読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『愛の果ての物語』ルイザ・メイ・オルコット

A Long Fatal Love Chase(1995)Louisa May Alcott(as A. M. Barnard)

 ルイザ・メイ・オルコットは、「若草物語」シリーズや『八人のいとこ』『花ざかりのローズ』など少女小説の作者として知られています。
 オルコットの特徴は心温まるエピソードと明るいユーモアですが、A・M・バーナードという男性名で書いた「血と雷の物語(blood-and-thunder tales)」「ポットボイラー(potboiler)」といわれる刺激的なスリラーが存在することは余り知られていません。

 そのひとつである『愛の果ての物語』(写真)は一八六六年に書かれましたが、出版されたのは一九九五年でした。百年以上前の小説が米国でベストセラーになり、日本でも同年に刊行されたのは、オルコットの人気だけでなく、作品自体の質の高さをも表しています。
 なお、この記事を書いている途中、偶然知ったのですが、間もなく『仮面の陰に あるいは女の力』(1866)も刊行されるそうです。

 貧しい家庭に四人姉妹として育ったオルコットは、家計を支えるため、教師の傍ら小説を執筆しました。やがて、『若草物語』(1868)によって彼女は富と名声を得ます(一方、健康を害し、生涯独身のまま五十五年の短い生涯を閉じた)。
 上記の「血と雷の物語」のほとんどは無名時代に書かれました。生活のために執筆したことは間違いありませんが、『若草物語』の成功によって経済的な問題が解決されて以後、オルコットはスリラーやサスペンスを書かなかったかというとそういうわけではなく、一八七七年には匿名で『A Modern Mephistopheles』を出版しています。
 シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』の影響を受けていた彼女は収入とは関係なく、刺激的な小説を執筆したいという気持ちが強かったようです(※1)。

 十八歳のロザモンドは、イギリスの孤島で祖父とふたりで暮らしています。ある日、ヨットに乗って祖父のかつての弟子フィリップ・テンペストがやってきます。互いに惹かれ合ったふたりは島を出て、結婚をします。
 夫婦はニースの別荘で暮らしていましたが、フィリップには、心臓に疾患のある古い友人を人混みに連れ出し、コレラに感染させて死なせてしまったり(※2)、可愛がっていた小姓(「実の息子」)をどこかへ連れていってしまったりと残酷な一面があることにロザモンドは気づきます。そんなとき、フィリップの妻が現れ、自分との結婚は偽りであったことが分かります。失意のロザモンドはパリへ逃亡するのですが……。

『愛の果ての物語』は、執筆当時、刺激が強すぎるとして出版社から書き直しを命じられていましたが、二十世紀末に刊行されたものは修正前のものだそうです。現代においては勿論、眉を顰めるほどではありません(「解説」によると、センセーショナルと判断されたのは、男性優位な時代に男女が対等な対決をするためではないかとのこと)。
 十九世紀に刊行されていれば、『ジェーン・エア』とダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』をつなぐ作品として評価されていたのではないでしょうか。いずれも、前妻の影に悩まされるスリラーであり、恋愛小説でもあるという共通点がありますが、『愛の果ての物語』は、さらに冒険小説の要素が加わる点がユニークです。いわば『ジェーン・エア』+『ダルタニャン物語』(特に第一部『三銃士』)といった感じでしょうか。

 貧しくも明るく賑やかな家庭を描いた『若草物語』と対照的に、ロザモンドは孤島で寂しい日々を過ごしていました。性格的には『若草物語』のジョーに似ていますが、不幸な生い立ち、陰鬱な祖父との暮らし、謎めいた中年男との出会いが、やや暗い影を落としています。
 しかし、ロザモンドは本来、ジョーと同じくらい活発で、行動的です。従って、孤島から抜け出し、不実な夫の手からも逃れた途端、生来のお転婆が顔を出し、フランス、ドイツ、イギリスを股にかけた大冒険を繰り広げるのです。

 物語としても、逃亡生活が始まってからが俄然面白くなります。
 タイトルに「Chase」とあるとおり、逃げる者と追う者のスリリングな駆け引きが描かれます。女優の衣装籠に隠れて逃げ出したり、見知らぬ女性の遺体に細工をして自分が死んだと思わせたり、味方だと思っていた人物が敵だったり、その逆だったりと、正にハラハラする展開の連続です。
 筆運びは生き生きとしており、オルコットがこうしたシーンを楽しみながら書いたのがよく分かります。

 さて、『愛の果ての物語』最大の特徴は、ロザモンドがフィリップの魔の手から必死に逃げ回りつつ、彼を愛する気持ちをなくしていない点です。
 これは逆にいうと、いくら好きであろうと、許せないものは許せないと主張していることになります。女性は男性の庇護の下にあって当然という時代に、ロザモンドは、愛を捨て不自由のない生活を捨ててまで、高圧的な男性の支配から逃れるという選択をしました。
 奴隷解放論者、女性参政権主張者(※3)であったオルコットならではの新しいタイプのヒロインといえます。

 一方、フィリップは獲物を執拗に追い詰め、どんな手を使ってでも他人を屈服させようとします。反旗を翻す者は身内だろうと容赦せず、正に階級意識、男尊女卑の権化のような男です。
 現代ではリアリティがなく冗談のような設定ですが、十九世紀半ばにはこの手の男が多く存在したのでしょう。そして、そうした男に苦しめられていた女性もまた大勢いたことが想像できます。

 そう考えると、『愛の果ての物語』は、やはりリアルタイムで出版され、読まれるべき作品だったと思います。
 当時の女性たちが読めば、鋼の意志を持ち、何者にも屈しないロザモンドの活躍に胸のすく思いをし、「男の束縛から逃れるには死しかなく、それでも追いかけてくる」ラストシーンを現実に照らし合わせて涙したかも知れません。

 勿論、今読んでも十分すぎるくらい面白い。
 フィリップは前述のとおり時代遅れの化石ですが、今時の悪役みたいに軟弱ではなく、不屈の闘志で迫ってくるため心休まる隙がありません。嫌な奴だけど、フィクションのなかにおいては優秀なキャラクターです。
 さらに、フィリップもまた、ロザモンドを愛しています。多少屈折しているとはいえ、その愛は本物なのです。
 つまり、これは互いに深く愛する者同士が全身全霊を傾けて戦うという、これ以上ないくらいスリリングな物語なわけで、どう転んでも面白くならないはずがありません。

 それにしても、これが没になってしまうのですから、十九世紀の小説のレベルの高さたるや凄まじい。
「今読んでも面白い」なんて失礼なことを書きましたが、正確には、どの時代に読んでも面白いパワーを持った第一級のエンターテインメント小説です。

※1:『続若草物語』には、ジョーが、見知らぬ少年から刺激的な新聞小説を借りて読むシーンがある。その小説の作者は、S・L・A・N・G・ノースベリ夫人で、そうした小説を書き、沢山の報酬を得ていると説明される。ジョーはそれを真似てサスペンス小説を書き、懸賞金を得る。しかし、その後、尊敬するドイツ人教師(後の夫)に軽蔑されたため、スリラー小説を書くのをやめる。

※2:ロベルト・コッホコレラ菌を発見したのは一八八四年。この本が書かれた十八年後である。

※3:世界初の女性参政権は、この作品の書かれた三年後の一八六九年にワイオミング州で実現した。ちなみに日本で女性が参政権を得たのは一九四五年である。


『愛の果ての物語』広津倫子訳、徳間書店、一九九五