L'Assassinat du père Noël(1934)Pierre Véry
フランスの推理小説家ピエール・ヴェリーは、戦前から翻訳がなされていた作家です。『絶版殺人事件』は二〇一九年に新訳が刊行されましたが、最初に訳されたのは一九三七年でした。
尤も、旧訳の『絶版殺人事件』を読んだことがあるのはミステリーマニアだけでしょう。一般の読者に馴染みがあるのは『サンタクロース殺人事件』(写真)(※)の方だと思います。
これは、プロスペール・ルピックが探偵役となるシリーズの三作目です。
同じく晶文社から『サンタクロースの反乱』(La Révolte des Pères Noël)という本が出ていますが、続編ではなく、無関係の作品です。
ヴェリーは、短編もいくつか翻訳されていて、僕が好きなのは『街中の男』というフランスミステリーのアンソロジーに収録されている「七十万個の赤蕪」というコンゲームの話です。
七十万個の赤蕪を使う(実際には使わない)ってところが馬鹿馬鹿しくて好みでした。
「探偵小説を詩的でユーモアに富んだものにする」ことを目指すヴェリーですから、『サンタクロース殺人事件』も思わずクスッとさせられる笑いに満ちています。
まずは、あらすじから。
ムルト=エ=モゼル県にある架空の街モルトフォンは、玩具の生産が主な産業です。
ここの教会には、サンタクロースのモデルとなった聖ニコラの聖遺物箱があります。これにはふたつの大きなダイヤモンドが飾られています。さらに、百五十年前に行方不明になった「黄金の腕」がどこかに隠されているという噂もあります。
クリスマスが近づいたある日、ナンシーの司教から、別の教会の宝物が盗まれたので気をつけるよう手紙が届きます。そんなとき、街にポルトガルの貴族ド・サンタ・クロース侯爵が現れたのです。実は彼こそが、パリ裁判所付弁護士であり、名探偵のプロスペール・ルピックでした。
正体を明かさなかったことでルピックが拘束された隙に、聖遺物箱のダイヤモンドが偽物にすり替えられ、サンタクロースの扮装をした男が殺されます。
序盤は、サンタクロースにまつわる様々な人やものが物語に絡んできます。 聖ニコラの逸話、聖遺物箱、サンタクロースの名を持つ侯爵、サンタクロース役の男、玩具を作る街などなど(さらに『サンドリヨン(シンデレラ)』まで関係してくる)。
ちなみに、聖ニコラの「肉屋と三人の子ども」のエピソードは、過去に感想を書いた本のなかでは、ジェラール・ド・ネルヴァルの『火の娘たち』のなかの「ヴァロワの民謡と伝説」において語られています。
そんなこんなで、殺人が起こるのは物語が半分ほど進んだ頃です。
とはいえ、そこに至るまでは、ユーモアミステリーならではの、のんびりとしたやり取りを楽しめるので退屈はしません。
モルトフォンには悪人らしき人物は見当たらず、ホラーや本格ミステリーであれば隠されていた邪悪さが次第に明らかになるのでしょうが、それすらもありません。
ルピックが大して意味もなく助手と入れ替わったり、二度も殴られて肝腎のときに意識を失っていたりという展開が続くのは、馬鹿馬鹿しい話が好きな人にとっては大歓迎でしょう。
ミステリーとしてはクローズドサークルものなのですが、警察が街にこられない理由もとぼけていて笑えます。
さて、殺人事件は、犯人だけでなく、被害者が何者なのかも分かりません。殺されたのはドイツ人らしいのですが、街の人は誰ひとり知らないのです。
それに加え、聖遺物箱のダイヤモンドは誰が盗んだのか、さらに黄金の腕はどこにあるのかという謎も残っています。
ダイヤモンドを盗んだ手口や、黄金の腕の在り処を示す暗号解読については、しっかりと説明されます。
けれども、吃驚させられるのは殺人の方です。
ミステリーなのでネタバレはできませんが、犯人はある意味、禁じ手ともいえる人物なのです。「ノックスの十戒」でも真っ先に否定されているものの、ここまで堂々とやられると却って斬新です(少なくとも、僕はこういうミステリーを読んだことがない)。
何しろ、犯人には「名前も、科白も、描写も」ないのですから……。
ところで、名探偵ルピックの本職は弁護士です。
探偵役が弁護士であることの最大の特徴は、事件解決後、犯人の弁護を担当した場合、事件の隅々まで承知している点でしょう。
尤も、それがメリットなのかどうかは何ともいえませんが……。
※:フレドリック・ブラウンの『殺人プロット』の作中の事件も「サンタ・クロース殺人事件」と呼ばれる。
『サンタクロース殺人事件』文学のおくりもの、村上光彦訳、晶文社、一九七五
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