読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『夜物語』パウル・ビーヘル

Nachtverhaal(1992)Paul Biegel

 オランダの児童文学者パウル・ビーヘルは、枠物語を得意としており、邦訳されているものでは『ドールの庭』や『ネジマキ草と銅の城』などがそれに当て嵌まります。
 一九九三年に、自身二度目の金の石筆賞を受賞した『夜物語』(写真)もそう。しかも、タイトルやエピグラフから考えて、世界一有名な枠物語である『千夜一夜物語』を意識しているのは明白です。
 ただし、登場人物は人間ではありません。シェヘラザードの役割を果たすのは妖精で、聞き手は小人です。

 小人は、ひとり暮らしの老婆の屋敷の屋根裏にある人形の家にこっそり住み着いていました。
 ある嵐の夜、羽を傷めた妖精が小人の家にやってきます。泊めてもらった妖精は、小人に自らの冒険を話してあげます。一泊の予定でしたが、お話の続きを聞きたくて、小人は何日も妖精を泊めてあげます。

 これが外枠となる物語です。
 一方、妖精の冒険は以下のとおり。

 子孫を残すことも、死とも無縁な妖精は、結婚して子どもを産めば、やがて死が訪れることを知り、まずは結婚相手を探す旅に出ます。
 妖精は、スイレンを殺した罪でシダレヤナギにされた小鬼、エルフと邪悪なフルエ、小さなものを踏み潰してしまうことに悩む巨人らと出会います。羽を傷つけられたり、捕まったり、棘を刺されたりと散々な目に遭う妖精でしたが、死は迎えにきてくれませんでした。
 その後、妖精は巨人の息に吹き飛ばされ、小人の家まで飛んできたのです。

 メアリー・ノートンの『床下の小人たち』は、小人の三人家族がほかの誰とも接触せず長い間暮らしていて、「随分寂しい生活だな」と思いましたが、『夜物語』の小人はもっと孤独です。
 日課といえば、人間のお婆さんが寝た後、こっそりガスや水道の見回りにゆくことくらい。毎週土曜日には地下室に住むドブネズミとヒキガエルがトランプをしにきますが、本当は彼らのことを好きではありません。冬になると冬眠しにくるスズメバチの女王だって、二度と訪ねてきて欲しくないのです。

 傷ついた妖精が訪ねてきたときも反応に変化はありません。歓迎どころか、早く帰ってくれないかと思っていました。
 そんな風に孤独を好み、人間に気づかれないようひっそりと暮らしていた小人が、妖精の物語、さらには老婆の死をきっかけにして新しい世界へ旅立ってゆくというのが、この童話の主題です。

 一方、妖精の物語は、まるで『ねずみの嫁入り』みたいですけど、彼女が探しているのは「死」です。
 シェヘラザードは死を逃れるために千一夜に亘ってお話を続け、シャリヤールの子どもを三人産みましたが、妖精は死ぬために結婚相手をみつけ、子を産もうとします。
 命あるものは必ず死を迎えます(ベニクラゲは除く)。それができない妖精やエルフ、巨人などは不完全な存在であるが故、死を欲します。

 しかし、人間の人生とは、いわば死へ向かう道にほかなりません。
 つまり、求めようと求めまいと、人にとって生きることは死ぬことであり、旅のゴールは常に死なのです。

 子どもたちは、お話によって、世界の広さを知ります。やがては優しいお母さんの胸のなかから飛び出し、世間の荒波に揉まれなければなりません。
 さらには、どれだけ成功しようと、幸せを掴もうと、万人に共通して待っているのは容赦ない死であること知るのです。
 だからこそ生きることは素晴しいと、ビーヘルは伝えたいのでしょう。

 しかし、大人の読者にとっては、話は別です。
 特に、希望も、金も、友人も、大して楽しいこともない僕のような者は、死を求めて旅に出る必要なんてありません。
 ただただ惰眠を貪ることに喜びを見出す単調な日々が続くだけです。

 寒い夜に、静かな屋根裏部屋で、ロウソクの明かりだけで語られる物語。妖精のお話が終わると、小人は温かいベッドに潜り込み、安らかな眠りにつく。翌日は予定なんかないので、好きなだけ寝坊をすることができる……。
 大人になってしまうと、こんな幸せな場面は、まず訪れません。上手な朗読家を雇えば……いや、どんなに美しく、知性のあるシェヘラザードでも、お母さん(お父さんやお婆さんでも可)には絶対に敵わないでしょう。
 それが分かっているから、自ら本を読んで我慢するのです。

 というわけで、『夜物語』は、すべての用事を済ませた後、夜、ベッドのなかで読むのがよろしいと思います。キャンドルを灯して、温かい飲みものなどを用意すれば最高です。
 子ども向けなので一気に読み終えてしまいますが、そこはぐっと我慢をして、一日一章とはいわないまでも少しずつ読み進めると、この本のよさがさらに引き立つこと請け合いです。

『夜物語』野坂悦子訳、徳間書店、一九九八

千夜一夜物語』関連
→『エバ・ルーナ』『エバ・ルーナのお話イサベル・アジェンデ
→『シェヘラザードの憂愁』ナギーブ・マフフーズ
→『船乗りサムボディ最後の船旅ジョン・バース
→『シンドバッドの海へ』ティム・セヴェリン
→『サラゴサ手稿』ヤン・ポトツキ
→『ヴァテック』ウィリアム・ベックフォード
→『アラビアン・ナイトメア』ロバート・アーウィン
→『宰相の二番目の娘』ロバート・F・ヤング
→『アラビアン・ナイトのチェスミステリー』レイモンド・スマリヤン

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