読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『あっぱれクライトン』J・M・バリー

The Admirable Crichton(1902)J. M. Barrie

 河出書房の市民文庫は、一九五一年一月から一九五四年一月までのちょうど三年間だけ存在した文庫です。
 現在の文庫本より左右がやや短く、オレンジと白のツートンカラーが特徴的です。カバーはなく、パラフィン紙が巻いてあり、スピンがついています。

 ラインナップされたのは日本文学も海外文学も古典ばかりなので、この文庫を手に入れないといけないものはそう多くはない(※1)。
 しかし、J・M・バリーの戯曲『あっぱれクライトン』(写真)は、単独の書籍としてはこれでしか読めません(「世界文学全集 第二期25」や「福田恆存飜譯全集 第8卷」といった全集には収録されている)。

 バリーといえば『ケンジントン公園のピーター・パン』(1906)や『ピーター・パンとウェンディ』(1911)など「ピーター・パン」関係(※2)の著者として有名で、それ以外の作品はほとんど知られていません。
 そのため、彼を児童文学者と思い込んでいる人もいるでしょう。けれど、バリーは「ピーターパン」以外に児童向けの作品をひとつも書いていないのです。
 一方で、劇作家としては、多くのヒット作を生み出しています。つまり、『あっぱれクライトン』こそがバリーの本来の仕事といえます。

 というわけで、まずはあらすじを記載します(全四幕)。

第一幕
 ローム卿は、英国の階級制度は人為的なものと考えています。そのため、ロンドンの屋敷に、甥のアーネストや牧師のトリハーンらが集まったとき、召使いたちも客人のように遇します。しかし、執事のクライトンは階級制度を自然の成りゆきと考え、飽くまで使用人として扱って欲しいと訴えます。
 数日後、ローム卿、三人の娘、アーネスト、トリハーンは数か月の船旅に出ますが、使用人はクライトンとメイドのトウィーニーのふたりだけであることが明かされます。

第二幕
 第一幕の二か月後。ヨットが難破して、彼らは太平洋上の無人島に漂着します。ロンドンでは平等主義をぶちまけたローム卿でしたが、孤島では身分を盾に威張り散らします。
 一方、自然の成りゆきを重視するクライトンは、ここではサバイバル術に長けた自分がリーダーシップを取るべきと主張します。しかし、貴族たちは反発します。

第三幕
 第二幕の二年後。指導者になったクライトンは、小屋を建設し、農業や狩猟を行います。英国に婚約者のいる長女のメアリーは、クライトンに心惹かれ、彼らは結婚することになります。そのとき、英国海軍が助けにやってきました。

第四幕
 第三幕の二か月後、ローム卿の邸宅。すべてが元に戻りましたが、メアリーの婚約者の母親は、ローム卿が孤島でも平等主義を貫いたのかを気にしています。クライトンが呼ばれ、尋問されますが、彼は飽くまで主従の関係を崩さなかったと答え、屋敷を去ってゆきます。

 バリーの戯曲の特徴のひとつとして、ト書きが異様に多いことがあげられます。それが顕著なのが『あっぱれクライトン』で、ほとんどの科白にト書きがつきます。
 と書くと、レーゼドラマ(上演を目的としない、読むための脚本)を思い浮かべるかも知れませんが、人気劇作家のバリーがそんなものを執筆するわけがありません。
 これは戯曲としても楽しんでもらうための配慮と考えて間違いないでしょう。要するに、芝居をみた人も、戯曲を読めば登場人物の細かい心理が分かり、二度おいしいというわけです。

 さて、優れた使用人と間抜けな主人という構図は、後にP・G・ウッドハウスが「ジーヴス」シリーズで取り入れ、すっかりお馴染みになりましたが、『あっぱれクライトン』上演当時は英国の階級制度が議論の的となっており、バリーはそれを諷刺したともいわれています。

 ローム卿は平等主義を標榜しつつ、いざとなると階級をひけらかし身を守ろうとします。無人島でクライトンを馘首すると脅すローム卿は勿論、働こうとしないアーネスト、プライドばかりが高い娘たちも滑稽でしかありません。
 彼らは、時間と場所が異なれば、身分など簡単に吹き飛んでしまうことに思い至らないようです。

 一方、クライトンは飽くまで自然体です。英国の社会において上流階級の者に従うのは自然ですし、文明社会を離れれば役に立たない貴族を従わせるのもまた自然なのです。
 無人島において全く無意味なエピグラムを口にするアーネストに罰を与えるシーンは衝撃的ですが、これ以後、貴族たちの意識が変わり始めたように思えます。

 クライトンは、ジーヴスのように有能なので、限られた物資とわずかな時間で「政府」を作り出します。
 あらゆる意味で絶好の土地に家を建て、手製の器具を作り農場や狩猟を行ない、乾物や燻製などの食料を蓄え、船が近づいたときは一斉に狼煙を上げる装置を制作する。
 そして、貴族たちはクライトンをカリスマ教祖のように崇め、女性たちはひとり残らず彼に心奪われます。

 ここまでいってしまうと、諷刺を通り越して寒心に堪えません。従順な執事が、いつの間にか王の如く振る舞う様は、人間がどのような色にも染まりやすい性質を持っていることを表しているからです。
 クライトンは、ジョナサン・スウィフトの『奴婢訓』やオクターヴ・ミルボーの『小間使の日記』のように悪徳な使用人ではありませんが、なまじ能力が高いだけに、もっととんでもないことを企んでいるのではないかと勘繰ってしまいます。
 眠っていた怪物を起こしてしまったかような不気味な感覚は、ある意味、ウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』よりも恐ろしい……。

 しかし、無人島に英国の水兵がやってきた途端、各人はあっさりと元の立場に戻ります。誰もがクライトンの実力を知りながら、何ごともなかったかのように振る舞うのです。
 とどのつまり、社会的動物である人間は階級制度から逃れることはできないわけです。格差が是正されようと、体制や組織が新しくなろうと、また新たな社会階級が生まれます。
 国民の間に階級意識が根強く蔓延っているイギリスにおいては、それさえ起こりうる可能性が低いのですから、意識を変革しろという方が無理なのかも知れません。

 この体験によって、クライトンだけは何かを悟った様子ですが、それが保身に走る上流階級の人々の醜さなのか、階級という馬鹿げたものに振り回される人間の虚しさなのかは分かりません。
 いずれにせよ、職を辞した彼は二度と元の仕事には就かないでしょう。それでも、階級社会は相も変わらず続いてゆくのです。

 なお、『あっぱれクライトン』というタイトルは、スコットランドの博学者ジェイムズ・クライトンの渾名から取られています。

※1:ルネ・クレールの『悪魔の美しさ』もこの文庫でしか読めない。

※2:バリーのピーター・パン関係の書籍は以下の五つ。『小さな白い鳥』『大人になりたくないピーターパン』『ケンジントン公園のピーター・パン』『When Wendy Grew Up: An Afterthought』『ピーター・パンとウェンディ』。


『あっぱれクライトン福田恆存鳴海四郎訳、市民文庫、一九五三

戯曲
→『ユビュ王アルフレッド・ジャリ
→『名探偵オルメスピエール・アンリ・カミ
→『大理石ヨシフ・ブロツキー
→『蜜の味』シーラ・ディレーニー
→『タンゴ』スワヴォーミル・ムロージェック
→『授業/犀』ウージェーヌ・イヨネスコ
→『物理学者たち』フリードリヒ・デュレンマット
→『屠殺屋入門ボリス・ヴィアン
→『ヴィオルヌの犯罪マルグリット・デュラス
→『審判』バリー・コリンズ