読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『七つのゴシック物語』イサク・ディーネセン

Syv fantastiske Fortællinger(1934)Karen Blixen(a.k.a. Isak Dinesen)

 デンマークの作家イサク・ディーネセンは、数多くのペンネームを用いたことで知られています。メインは、本名(離婚した夫の姓)のカレン・ブリクセン(Karen Blixen)と、イサク・ディーネセン(イサクは男の名前。ディーネセンは旧姓)ですが、そのほかにネイティブアメリカンの指導者にちなんだオスセオラ(Osceola)や、フランス人男性のふりをしたピエール・アンドレゼル(Pierre Andrézel)なんて名前も使ったそうです。

 カラ、エリス、アクトン・ベル(ブロンテ姉妹)、ジョージ・エリオットをはじめとして、女性が男性名で作品を発表する例は数多くあります。けれど、ディーネセンの場合、「社会的地位が低い女性の書いたものは、まともに受け取ってもらえない」といった理由ではなさそうです。ナチスの目を欺くためといわれていますが、本当は、複数の名前を使い分けることを単純に楽しんでいたのではないでしょうか。名前を変えることによって、別の人格になれるとまではいわないけど、少なくとも気分は変わりますからね。

 出版社の意向などもあり、一応はデンマーク語版をブリクセン名義、英語版をディーネセン名義とするらしいのですが、邦訳するとその違いに意味はなくなります。実際、日本ではふたつの著者名が混在しており、非常にややこしい。おまけにイサクを「アイザック」と英語読みしたものまであるため、より混沌としています(※1)。

 さて、ディーネセンといえば、ホールデン・コールフィールドの愛読書でもあり、映画化もされた『アフリカの日々(Out of Africa)』(映画の邦題は『愛と哀しみの果て』)が最も有名です。
 僕も、初めて読んだのはこの作品でしたが、とにかく驚かされました。「内容に」ではなく、「徹底的な省略具合に」です。残雪の作品とは別の意味で、普通の小説なら必ず書かれていることが意図的に省かれているのです。
 ディーネセンの経歴を知らなかったら、語り手の「私」が何者なのか、さっぱり分かりません。短編ならいざ知らず、あれだけのボリュームの長編で、よく最後まで押し通せたなと思います。
 ディーネセンにとってアフリカの日々は、まだ昇華し切れていない過去だったのか、あるいは大切なのはアフリカの自然や人々のことであり、語り手のことなどどうでもよいということなのか、分かりません。
 しかし、面白くて、頁を繰る手が止まらないのですから、それだけ選択された「書くべきこと」が濃密かつ魅力的で、それに加えてディーネセンが類い稀な表現力を有しているといえるでしょう。

 そんなディーネセンの処女作が『七つのゴシック物語』(写真)です。
 かなりのボリュームがあるため、「ディネーセン・コレクション」(晶文社)では二分冊にして発行したのですが、どういうわけか原書(英語版)とは収録の順番が異なっています(※2)。前半の四編が2の『ピサへの道』に、後半の三編が1の『夢みる人々』に収録されているのです。
 岩波現代文庫の『赤い高梁』と異なり、選集なので二分冊されることは最初から分かっていたにもかかわらず、どうしてこんな面倒臭いことをしたのでしょうか(僕なりの答えは後述)。
 ちなみに、七つの短編はバラバラにされてしまうこともあり、一九七〇年に発行された『
ノルダーナイの大洪水』という日本オリジナルの短編集には七編中三編が収録されています。

 今回は七編しかありませんから、すべての感想を書いてしまいましょう。ただし、記載は英語版の順番どおりにします〔(夢):『夢みる人々』収録、(ピ):『ピサへの道』収録〕。

ノルデルナイの大洪水」The Deluge at Norderney / Syndfloden over Norderney(ピ)
 一八三五年、東フリースラント諸島のノルデルナイ島を大洪水が襲いました。重傷を負い、顔と頭を包帯で覆った枢機卿は、農夫の家族を救うため、水没しそうな家の屋根裏に自ら進んで取り残されます。枢機卿とともに残った三人の男女は、救助を待つ間、それぞれの過去を語ります。
 ある閉ざされた空間に集う人々が順番に物語る形式は『デカメロン』や『カンタベリー物語』でも用いられた古典的な手法です。加えて「ゴシック物語」というタイトルや、舞台を百年前に設定していることから懐古趣味と思われるかも知れません。
 しかし、これは小説の王道を突き進もうという強い意志と、処女作故の自信の現れでしょう。実際、読み始めたら止まらないくらい面白く、これによってディーネセンの名は読者に認められました。
 なお、ラストに小さなサプライズが用意されているため、ネタバレが嫌な方は、巻末の解説を先に読まない方がよいです(この一編に限らず、解説には多くの短編のネタバレが載ってるので要注意)。

老男爵の思い出話」The Old Chevalier / Den gamle vandrende Ridder(ピ)
 一八七四年、パリ。美貌の青年は、あるマダムとつき合っていましたが、嫉妬が原因で、その女性に毒殺されそうになります。その後、ナタリーという若く美しい上、処女である娼婦と出会います。翌朝、彼女を手放してしまった青年は、二度と会うことができませんでした。
 七編のなかでは最も短く、老男爵の回想でもあるため、「ノルデルナイの大洪水」の一挿話として組み込んでもよさそうですね。青年は、『石蹴り遊び』のオリベイラのように、失った女を捜し求めますが、十五年後、画家のアトリエで再会したナタリーは何と……。儚い想像を膨らませることのできるお話です。

」The Monkey / Aben(ピ)
 男色がバレ、危うい立場に立たされた青年ボリスは、伯母である尼僧院長に頼み、伯爵令嬢アテナを紹介してもらいます(急いで結婚してしまえば男色の疑惑を逃れられるため)。しかし、アテナは結婚を拒みます。院長は彼女を呼び、夕食会を催しますが……。
 後半、思いもよらぬ展開が待っています。男色家の美青年ボリスと、キスすらみたことも聞いたこともないアテナとの本気の格闘も凄まじいのですが、何より表題の「猿」にびっくりさせられます。果たして、誰が動物らしく、誰が人間らしいのでしょうか。

ピサへの道」The Roads Round Pisa / Vejene omkring Pisa(ピ)
 妻を捨てて旅に出たアウグストス伯爵は、禿頭の老婦人と出会います。事故に遭った彼女に代わって、血のつながっていない孫娘を捜すことになったのですが、ピサへ向かう途中、決闘に立ち会うことになってしまいます。
 対峙するのは、不能を隠そうとする公爵や出産を恐怖した婦人ら「老人」と、孫娘やその友人など「若者」。片や醜悪な老害、片や奔放な魂ですから、勝負は端からみえています。その立会人を任されるアウグストスは、世代的にもちょうど中間です。彼がその後、少し年上の女性とつき合うようになるのは、醜い姿を晒すのを避けるためでしょうか。
 ほかの短編と同様、最後に小さな不思議が待っています。

エルシノーアの一夜」The Supper at Elsinore / Et Familieselskab i Helsingør(夢)
 デ・コニンク家の三人の子どもたち。末の弟は結婚式の当日、行方をくらまし、美貌のふたりの姉は五十歳を過ぎても独身のままでした。そんな姉妹の前に、弟の亡霊が現れます。
 ディーネセンは、姉のファニーに自分自身を、弟のモルテンにかつて愛人だったデニス・フィンチ=ハットンを投影しているといわれています。そう考えると、ディネーセン・コレクション1の『アフリカの日々』を読んだ読者にとって、この短編は最も興味深いかも知れません。日本版において一番最初に持ってきたのも、その辺に理由がありそうです。
 さて、弟の亡霊においてけぼりを食ったファニーですが、彼と決別したことで、ようやく本当の人生を歩み出すことができるのではないでしょうか。五十路を超えているからといって、遅きに失したなんてことはありません。離婚や破産、デニスとの死別を経て、作家としてデビューしたとき、ディーネセンは五十歳でした。ほぼ同じ年齢の姉妹に、未来を託したってよいではありませんか。

夢みる人びと」The Dreamers / Drømmerne(夢)
 ラムーからザンジバルへ向かう船上。脱獄した若き指導者サイイド、語り部のミラ・ジャマ、英国人のリンカンの三人が語り合います。両耳と鼻を削ぎ落とされたミラ・ジャマは物語を捨ててしまいますが、代わってリンカンが自らの過去を語ります。
 この短編集の白眉でしょう。リンカンやその友人らの物語が何重もの入れ子構造になっていて、さらに誰の話にも同じ女と老ユダヤ人が登場します。彼らが追い求めていたのは、生きながら死んだ天才歌手であり、複数の人物として生きる女性でした。
 それは数多くのペンネームを持つディーネセン自身でもあります。ひとりの女の人生に縛りつけられることによって生まれる大いなる苦しみ。そこから解放されるためには、この手しかなかったのでしょう。勿論、それは物語という至福の世界のなかでのことです。

詩人」The Poet / Digteren(夢)
 かつてゲーテとも会話をしたことのある顧問官は、若き詩人の保護者となります。詩人の才能が酒で潰されてしまわぬよう、さる未亡人と結婚させようとする顧問官。ところが、年甲斐もなく未亡人に恋した彼は、自分がプロポーズしてしまいます。絶望した詩人は、ふたりの結婚式当日に自殺する計画を立てるのですが……。
 老成した顧問官は、詩人と未亡人を自由に操れると思い込んでいます。まるで作家が自ら作り出した登場人物を気ままにいじくるかのように……。けれど、神を気取った不遜な顧問官は、当然の如くしっぺ返しを食らってしまいます(タイトルの「詩人」は、結末で意味を変える)。
 この短編集において、複数の階層に亘って、伝統的な作法に則り、数多くの力強い物語を編んできたディーネセン。その最後は「登場人物による作者否定」という強烈な皮肉になっています。これで締めくくらないと、作者の意図が十分に伝わりません。
 短編を適当に集めた本ではないのですから、やはり、読む順番は大事です。

追記:二〇一三年十月、白水社より復刊されました。1が『夢みる人びと』で、2が『ピサへの道』に直ったようです。

※1:ディーネセンは、ウラジーミル・ナボコフやサミュエル・ベケットのように、同じ作品をふたつの言語(英語とデンマーク語)で執筆した。両者は単なる翻訳ではなく、かなりの相違がみられるそうなので、デンマーク語版からの翻訳はブリクセン、英語版からの翻訳はディーネセン名義にすればよいのだろうが、映画(『愛と哀しみの果て』『バベットの晩餐会』)との関係などもあり、統一されていない。
 なお、この「ディネーセン・コレクション」は「アイザック・ディネーセン」という著者名を採用しているが、ファーストネームの「イサク」だけを英語読みするのはヘンテコである(曲亭馬琴を、滝沢馬琴とするようなものか)。すべて英語読みすると「アイザック・ダイネセン」なんて具合になるらしい(イサーク・バーベリアイザック・バベルと英語読みされたことがある)。

※2:英語版とデンマーク版も一部掲載順番が異なる。「ノルデルナイの大洪水」と「ピサへの道」が入れ替わっている。


『夢みる人びと −七つのゴシック物語1』ディネーセン・コレクション2、横山貞子訳、晶文社、一九八一
『ピサへの道 −七つのゴシック物語2』ディネーセン・コレクション3、横山貞子訳、晶文社、一九八二


ゴシックロマンス
→『ユニコーン』アイリス・マードック
→『』ロザリンド・アッシュ
→『シンデレラの呪われた城ダフネ・デュ・モーリア
→『愛の果ての物語』ルイザ・メイ・オルコット

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