Eugène Ionesco
前回のスワヴォーミル・ムロージェックに続き、今回はウージェーヌ・イヨネスコの戯曲を取り上げてみます。
イヨネスコもムロージェック同様、劇作家としての方が圧倒的に有名で、白水社から「イヨネスコ戯曲全集」全四巻が発行されています。
僕は全集を購入していないので、読んだことがある戯曲は、そのベスト盤といえる『授業/犀』(写真)、「現代フランス文学13人集」に収められている「瀕死の王」、遺作となったオペラの台本「マクシミリアン・コルベ」(※1)のみです。
実をいうと全集は、定期的に訪れる古書店に長い間、陳列されており、買おうかどうかいつも悩むのですが、今に至るまで購入していません。
なぜ手に入れないかというと、この全集、五十年近く前に翻訳されたもので、当然ながら一九七〇年代以降の作品はフォローできていないからです(※2)。
その後、イヨネスコは文学から離れ、画家になってしまったため、後期の作品の重要度は低いといわれていますが、やはりまとめて読みたい……というわけで、いつの日か、完璧なイヨネスコ戯曲全集が刊行されるのを待っているのです(追記:といいつつ、結局、イヨネスコ戯曲全集を揃えてしまった……)。
尤も、戯曲は余り売れず、イヨネスコやムロージェックといったビッグネームでさえ新本では入手できない状況ですから(ハロルド・ピンターだってノーベル文学賞を取る前は絶版だった)、完璧な全集なんて期待するのは無謀かも知れません。
興味のある方はまず、入手しやすい『授業/犀』から読まれることをお勧めします。
「禿の女歌手 ―反戯曲」La Cantatrice chauve(1950)(全集第一巻)
イヨネスコの処女戯曲です。
元々のタイトルは「L'Anglais sans peine(楽しい英語)」だったのが、俳優が「ブロンドの家庭教師」を「禿の女歌手」といい間違えたのをきっかけに題名を変更したそうです(勿論、科白も変更された)。
初演の際は不評だったというのも無理はありません。今でこそ不条理劇、アンチテアトル、ヌーヴォーテアトルの代表的作品といわれますが、当時の観客は、二組の夫婦と女中、消防署長が無意味な科白の応酬を繰り返した末、言葉そのものが崩壊してしまうのですから、ひたすら面食らったのではないでしょうか。
不条理といっても、イヨネスコの場合、質の高い笑いに結びついている点が素晴らしい。出鱈目なら誰にでも書けるけれど、笑いを呼び起こすのは高度な技術が必要です。
それには勿論、演出も重要ですが、ト書きですら面白いので、レーゼドラマとしても十分楽しめます。実際、上演不可能なものも含め少なくとも三十六通りの結末が考えられるそうで、そのいくつかは提示されています。
「授業 ―喜劇的ドラマ」La leçon -Drame comique(1951)(全集第一巻)
教授の自宅で講義を受ける女生徒。遠慮がちだった教授は次第に興奮し、明るかった女生徒は徐々に陰鬱になってゆきます。
円環構造であること、言葉が崩壊してゆくことが、「禿の女歌手」と共通しています。
言葉の崩壊とは「口に出す必要がないほど当たり前の科白」「言い間違えや事実とは異なる科白」「ほとんど意味をなさない饒舌な科白」「バラバラになった音の塊」というような段階を踏むような気がします。
加えて「授業」では教授の人格まで崩壊し、悲劇的なラストを迎えます。しかも、それが四十回も繰り返されてきたという過剰な狂いっぷりが不気味です。
「椅子 ―悲劇的笑劇」Les Chaises -Farce tragique(1952)(全集第一巻)
沢山の椅子と扉のある半円形のホール。そこに九十歳を超えた老夫婦がいます。目にみえない客が次々と現れ、夫婦は彼らと会話をしてゆきます。
架空の客たちが訪れる前は夫婦で会話をし、少人数のうちは夫婦と客の会話が成立していました。そのうち、それぞれが別の客と話を始めます。いわば、ひとり芝居が二か所で行なわれるようなものですが、嘘や忘却のせいか互いの科白が矛盾してきます。例の如く、語呂合わせや駄洒落が豊富に含まれ、意味は二の次になります。
ここまでくると、客の姿がみえないのは演出なのか、それとも孤独な老夫婦の狂気なのか判然としなくなります。
そうこうするうち、舞台に現れるのは、ほとんど反応を示さない非現実的な弁士。そして、彼は弁士にもかかわらず、聾唖者であることが観客に明かされるのです。
ひょっとすると、この芝居では、椅子以外のすべてが幻なのかも知れません。
「犀」Rhinocéros(1960)(全集第二巻)
田舎町の広場。夏の日曜日の朝。突然、一頭の犀が駆け抜けてゆきます。
それを目撃したベランジェは、翌日も会社で犀に遭遇します。そして、その犀は、どうやら同僚が変身したものらしいことが分かります。その後、各地で犀に変わる者が次々に現れます。
それまでの戯曲と異なり、「犀」には不条理ながらも明確なストーリーが存在します。また、科白も理解できるレベルの面白さになっています。例えば、カフェテラスで二組の会話がシンクロする場面など、意味を残したまま、きちんと計算された笑いを生み出しているのです。
さらに三幕では言葉遊びを控え、真面目な哲学的議論を展開したりします。
評判になったのは、このように過度に前衛的にならなかった点が影響しているのではないでしょうか。
さて、人が犀に変わるのは、大戦中、ファシズムに走った友人たちを表しているといわれています。
犀になるのは明らかに正しくないのに、なぜ人々は次々に同調してゆくのか。ベランジェは、頑なに抵抗しますが、犀になる者を説得することはできません。
そして、いよいよ人間のままなのはベランジェと恋人のふたりだけになり、最後にはその恋人も犀になることを選択します。「地球最後の男」となったベランジェは、あれほど嫌っていた犀が好ましくみえるようになってきます。
けれど、とき既に遅し。彼は、永遠に犀にはなれなくなってしまったのです。
イヨネスコ自身が語っているとおり、全体主義の滑稽さ、恐ろしさ、虚しさがよく表れていますが、同時に時流に乗り遅れた男の悲哀も感じられます(芯がしっかりしてそうで、実は流されやすい)。
それにしても、リチャード・マシスンは、これを参考にしたのかしらん。
なお、この戯曲の原型となった短編小説「犀」(1957)は、『大佐の写真』に収められています。両者は内容の違いがほとんどなく、小説はたった四十頁なので、戯曲の後に読むと概要のように感じられてしまうかも。
「アルマ即興 ―羊飼いのカメレオン」L'impromptu de l'Alma -ou Le caméléon du berger(1956)(全集第三巻)
戯曲を書くイヨネスコの元にバルトロメウスが現れ、催促します。イヨネスコは、書きかけの戯曲を朗読するよういわれ、戯曲を書くイヨネスコの元にバルトロメウスが現れ……と語り出します。すると、ふたり目、三人目のバルトロメウスが現れ……。
作者が登場人物となり、チャイニーズボックスを形成する典型的なメタシアターです。
イヨネスコの方法論が開陳されるのが興味深い(特に最後の長科白)のですが、それは同時にベルトルト・ブレヒトに代表されるリアリズム演劇の信奉者への批判になっています。
「芝居を書き始めたのは、それまでの芝居を毛嫌いしていたから」と、イヨネスコはエッセイに書いているとおり、既成の演劇を打倒することこそ最大の目標だったのでしょう。
そのための方法のひとつが、この作品のように技巧に凝りまくることでした。
いかに作りものめいていようが……、いや、寧ろリアリズムから遠く離れることこそがイヨネスコの狙いだったと思われます。
バルトロメウスという名は、不条理劇に批判的だったロラン・バルトを茶化しているそうですが、一方でバルトは「技術こそ、あらゆる創造の存在そのものである」なんてことをいっているので、バルトが演劇に深入りしていたら案外と分かり合えていたのかも知れません。
「歩行訓練 ―バレーの着想」Apprendre à marcher -Idée d'un ballet(1960)(全集第四巻)
わずか一頁の概要です。
看護婦が、体が麻痺した青年にバレエを教えます。やがて、青年は素晴らしい踊り手となって、看護婦から去ってゆくという話。これは舞台をみてみたいですね。
追記:二〇二〇年一月、復刊されました。
※1:『イヨネスコによる「マクシミリアン・コルベ」』(クロード・エスカリエ著)という本に掲載されている。
コルベはアウシュヴィッツ強制収容所で死刑を宣告された者の身代わりに殺された聖人で、長崎でも布教活動を行ない、日本版の「聖母の騎士」誌を出版した。『イヨネスコによる「マクシミリアン・コルベ」』は長崎の聖母の騎士社から刊行されている。
※2:ハロルド・ピンターは『ハロルド・ピンター全集』刊行後に書かれた戯曲を、ハヤカワ演劇文庫が出してくれた。尤もこれはノーベル文学賞効果だろうけど……。
『授業/犀』ベスト・オブ・イヨネスコ、 諏訪正、木村光一、大久保輝臣、安堂信也、加藤新吉、末木利文訳、白水社、一九九三
→『孤独な男』ウージェーヌ・イヨネスコ
→『ストーリーナンバー』ウージェーヌ・イヨネスコ
戯曲
→『ユビュ王』アルフレッド・ジャリ
→『名探偵オルメス』ピエール・アンリ・カミ
→『大理石』ヨシフ・ブロツキー
→『蜜の味』シーラ・ディレーニー
→『タンゴ』スワヴォーミル・ムロージェック
→『物理学者たち』フリードリヒ・デュレンマット
→『屠殺屋入門』ボリス・ヴィアン
→『ヴィオルヌの犯罪』マルグリット・デュラス
→『審判』バリー・コリンズ
→『あっぱれクライトン』J・M・バリー
→『ピッチサイドの男』トーマス・ブルスィヒ
→『作者を探す六人の登場人物』ルイジ・ピランデルロ
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