら一冊も訳されていません。
 トマス・ピンチョンの長編は、最新作を除いてすべて翻訳されていることを思うと、堪らなく寂しい気持ちになります。

 恐らく、バースは日本での売れゆきが芳しくないのでしょう。
 意図を疑うような悪ふざけがときどきあること、場合によってはうんざりするくらい饒舌であること、テーマや素材に新鮮味がなく同じことをしつこく繰り返していることなどが真面目な読者に敬遠される理由かも知れません。

 そう、『船乗りサムボディ最後の船旅』(写真)は、またしても『千夜一夜物語』とシェヘラザードに材を取っています。
 バースのシェヘラザード好きは有名で、小説やエッセイで何度も取り上げ、しまいには奥さんにまで怒られたというのは有名な話です(ホルヘ・ルイス・ボルヘスも『千夜一夜物語』に関する短編が多いが)。
『船乗りサムボディ最後の船旅』には、ほかにも「メリーランドまたはチェサピーク湾」「双子」「クルーズ」「歴史や人口に膾炙した物語の再構築」といったお馴染みの材料が仕込んであります。
 尤も、バースのほとんどの本が絶版の今、マンネリと感じるケースは少ないかも知れません。特に『千夜一夜物語』がお好きな方なら、文句なく楽しめる作品ですので、強烈にお勧めします。

『船乗りサムボディ最後の船旅』は、『千夜一夜物語』のなかの「海の(船乗り)シンドバッドと陸の(荷担ぎ)シンドバッド」を元にしています。
 このなかで、海のシンドバッドは七回の航海を経験するのですが、七回目は版によって内容が異なっており(※1)、バースはこれをシンドバッドではなく、サムボディ(何者か)が代わって冒険に出たと考えたのです。

 ちなみに、シンドバッドの七回目の航海の違いは、以下のとおり。
 カルカッタ版は、引退したシンドバッドが教主ハロウン・アルラシードの頼みで仕方なくセレンディブ王に贈りものを届けることになります。その帰り、人攫いに遭い、分限者(資産家のこと)に売られてしまいます。シンドバッドは主人のいいつけに従い、毎日一頭ずつ弓矢で象を仕留めていました。ある日、象の逆襲に遭い、象の墓場に捨てられてしまいますが、そこには大量の象牙があり、それを主人に伝えたシンドバッドは褒美として自由の身になり、バグダッドに帰ることができました。
 マルドリュス版は、贈りものを届けるところまではカルカッタ版と同じで、帰り道、巨大な魚に襲われ、無人島に流されます。島で筏を作り、命からがら陸地に辿り着きます。そこで裕福な老人に助けられ、彼の娘と結婚し、老人の死後は財産や権力を相続します。ある日、シンドバッドは鳥人間に乗って冒険をします。その後、財産を売り払い、妻とともに二十七年ぶりにバグダッドへ戻ります。
 バートン版は、贈りものの件はなく、自ら進んで航海に出ます。その先は、マルドリュス版とほぼ同じです。

『船乗りサムボディ最後の船旅』は七回目の冒険のみならず、さらに設定を変更します。
千夜一夜物語』では海のシンドバッドが七回の航海を終えた後、荷担ぎシンドバッドを屋敷に招き入れ、七回の冒険談を語り聞かせました。
 しかし、『船乗りサムボディ最後の船旅』は六回目の航海の後、海のシンドバッドの冒険と、サムボディの冒険が交互に語られます(六回ずつ計十二回)。
 海のシンドバッドの冒険は原典を尊重しています。あらすじが語られるだけだったり、ときには本家より詳しく語られたりします。いずれにせよ、原典を読んでいなくても、問題は全くありません。

 こう書くと『千夜一夜物語』の単純なパロディと思われるかも知れませんが、バースがそんなまともなものを書くはずはない。
 何と、サムボディは中世ペルシャ(八世紀頃)の人間ではなく、二十世紀のアメリカに生まれた中年のルポライター、サイモン・ウィリアム・ベーラーなのです。

 そのため、サムボディの冒険とは現代人の体験(バース自身の体験も反映されている?)になります。一回目が七歳の誕生日に憧れていた飛行機に乗ったこと、二回目が十四歳の誕生日に初体験をしたことと、兄が太平洋戦争で行方不明になったこと。三回目の冒険は二十一歳の誕生日……と思いきや、いきなり倍の四十二歳に飛びます(航海と呼べるのはここから)。
 さらに、四回目の冒険でベーラーは五十歳となり、ティム・セヴェリンの『シンドバッドの海へ』の真似をして航海に出たところ、海に落ちた愛人を助けようとして溺れ、中世ペルシャへタイムスリップします。
 そして、六回目の冒険の後、シンドバッドの下に辿り着き、ここでようやく物語は冒頭へ回帰するのです。

 ベーラーの回想の合間に挟み込まれる「幕間狂言」は、シンドバッドたちが暮らす世界を舞台としています。
 文芸評論家の間では、ベーラーの現代における体験は秀逸で、幕間狂言はおまけみたいなものと評価されているようですが、『千夜一夜物語』が大好きな僕にとっては、こちらこそがメインストリートです。
 シンドバッドの娘ヤスミーン(※2)の乳母であるジャイダーが、シンドバッドの航海と航海の合間を埋める裏話を披露し、それによって本家の物語に深みが加わります。
 また、ベーラーの五回目の冒険以降、舞台は完全に中世ペルシャとなります。彼が海賊サヒーム・アルライルに拉致されたヤスミーンと出会い、それまで説明されていなかったできごとや人物が綺麗につながる場面(サヒームの正体、ヤスミーンの貞操、シンドバッドの体験談が偽りだったこと、二人組の乞食の正体、セイコーの腕時計の所在などが明らかになる)は正に圧巻です。

 さて、肝腎のシェヘラザードはどこに登場するかというと、『千夜一夜物語』同様、枠物語に現れます。いわばメタフィクションの構造を説明する役割が彼女には与えられているのです。
 シェヘラザードが死ぬに当たって「歓楽の破壊者(死)」に今まで誰にも話したことのないヴァージンストーリーを披露する必要が生じます。そこで蔵出ししたのが『船乗りサムボディ最後の船旅』でした。
 要するに、虚構のなかの存在であるベーラーが『千夜一夜物語』の世界にゆき、そこからひとつ上位のシェヘラザードに自らの物語を聞かせたことになるわけです。
 ただし、ベーラーは現在、精神病院に入院しており、医者相手に上記の話をしているため、どこからが虚構なのか定かではありません。

 それにしても、ベーラーとは果たして何者なのでしょうか。
 まず押さえておかなければならないのは、陸のシンドバッドの存在です。「海のシンドバッドと陸のシンドバッド」において、陸のシンドバッドの存在は長く軽んじられてきました。タイトルに名があがっているにもかかわらず、誰もが彼をほとんど必要のない人物と考えてきたのです。
 けれども、陸のシンドバッドは、単に「主人公と同じ名を持つ話の聞き役」ではありません。
 非現実的な冒険を繰り返す海のシンドバッドに対して、陸のシンドバッドは日常の生活を象徴する存在です。そのふたり揃ってこそ、シンドバッドという一廉の人物が形成されるのです。

 他方、ベーラーは、アイデンティティの不確かな「漂流中」の人物として描かれ、名前も様々に呼ばれます(ペンネーム、渾名、略称、アラビア語風の呼び名など)。
 現実の世界では、家族がバラバラになり、愛人にも死なれ、やっとみつけた居場所は精神病院という寂しい人生を送る。つまり、シンドバッドとは逆に、成功とはほど遠い人物といえます。

 しかし、『船乗りサムボディ最後の船旅』という虚構内では「何者でもない」ベーラーこそが「重要人物」です(英語のSomebodyには「重要人物」という意味もある)。
 控えめな陸のシンドバッドと異なり、存在を強烈に主張します。五十歳のダメ人間の癖に、シンドバッドやハロウンに認められ、多くの人に慕われ、ヤスミーンに愛され、莫大な財産を得るなんて、束の間の夢とはいえできすぎじゃないでしょうか。
 まあ、それらは自分の想像した世界ですから当然といえば当然なのですが、現実の世界にいるときよりも生き生きとしていて何とも楽しそうです。

 異世界へ逃避するのは、若者の特権ではありません。
 自分の物語のなかでさえ主役になれず、「どこかの誰か」のまま死んでゆく僕らおっさんだって虚構の世界で羽を広げたい。たとえ、精神に異常をきたすことになろうと、どっぷり浸かってしまいたい。
 そう考えるくたびれた凡人は、否が応でもベーラーに感情移入してしまいます。
 彼ほどの冒険は無理だとしても、せめて夢でシェヘラザードに会えたら嬉しいのですが……。

※1:六回目の後半にも違いがある。

※2:ヤスミーン(Yasmīn)は原典には登場しない人物。英語で書くとJasmine(ジャスミン)となる。『船乗りサムボディ最後の船旅』が刊行された翌年に公開されたディズニーの長編アニメーション『アラジン』のヒロインがジャスミンに変更になった(原典ではバドルール・ブドゥール)のはこの小説の影響ではないかと訳者の志村正雄は書いているが、実際はマルドリュス版『千夜一夜物語』の掉尾を飾る「ジャスミン王子とアーモンド姫の優しい物語」からとったらしい。


『船乗りサムボディ最後の船旅』〈上〉〈下〉志村正雄訳、講談社、一九九五

→『びっくりハウスの迷子ジョン・バース

千夜一夜物語』関連
→『エバ・ルーナ』『エバ・ルーナのお話イサベル・アジェンデ
→『夜物語パウル・ビーヘル
→『シェヘラザードの憂愁』ナギーブ・マフフーズ
→『シンドバッドの海へ』ティム・セヴェリン
→『アラビアン・ナイトメア』ロバート・アーウィン