読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ファツ・ヒバ ―楽園を求めて』トール・ヘイエルダール

Fatu-Hiva: Back to Nature(1974)Thor Heyerdahl

『コン・ティキ号探検記』(一九四八)で知られるトール・ヘイエルダールノルウェーの冒険家であり、在野の人類学者、海洋生物学者でもあります。
 筏で南太平洋を漂流したり、葦の船でカリブ海やインド洋を航海したりして、その様子を書籍やドキュメンタリー映画にしました。
 ヘイエルダールの学説は今日では誤りが多く、科学的でないとされていますが、彼の本は海洋ノンフィクションの古典として、また命知らずなのに、どこか呑気な冒険譚として今なお輝きを失っていません。

 特に『コン・ティキ号探検記』は現在でも新本で入手可能ですし、児童向けの抄訳も刊行されています。まずは、そちらの説明から。
 ポリネシアの人々のなかには東南アジア以外に、南米から移住してきた人もいると考えたヘイエルダールでしたが、学者たちはそんな説をまともに取り合いませんでした。その理由のひとつは、インカの人々は風上へ進む動力のない筏しか持たなかったからというもの。
 そこでヘイエルダールは、古代の設計図を元にバルサ材で作った大型の筏コン・ティキ号を作り、五人の仲間、一匹のオウムとともにイースター島への航海に出ます。

 船に関しては素人のヘイエルダールが、自説を立証するためだけにヴァイキングもかくやというほど無謀な冒険に出るのですから、面白くならないわけがありません。
 個性的な乗組員、海の生物の不思議な生態、様々な試みや苦難(潜水籠を作って海中に潜ったり、鮫と並んで泳いだり、嵐に遭遇したり、海に落ちたり)が盛り沢山で全く飽きない上に、ワクワクするのは航海だけではないのです。資金や仲間を揃える過程、限られた時間のなかでジャングルからバルサを切り出し筏を作る過程も読み応えがあります。
 おまけに、凄いことをやっているのに語り口がユーモラスな点もポイントが高い。こういうのは、どんなに苦しかろうと悲壮感が漂ったり、哲学的になったりしてはダメです。少年(おっさんも)が憧れるのは、カラッと陽気で、荒っぽいけど仲のよい男たちによる冒険だからです。

 さて、引き返すことも止まることもできないコン・ティキ号はイースター島を通り越し、ツアモツ諸島で座礁しましたが、ヘイエルダールはその後、改めてイースター島を探検します。そして、その様子を描いたのが『アク・アク』(一九五七)です。
 今度は漂流実験でなく、調査が目的ですから、きちんとした船を用意し、船員、考古学者、医師、さらには妻や娘までも連れてイースター島へ向かいます。
 この本におけるヘイエルダールの説(モアイの運搬法など)も必ずしも正しいとはいえませんが、読みどころは考古学的な部分より、寧ろ島民とのやり取りにあります。
 例えば、島の人々は、探検隊の所有物を平気で盗みますが、盗んだものは気前よく仲間に分けてしまったりします。偽の遺物を売りつけようとしてバレると大袈裟に驚くのも憎めないし、島のことに詳しいヘイエルダールを白い島民と思い込むのもおかしい。

 一方で、イースター島というのは、部族間の争い、環境破壊、食糧危機、食人、文明崩壊、さらには奴隷として連れ去られ、戻ってきた者が天然痘を大流行させるといった悲惨な歴史を経た島でもあります。ヘイエルダールが滞在している間にも、彼の絡んだ水難事故が起こり、子どもや教師が水死しました。
 そもそも書名になったアクアクとは、邪悪な精霊、悪魔のことで、人々はそれをとても恐れています。いや、それどころか、あらゆる行動の基盤となっているのです。
 素朴で陽気な反面、疑り深く迷信を信じる島民をしっかり描いている点に好感が持てます。

 なお、面白いことに『アク・アク』には「モアイ」という言葉が数えるほどしか出てこず、ほとんどの場面で単に「巨人」「巨像」「石像」と呼ばれます。この当時、モアイという呼び名はまだ一般的でなかったのでしょうか。
 しかも、ヘイエルダールの興味は、モアイより秘密の岩屋に隠された小さな石像に向かっていて、頁数もそちらの方が圧倒的に多い。「イースター島といえばモアイしかない」と考えている人にとってはかなり意外かも知れません。

 さて、ようやく本題に入りますが、ヘイエルダールポリネシアに魅せられコン・ティキ号で冒険するきっかけに、また、ヒバオア島の巨大な石像と南米やイースター島の石像との関連を疑うきっかけになったものこそが『ファツ・ヒバ』です。
 ヘイエルダールは、コン・ティキ号の約十年前、夫人(※1)とともにマルケサス諸島(※2)のファツヒバ島で一年ほど生活しました。その暮らしのなかで、ポリネシアの人々の起源が南米にあると考えるようになりました。
 つまり、そのときの体験をまとめた『ファツ・ヒバ』は、ヘイエルダールのあらゆる旅の源といえるのです。

『コン・ティキ号探検記』より前に書かれたのにもかかわらず、発行年が新しいのには理由があります。
 この本は、元々『På jakt efter paradiset: Et år på en sydhavsø』のタイトル(※3)で、一九三八年にノルウェーで刊行されました。その後、英訳増補版が『Fatu-Hiva: Back to Nature』として一九七四年に発行され、日本版はこれを翻訳したものだからです。

 文明を捨て自然のなかで生活することを子どもの頃から夢みていたヘイエルダールは、二十二歳のとき、新妻リブを連れ、タヒチに向かいます。この頃は、タヒチまでゆくのにも船で六週間も掛かりました。しかし、タヒチは既に文明に毒されていて、ヘイエルダールの期待した姿とは異なっていました。
 そこで、彼らはさらに三週間かけファツヒバ島へゆきます。そこには手つかずの自然が残っていました。そして、彼らのジャングルでの生活が始まります。

 この頃、ヘイエルダールは動物学者を志していたため、ポリネシアに赴いた目的は「動物たちがどうやって大海を越え、島々にやってきたのか研究すること」です。
 しかし、彼が少年時代からの夢は、野生のなかで生活することでした。帰国後、ヘイエルダールは動物学をきっぱり諦めたところをみると、真の狙いは、やはり野生に帰ることにあったといわざるを得ません。

 ファツヒバ島で彼らを待っていたのは、ジャングルを切り開き、小屋を建て、芋や果実や川や海の生きものを食べて暮らす日々でした。服も靴も捨て、文明の利器は蛮刀と鍋のみという正に原始に帰ったかのような暮らしぶりです。
 自然回帰を夢みていた夫妻にとっては、木の実はどんな高級料理にも負けず、昆虫たちは最高の芸術家であり、水の雫は高価な宝石より美しい。財産を一切持たないが故、失う心配をしなくても済み、逆に自然のすべてが自分のものになるのです。
 この辺りで読み手は羨ましくて仕様がなくなり、同時に、長い休みも金も度胸もない自分に嫌気が差すでしょう。

 しかし、当然ながら、よいことばかりではありません。
 衛生の概念のない島では、フィラリアによる象皮病やインフルエンザが流行しており、患者のいる家族の食事に誘われるのはなかなか辛い(蚊も大いなる脅威となる)。
 また、カトリックプロテスタントの争いに巻き込まれ、象皮病の老人の尿が入ったオレンジジュースを飲まされるとか、毒サソリをこっそり小屋に入れられるなどと脅され逃避行したことや、雨季がきて皮膚病や食糧不足に悩まされたこともありました。

 自慢じゃありませんが、僕だったら一週間と持たないでしょう。ところが、それくらいでは冒険野郎のヘイエルダールは勿論、奥さんもへこたれません。
 髑髏を嬉々として集めたり(そのなかに鼠が潜んでいて、夜中、ゴソゴソと動く)、洞窟内の聖なる湖や食人種の谷を探検したり、洞穴で暮らしたり、果ては百キロ以上も離れたヒバオア島へ救命ボートで脱出したりもするのです(一歩間違えれば海の藻屑になっていた)。

 要するに、自然に憧れる人は多いものの、夢みるだけなのと、実行するのとでは天と地ほどの差があるってことです。
 それを一番よく分かっているのは、ヘイエルダール本人でしょう。
 だからこそ、彼はその後も「やったもん勝ち」の精神で様々なことに挑戦してゆきました。なかには無茶な冒険や、とんでもない説もありましたが、それでも机の上で自説をこねくり回しているよりは遥かに意味があります。

『コン・ティキ号探検記』の解説で、椎名誠ヘイエルダールの冒険だけはとても真似できないと書いていました。彼ですらそう思うのですから、ほとんど部屋から出ない僕からしたら、不死身の超人以外の何者でもありません。
 多くの著作がベストセラーになったのは、自ら行動を起こせない人がヘイエルダールに共感し、憧憬したからではないでしょうか。
 自分の代わりに向こうみずなことをやってくれる勇ましい男は、いつの時代もヒーローと呼ばれるのです。

 なお、タヒチで出会ったテリイエロー酋長は、『コン・ティキ号探検記』のラストでちょっとだけ顔をみせてくれます(増補版である本書や『アク・アク』では彼が亡くなったことが知らされる。また、妻のリブも一九六九年に亡くなっている)。

※1:『ファツ・ヒバ』は最初の奥さんのリブ、『アク・アク』は二番目の奥さんのイヴォンヌを同行している。

※2:ポール・ゴーギャンやジャック・ブレルが移住したヒバオア島が有名(ヘイエルダールは、ゴーギャンの銃を手に入れる)。ファツヒバ島は、その南東に位置する。ファツヒバ島に比べると、ヒバオア島は「都会」である。

※3:日本版の副題「楽園を求めて」は、ノルウェー版のタイトル「På jakt efter paradiset」からきている。


『ファツ・ヒバ ―楽園を求めて』〈上〉〈下〉山田晃訳、現代教養文庫、一九七六