読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『エバ・ルーナ』『エバ・ルーナのお話』イサベル・アジェンデ

Eva Luna(1987)/Cuentos de Eva Luna(1989)Isabel Allende

 今回は、イサベル・アジェンデの『エバ・ルーナ』と『エバ・ルーナのお話』を取り上げます。
 この「読書感想文」では、漸くふたり目の女性です。以前も述べましたが、僕は女流作家の本を余り持っていません……と書いてから、ふと思いました。もしかすると、文学史における女流作家の割合自体が、圧倒的に低いのではないか、と(勿論、ジャンルにもよるであろう。恋愛小説、ファンタジー、ミステリーなどは明らかに多そう)。
 そこで、かつて日本で発行された「世界文学全集」を調べてみることにしました。甚だ恣意的ですが、対象としたのは、以下の六つです。

 A 世界文学全集(新潮社)57巻(一九二七〜一九三二年)
 B 世界名作全集(筑摩書房)46巻(一九六〇〜一九六二年)
 C 世界文学全集(講談社)103巻(一九七四〜一九八六年)
 D 世界の文学(集英社)38巻(一九七六〜一九七九年)
 E 世界の文学セレクション(中央公論社)36巻(一九九三〜一九九五年)
 F 池澤夏樹個人編集 世界文学全集(河出書房新社)30巻(二〇〇七〜二〇一一年)

 全作者に占める女性の割合をみてみると……。

 A 4/92人(4・3%)〔36巻「短編小説集」、37巻「詩集」を除く〕
 B 5/59人(8・5%)
 C 9/132人(6・8%)〔103巻「詩集」を除く〕
 D 3/49人(6・1%)〔37巻「詩集」、38巻「評論集」を除く〕
 E 6/41人(14・6%)
 F 18/76人(23・7%)〔二冊の短編集を除くと13/39人(33・3%)〕

 全集となると、あらゆる時代・地域の作品を満遍なく選ぶ必要があるため、どうしても男性の比率が高くなりがちです(池澤の全集は、二十世紀後半を中心にしたセレクション)。それを差し引いても、「女性の割合は思ったより遥かに低い」というのが正直な感想です。
 ただ、この件については、これ以上、考察しません。要するに、僕だけが特別、女性の作品を読まないわけではないことが分かり、ほっとしたということ。上記のどの全集にも収録されていない作家でいうと、フラナリー・オコナーダフネ・デュ・モーリアなんかも好きですしね(アイヴィ・コンプトン=バーネットのように、ほとんど邦訳のない作家は、全集で補ってもらえると嬉しいんだけどなあ)。

 さて、アジェンデというと『精霊たちの家』が有名ですが、個人的には、クラーラというキャラが神秘的かと思うと、妙に現実的だったりして、今一乗れませんでした。また、多くの人が指摘しているとおり、『百年の孤独』とつい比較したくなってしまうのも困ったところ。それについては、作者もうんざりしていたようですが、『エバ・ルーナ』は、そうした呪縛から解放され、アジェンデらしさが十分に発揮された作品だと思います。

 素性の知れない孤児コンスエロは、風変わりな医師の屋敷に女中として勤め、やがて死にかけたインディオ庭師と一方的な性交をし、女の子を設けます(ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』と同じパターン)。その子がエバ・ルーナで、エバは生命を、ルーナは月の一族を表します。六歳で母と死別したエバは、女中として数多くの家を渡り歩き、様々な事件に巻き込まれます。
 エバは、天涯孤独で、何ひとつ持っていないにもかかわらず、卑屈なところはまるでありません。使用人とはいえ、不当な扱いを受ければ、きちんと仕返しをし、家を飛び出してしまいます。

『精霊たちの家』における三世代の女性たち(クラーラ、ブランカ、アルバ)は、資産や名声に守られ、豊かな暮らしをしていました。三代目のアルバは、革命や一族の凋落のせいで、随分と現実的、活動的になりましたが、エバは、更にその次の世代の女性という印象があります。とにかく、逞しく、エネルギッシュなのです。

 また、エバは、お話の天才で、まるでシェヘラザードのように、その力をもって革命に揺れるベネズエラで生き抜いてゆきます。作者が、アラビアンナイトを意識しているのは間違いなく、ときに視点を変え、小さくとも印象的なエピソードを積み重ねることで、読者を惹きつけます(日本の読者なら、筒井康隆七瀬シリーズを思い浮かべるかも)。

 そして、『エバ・ルーナ』が枠物語だとしたら、エバによる二十三の物語を集めた『エバ・ルーナのお話』は本編といってよいかも知れません。実際、わずか数頁で人の一生を語ってしまえるアジェンデですから、寧ろ短編の方が魅力的だともいえます。
 実をいうと、今回、再読するにあたって『お話』を先に読んでみたんです。全く違和感がなかったばかりか、小さなお話の背後に広がる豊穣な物語を堪能でき、より感動が深くなるような気がしました(勿論、『エバ・ルーナ』とは、登場人物や設定を共有しているので、分かりやすさを優先するなら、普通の順番で読むことをお勧めする。『お話』は舞台の多くがアグア・サンタという町である点、少しだけエバが登場する点から、アンブックスにおける『アンの友だち』や『アンをめぐる人々』のような感じ)。

 ところで、エバのお話に、メタフィクショナルな仕掛けを探るのはあまり意味がないように感じます。
 というのも、天性の語り部であるエバにとっては、現実も虚構もほとんど違いがないからです。エバの物語には実在の人物が数多く登場し、逆に、虚構の人物、死者、過去の自分自身は、現実の人々と同時に存在しています。マジックリアリズムの一言で片づけてしまうのは気が引けますが、こういうところが南米の作家は本当に上手いなと思います。

 アジェンデの場合は、それに加えて、甘美さという武器があります。
 例えば、『エバ・ルーナ』を読む人の最大の関心は「エバとロルフが、いつ、どのような形で出会うのか」ですが、これ以上ないくらいロマンチックな結末が待っていますから、期待して頁をめくってください(エバとロルフのその後は、『お話』のイントロと「私たちは泥で作られている」という短編で垣間みることができる)。
 お読みになるなら、ぜひ二冊セットで。

『エバ・ルーナ』木村榮一、新谷美紀子訳、国書刊行会、一九九四
『エバ・ルーナのお話』木村榮一、窪田典子訳、国書刊行会、一九九五