The Sindbad Voyage(1983)Tim Severin
ジョン・バースの『船乗りサムボディ最後の船旅』の主人公サイモン・ウィリアム・ベーラーは、船に同乗させて欲しいとティム・セヴェリンに交渉するものの断られ、やむなく自ら船を出すことになります。その結果、『千夜一夜物語』の世界にタイムスリップしてしまうわけです。
何を隠そう、その断られた航海こそが『シンドバッドの海へ』(写真)なのです。
勿論、バースはこの本を読んで、自分のフィクションに取り込んだのでしょう。
セヴェリンは、トール・ヘイエルダール同様、実験航海(バイクもある)をして、それを書籍や映像にまとめるタイプの作家です。ヘイエルダールと異なるのは、伝説や文学といった虚構の冒険を実際にやってみるところでしょうか。
これまで、ホメロスの『オデュッセイア』、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』などを題材にしています(それぞれ『The Ulysses Voyage』『Seeking Robinson Crusoe』『In Search of Moby-Dick』)。
『ブレンダン航海記』で、六世紀にアイルランドの修道僧が大西洋を渡って新大陸に辿り着いたという伝説を検証したセヴェリンは、次にアラブの船乗りに注目しました。
砂漠の民と思われていたアラブ人は、実は優れた船乗りで、七世紀にはインド洋に広大な貿易ネットワークを形成していました。『千夜一夜物語』の「海の(船乗り)シンドバッドと陸の(荷担ぎ)シンドバッド」も、そうした船乗りたちから聞いた話を元に創作されたとセヴェリンは推理します。
そこで彼は、当時の船を再現し、マスカット(オマーン)から広東(※1)への実験航海に乗り出します(航海は一九八〇年十一月から一九八一年七月)。
航海にあたっては当然ながら様々な障害が立ち塞がります。マスカット・オマーン時代、世界から孤立していたオマーンに入国するのにも一苦労ですし、限られた時間内に航海の準備をするのも大変です。
なかでも最も困難だったのは、シンドバッド時代の船を再現することです。
ダウと呼ばれるアラブ帆船は釘を一本も使わない縫合船であり、木材の供給源のインドではその多くが輸出禁止で、さらに丈夫な椰子縄をも入手しなければなりません。それらの問題をセヴェリンはひとつひとつ根気よく克服してゆきます。
オマーンやインドで、ずる賢い商人とやり取りする際も、その性格故かピリピリした雰囲気はなく、何となく呑気に構えているため、読んでいるこちらも楽しくなってきます。
この「楽しそう」というのがセヴェリンの特徴です。海洋ノンフィクションというジャンルのなかでも、いわゆる「漂流記」と異なり生死の境に立っていないせいでしょうが、個人的にはこちら(科学的な実験航海)の方が好みです。
ソハール号という船の建造中も、航海に出てからもトーンは終始明るく、インチキをしたり、怠けたりする者を叱るときでも小さな子どもを相手にしているような余裕があります。
勤勉で優秀な仲間もいますが、読んでいて面白いのはどうしようもなく駄目な人間です。例えば、コックとして乗り込んだ老人は、味のないカレーしか作れないし、鍋にタバコの灰を落としたり、鍋で足を洗ったりして、ほかのクルーから非難されますが、セヴェリンは悠揚としています(後に帰国させることに成功する)。
また、イスラム教徒との文化や習慣の違いに戸惑いつつ、仲間としての絆を形成してゆく過程も興味深い。
例えば、インドのカリカット(現コーリコード)に停泊した際、クルーが妻を娶りたいといいます(妻は四人まで持てる)。これは不思議でも何でもなく、古代よりインドではアラブの船乗りに娘を嫁がせるのを名誉と感じてきたとか。
セヴェリンは吃驚するものの、結納金を貸してあげる。すると、それから三日間で、ひとりを除く全オマーン人クルーが結婚してしまいます。やむを得ず、全員平等に結納金を貸すことに……。
まあ、これくらい心が広くないと、こんな冒険航海は企画できないでしょうが……。
さて、肝腎の航海の方ですが、ダウという帆船は、現代の船とは比べものにならないくらい扱いが難しく、様々なトラブルを生じさせます。
凪のときは一か月以上も海上で立ち往生してしまうし、椰子縄が朽ちて船体がバラバラになる虞はあるし(海中で、鮫に怯えながら修理する)、硫化水素が発生しもの凄い悪臭に悩まされたりもする。そして、何より厄介なのは取り回しです。
ダウが最早絶滅寸前なのは、その機能に問題があるためです。小さなダウでも屈強な男が数人がかりでないと操舵できず、ソハール号のような大型のダウだとさらに凄まじい労苦になり、こんなもので長い航海に出るのは現実的ではないのです。
ところが、クルーはチームワークのよさで苦難を乗り越えます。スコールに遭いミズンマストの帆桁とセイルが甲板に落ち、さらにメインマストの帆桁まで折れるという危機も応急処置で難なく乗り切ってしまいます。その後も、砂州に突っ込みそうになったり、帆が四枚もビリビリに裂かれたりするものの、大事には至りません。
結局、最後まで克服できなかったのは悪臭と、増殖しまくるゴキブリだったという意外なオチがついたりして……。
もうひとつ忘れてならないのは、セヴェリンが「海のシンドバッドと陸のシンドバッド」の元ネタを各地でしっかりと収集していることです。
これによって、インド、スリランカ、スマトラ、中国の象、宝石、海賊、麻薬、人喰い、オランウータンといった素材が海を超えて伝わったことが証明されました。それらがいかに物語に生かされたか分かると『千夜一夜物語』をより楽しむことができるでしょう(「海の老人=オランウータン」という説がある!)。
こうして、ソハール号は、出発から七か月半後、無事に航海を終えます。
シンドバッドの冒険のように荒唐無稽ではないけれど、セヴェリンの航海も、部屋にこもっている僕からすると十分すぎるほど刺激的です。船も、人間も、海洋生物も個性が強すぎて、ぽかーんと開いた口が塞がりません。
訳者はプロの翻訳家ではなく冒険家寄りのようで、訳文はときどきおかしなところがあるものの、概ね読みやすい(※2)ので、海洋を目指す勇気も金もないけれど気分だけでも浸りたいときにどうぞ。
※1:『千夜一夜物語』には「アラジンと魔法のランプ」など中国の話も含まれている。
※2:ただし、「ティムの、アラブ史と東洋史に関する把握にはかなりの難点があるようだが、訳ではそれを出来るかぎり訂正し、補っておいた」というのはいかがであろう。この場合は、原文どおりに訳し、注釈をつけた方がよい。
『シンドバッドの海へ』横尾竪二訳、筑摩書房、一九八六
『千夜一夜物語』関連
→『エバ・ルーナ』『エバ・ルーナのお話』イサベル・アジェンデ
→『夜物語』パウル・ビーヘル
→『シェヘラザードの憂愁』ナギーブ・マフフーズ
→『船乗りサムボディ最後の船旅』ジョン・バース
→『サラゴサ手稿』ヤン・ポトツキ
→『ヴァテック』ウィリアム・ベックフォード
→『アラビアン・ナイトメア』ロバート・アーウィン
→『宰相の二番目の娘』ロバート・F・ヤング
→『アラビアン・ナイトのチェスミステリー』レイモンド・スマリヤン